GHQ検閲「短歌長崎」実物発見 削除命じた赤線…原爆関連、軍国主義の表現など判明

見つかった「短歌長崎」復刊第1号の表紙(右)と2ページ目

 終戦約1年後の1946年7月に長崎市で発行された歌誌「短歌長崎」復刊第1号について、連合国軍総司令部(GHQ)が内容を事前検閲し、原爆関連などの掲載歌の削除を指示した冊子の実物が見つかった。発行人で長崎市の被爆歌人、小山誉美(たかみ)さん(1898~1989年)の関係資料が、諫早市の長男、曙美(あけみ)さん(82)方に保管されていた。専門家は「短歌作品の検閲事例を知る上で貴重な原資料」としている。

 誉美さんは31年に長崎で短歌月刊誌「青い港」を創刊。戦時中も45年2月まで刊行を続け、戦後は「短歌長崎」と改題して復刊。85年の廃刊まで通算で半世紀以上発行を続け、県内短歌界をリードした。戦後の復刊第1号については、これまでの研究で、検閲によって掲載歌の一部を削除した改訂版が発行されたことが分かっていた。

小山誉美さん

 見つかった冊子の実物はA5判18ページの謄写版(ガリ版刷り)。表紙にGHQで検閲を担当した「CCD(民間検閲局)」の検印がある。2ページ目の計3首と5ページ目の1首の計4首に赤線が引かれており、うち2首は被爆直後の爆死者の姿を描写した作品。残る2首は軍国主義に関連する表現がある。これらの作品は改訂版では削除されていた。
 冊子は、戦前の36年から戦後の50年にかけての書類と一緒に「青い港ニ関スル書類」と書いた表紙(縦26センチ、横18センチ)を付けて、糸でとじられていた。書類の総数は約80点、計125枚ほど。誉美さんが生前に整理したとみられる。曙美さんが十数年前、長崎市内の旧宅から今の自宅に移し保管していたが、中身は確認していなかった。

「短歌長崎」復刊第1号の2ページ目。原爆に関する作品など3首に赤線が引かれている

 長崎新聞が昨年9月、「短歌長崎」復刊第1号の検閲・改訂の経緯について、本県歌壇史に詳しい西彼長与町の堀田武弘さん(79)が調べていることを記事で紹介。その後、堀田さんが曙美さんと連絡を取り「青い港ニ関スル書類」の現存が判明した。

 県内でのGHQ検閲を巡っては、長崎での被爆体験をつづった14歳の少女の手記で、検閲によりいったん発禁処分になった後、1949年に出版され反響を呼んだ「雅子斃(たお)れず」の事例などが知られている。
 「雅子斃れず」について調査した横手一彦・青森公立大教授(日本近代文学)は、「青い港ニ関スル書類」について「雑誌を発行する側の覚えとして手元に置いていたものではないか。敗戦期に不足していた用紙の配給を求める事務的な書類なども含まれていて、出版史の側面からも興味深い」と語った。

 


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