「野田御殿」に関する情報募集中  山口県職員公舎時代の思い出なども

▲野田御殿(毛利家野田別邸)※国立国会図書館ウェブサイトより転載

 山口市菜香亭は、現在同施設が建つ場所(山口市天花1)にかつて存在した、「野田御殿」に関する情報を募集している。

 毛利敬親(1819~1871)没後150年に際し、同地における歴史的変遷をたどろうと、より多くの人から情報提供を求めることにした。同施設で8月30日(月)まで開催されている企画展「毛利敬親と野田御殿」の関連事業だ。 

 「野田御殿」は、1871年に建てられた毛利敬親の隠居所。しかし、同年3月に他界してしまった敬親は、ここで生活を送ることはなかった。敬親亡き後、しばらくは「野田別邸」として毛利一族が居住していた。1886年に明治天皇、1908年には皇太子(大正天皇)も宿泊。26年5月の皇太子(昭和天皇)の行啓では、県庁舎(現在の県政資料館)が宿泊所となり、同所は、非常時の立ち寄り所として使われた。 

 戦後の1947年に、毛利家当主の毛利元道から県が、所在地の土地・建物を取得。県の職員が間借りのようなかたちで居住していた。その後、1965年までに、県職員公舎が4棟建設された。そして2001年、県から山口市に同地は売却された。  

 一方、菜香亭は、明治時代に毛利藩の膳部職だった斉藤幸兵衛が八坂神社(山口市上竪小路)の境内に開業した料亭。明治、大正、昭和にわたって山口の迎賓館としても使われ、伊藤博文をはじめとする多くの政財界人らが利用した。しかし、5代目店主だった斉藤清子(通称「おごうさん」)が高齢になったことなどから1996年7月に廃業。その後、「大内文化のまちづくり協議会」や「菜香亭・十朋亭をチョッと素敵に甦らせる会」などが利用方法について検討するとともに、山口市民の署名を集めて2000年12月、市議会に保存活用を求める請願書を提出。市議会の採択を受けて、2004年に市が所有する現在地に移築された。 

「野田御殿に関して現存している資料は少ない。県職員公舎に住んでいた思い出や写真など、何でもよいので情報を寄せてもらえれば」と同施設。寄せられた情報は、企画展後期(6月30日~8月30日)で紹介される。

 情報提供・問い合わせは、同施設の指定管理者・NPO法人歴史の町山口を甦らせる会(TEL083-934-3312)へ。

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