今こそ地方をクリエイティブ拠点に――近刊書籍『地方×(カケル)』のプロローグ原稿公開!

既刊書籍『地方×(カケル)』のプロローグ原稿、全文公開

兵庫県加東市のひとり出版社・スタブロブックスです。現在当社では、田舎に拠点を置く出版社のスタンスを活かし、地方発本づくりの第1弾として「地方を拠点に好きな仕事を掛け合わせる生き方」を提唱する書籍『地方×(カケル)』(2021年夏頃発刊予定)の制作を進めています。

2回目となる今回の投稿では、書籍『地方×(カケル)~地方を拠点に好きな仕事を掛け合わせる生き方~』のプロローグ原稿を全文公開します。地方移住や地方での起業に興味のある方、自分の好きな場所で好きな仕事をしたいと考えている方、Uターンを検討している方、地方創生や地方活性化に関心のある方などの参考になれば幸いです。(書籍化の段階でプロローグの内容が変更になる可能性があります)

長文ですが、ぜひ最後までお付き合いください。では、いきましょう。

●プロローグ 今こそ地方をクリエイティブ拠点に

25年前に憧れたライフスタイル

田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

こんなライフスタイルを思い描いたのは、今地方で出版社を経営する私(本書編著者・スタブロブックス代表)が高校生のとき。今から25年も前の話だ。

たしか土曜日の昼下がりだったと思う。高校の陸上部の練習が終わり自宅で昼ご飯を食べていた私は、あるテレビ番組を見て心が動いた。

それは当時、アメリカで流行りはじめていた「SOHO」というライフスタイルを紹介する番組。SOHOとは「Small Office Home Office」の略で、その番組では「会社や組織に属さず、自然あふれる郊外の自宅をオフィスにして家族と暮らしながら働く」といった文脈で説明されていたと記憶している。

『大草原の小さな家』※1のチャールズのような頼もしく知的なお父さんが自宅の書斎で仕事し、ローラのようなかわいい子どもたちが大きな庭で駆け回っている。キッチンではキャロラインのようなやさしい雰囲気のお母さんが楽しく料理をつくっている。

絵に描いたように幸せな家族の光景をその番組で目の当たりにした私は、自分も将来あんなふうに田舎の自宅で働きたいなあ、と思ったわけだ。

高校卒業後、兵庫の実家を出て大阪の大学に進学した私は、相変わらず陸上競技に打ち込んでいた。高校時代にはインターハイに出て決勝まで進んだし、大学時代にはインカレや日本選手権、国体などの大会も経験した。

そんな根っからのスポーツ人間だったから、卒業後も社会人として陸上を続けるかどうか少し迷った。でも最終的に引退して普通に働こうと決めたとき、漠然と頭に浮かんだのが「ライター」だった。ものを書く仕事なら、将来、田舎の自宅でもやっていけるのでは、と思ったのだ。

後述のように、地元の兵庫県加東市は人口4万人の小さなまち。大学時代に就職活動をした限り、地元にはおもしろそうな仕事はなさそうだった(インターネットが今ほど普及しておらず、単に情報が不足していた面もある)。でも当時心酔していた中島らもさん※2の影響で興味のあったライターなら、場所を選ばずにどこでも働けると思ったのだ。

大学時代のこの安直な発想が、のちの人生を決定づけることになる。

※1開拓時代のアメリカを描いたテレビドラマ。アメリカで1974年~83年まで放送され日本でも大ヒットした
※2小説家、劇作家、コピーライター、ミュージシャンとマルチに活躍した奇才

励ましてくれた「あの光景」

2000年に大学卒業後、新たな人生が動き出した。24歳のとき、大阪の広告制作会社に拾われてコピーライターになったのだ。夢のSOHO実現に向けた第1関門突破である。

ところが、陸上しかやってこなかったので文章は書けないし、何よりライティングに不可欠の考える力が圧倒的に不足していた。

コピーライターの先輩や制作会社の社長からは、まるでボクシングのサンドバッグのようにズタボロにしごかれ続けた。書けない自分を責め、ストレスで血を吐き、胃潰瘍になった。

