【加藤伸一連載コラム】トイレ談合で想定外のドラフト1位に昇格!

南海の入団発表に臨む筆者(左から3人目)

【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(14)】プロ野球のドラフト会議では、会場となるホテルの大宴会場での本番の前に、各球団がおのおのの小部屋でスカウトや球団幹部による最後の打ち合わせをします。必ずしも欲しい選手を指名できるわけではなく、他球団の出方次第で指名順位を繰り上げたりしなければならないケースがあるからです。

僕が南海ホークスに1位指名された1983年11月22日、会場となった東京都千代田区のホテルグランドパレスでも、そうした最終打ち合わせが行われました。南海のドラフト戦略は1位で創価高の左腕・小野和義を指名。僕は3位以下の指名で獲得する算段だったと聞いています。

しかし、あるスカウトがトイレの個室で気張っていたら、巨人と阪急のスカウトと思われる人物が気になる話をし始めたというのです。「おい、倉吉北の加藤はどうするんだ?」「うちは2位でいくつもりですが…」。キツネとタヌキの化かし合いだった可能性もありますが、聞いてしまった以上は無視できません。

ライバル球団のスカウトによる“密談”を小耳に挟んだ南海のスカウト陣は大慌て。小野の1位指名は揺らがなかったものの「加藤は2位じゃ獲れない」となり、クジで小野の交渉権を獲得できなかった段階で、僕が外れ1位で指名されることになったわけです。

そんな駆け引きなど知る由もない僕は、ドラフト当日に学校行事で倉吉市内の高校生が一堂に会するイベントに出席していました。学校側も指名順位は良くて2位と読んでいたようで、イベント終了後に学校へ戻ってきても遅くないと踏んでいたようです。

しかし、ふたを開けてみれば想定外の1位。気の早い仲間たちはイベント会場となったホールの駐車場で僕を胴上げしてくれました。そして学校へ戻り、記者会見に臨んだ後にもメディア向けの“絵づくり”で2度目の胴上げ。恥ずかしさもありましたが、それまでの苦労が報われた瞬間でもありました。

プロ入りが決まったといっても、まだスタートラインに立っただけ。これから新たな戦いが始まると思ったら身の引き締まる思いでした。難波にあった大阪球場を本拠地とする南海は僕にとって未知のチーム。ただでさえ巨人戦ぐらいしかテレビ中継のない田舎育ちです。知っている南海の選手といえば「ドカベン」の愛称で親しまれた捕手の香川伸行さんに、1学年上で池田高のエースとして82年夏の甲子園を制した畠山準さん、83年に2度目の本塁打王に輝いた門田博光さんぐらいでした。

明日からは南海時代の知られざるエピソードを書いていきますので、お楽しみに!

☆かとう・しんいち 1965年7月19日生まれ。鳥取県出身。不祥事の絶えなかった倉吉北高から84年にドラフト1位で南海入団。1年目に先発と救援で5勝し、2年目は9勝で球宴出場も。ダイエー初年度の89年に自己最多12勝。ヒジや肩の故障に悩まされ、95年オフに戦力外となり広島移籍。96年は9勝でカムバック賞。8勝した98年オフに若返りのチーム方針で2度目の自由契約に。99年からオリックスでプレーし、2001年オフにFAで近鉄へ。04年限りで現役引退。ソフトバンクの一、二軍投手コーチやフロント業務を経て現在は社会人・九州三菱自動車で投手コーチ。本紙評論家。通算成績は350試合で92勝106敗12セーブ。

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