日本人初“幻の160キロ”右腕の今 猛批判のメジャー挑戦に「悔いなんかない」

元西武の前田勝宏氏【写真:編集部】

元西武の前田勝宏氏、1994年のハワイ・ウインターリーグで100マイルを計測

エンゼルスの大谷翔平投手は今年、完全復活を果たし“リアル二刀流”で全米を沸かせている。投げては160キロを超える直球でメジャーリーグの強打者たちを圧倒しているが、今から27年前に非公式ながら日本人で初の160キロをマークした男をご存じだろうか?

現在、兵庫県神戸市のスポーツ店でベースボールアドバイザーを務めている前田勝宏氏。1992年のドラフト2位で西武に入団。1994年のオフにハワイのウインターリーグに参加し100マイル(約161キロ)をマークしたことでメジャースカウトの目に留まった。

「中学生からアメリカの野球に興味があったので、いつか勝負したいとずっと思っていた。色々と批判もされましたが一回しかない自分の人生なので」

球団にはメジャー数球団から身分照会が来たが、本人は知ることなく同年は西武と契約。1995年オフには紆余曲折を経て、年が明けた1996年5月に金銭トレードでヤンキース移籍が決まる。

だが、3年間で25試合に登板し0勝2敗、防御率4.89と実績のない右腕の“わがまま”ぶりに当時、世間の目は厳しかった。「当時は思い切り腕を振るだけのピッチングスタイル。考える野球はしてこなかった。1A、2Aでも打たれる。そこで何か取り入れようとしたらもうダメだった。マウンドに上がって考えると途中から投げられなくなった」。試行錯誤する中で直球は球速90マイル(約145キロ)まで低下した。

5か国を渡り歩き2010年に現役を引退も…マスターズ甲子園の存在を知り“現役復帰”

米国生活の5年間で3Aまで昇格を果たしたが、期待していた姿とは程遠く、メジャーの舞台に上がることはなかった。その後は中日、台湾、イタリア、中国、社会人野球、独立リーグと渡り歩き2010年で現役を引退。

160キロの剛速球が最大の武器と思われがちだが本人は「変化球ピッチャーなんですよ」と笑う。マウンドに上がると捕手のサインにはほとんど首を振らなかった。「真っすぐは投げたらどこ行くか分からない。プロにいる時はキャッチャーとの会話もしてなかった。首振ってもいいけど、自分がアホでしたね(笑)。求められているのは真っすぐだったんです」。

現在は仕事を行いながら母校の神戸弘陵で男子、女子の硬式野球部でコーチを務めている。休日は高校時代の先輩から誘いを受け、草野球に参加し汗を流している。今年で50歳を迎えるが“現役復帰”を果たし、素人、経験者らが揃うチームを相手に勝負を挑み純粋に野球を楽しんでいる。

体の衰えには逆らえないが、肩の調子が良いときには130キロ台も記録する。再びマウンドに上がった理由は、高校野球部OBたちが目指すマスターズ甲子園だ。「甲子園に行けなかった後輩、先輩たちをあの舞台でプレーさせてあげたい。少しでもその役に立ちたいなと。あとは純粋にマスターズにハマりました」と笑顔を見せる。

賛否両論、大半は批判を受けたメジャー挑戦とは何だったのか――。夢を追いかけ続けた前田氏は「悔いなんかは一つもない。あの時に戻ってもそりゃ行きますよ。日本が下で向こう(メジャー)が上とかじゃないけど、抑えたヤツが上がっていく。分かりやすい力の勝負です」と振り返った。

【動画】本当に今年50歳? 現在も剛腕は健在、最速130キロで打者を圧倒する実際の映像

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(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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