体調面でさらに悩まされたのが蕁麻疹だ。ある日コンビニでお釣りを受け取るために手を差し出すと、手のひら一面が赤いブツブツで覆われているではないか。なんやこれ! と驚いたその日以降、蕁麻疹は徐々に全身に広がり、やがて体が温まると皮膚が亀の甲羅のようにガチガチになり、数万匹の蚊に刺されたような猛烈なかゆみに襲われるようになった。胃潰瘍は勝手に治ったが、蕁麻疹は本当に厄介で快復までに10年ほどもかかった。

今となっては当時の経験が血肉となり、現在地にたどり着いたと確信できる。だけど書けないもどかしさと体の不調に悩んでいた当時は、出口の見えない暗闇をさ迷うようで苦しかった。

それでも自暴自棄にならず、ライターを辞めなかったのは、「あのときに見た幸せな家族の光景」が将来の目標として脳裏に刻まれ、私を励ましてくれたからだ。

「高橋君、田舎でライターなんて無理やで」

大阪の広告制作会社を4年で卒業し、出版社を傘下にもつ神戸の会社に転職したのは、加東市という兵庫の田舎に少しでも近づくためだった。

その神戸の会社の社長さんには「将来フリーになって田舎に帰省し、ライターを続けますので」と面談時に宣言までしたほど。そんな人間をよく雇ってくださったと思う。

その会社では書籍の編集者として、取材ライターとして2年間経験を積ませていただいたのち、2008年、ちょうど30歳のとき、面談時の宣言どおりに「フリーになります!」と言って退職した。夢のSOHO実現に向けた第2関門突破である。

フリーランスのライターとして独立した当時は兵庫県尼崎市の武庫之荘に家族で住んでいた。武庫之荘は阪急東急グループの生みの親である小林一三が開発した閑静な住宅地で、大阪の梅田駅まで阪急電車で十数分の好立地。ビジネス系の書籍や雑誌の仕事が中心だった私にとっては恵まれた環境で、何の不都合もなかったけれど、頭の片隅には常に「あのときに見た幸せな家族の光景」があった。

――そして、ついにそのときはやってきた。

2014年、36歳のとき、娘が3歳になって保育園に入るタイミングで、兵庫県加東市にUターンすることになったのだ。

田舎の自宅をオフィスにして、家族とともに好きな仕事をして暮らす――。

高校時代に夢見たこの働き方、暮らし方のスタイルを、苦節20年を経て実現したのだった。

田舎にUターンする数年前の2010年ごろ、大阪の編集プロダクションのベテラン編集者の方にライフプランを話したことがある。

「将来、田舎に帰ってライターを続けたいんです」

たしか人に初めて打ち明けた気がする。

間髪入れずに返ってきた言葉がこれだ。

「高橋君、そら無理やで」

今でこそフリーランスという働き方は一般化し、在宅ワークも当たり前となった。直近ではコロナでリモートワークが定着し、三密を回避できる地方の価値がかつてないほどに高まっている。

しかし当時は理解を得られなかった。もっとも、地方でクリエイティブな仕事はできないと考えていたのは、何も編プロの人に限らない。出版や広告、メディア業界全体に流れていた共通認識だったように思う。だから「地方×ライター」という私のライフプランが現実離れして見えたのだろう。

(やかましいわ)

編集者の言葉を聞いた私は内心でそうつぶやき、田舎でのSOHO実現に向けて俄然、やる気を出したのだった。

10年で様変わりした「環境」

あのとき、地域のタウン誌といった地元メディアの取材や、地元企業の広報物の制作を請け負うと言えば理解を得やすかったのかもしれない。

でも私が思い描いていたのは、都市部でやっていた仕事を田舎でそのまま続けること。つまり都会の仕事を田舎に持ち込むこと。

クリエイティブな仕事は都会にしかないとあきらめるのではなく、田舎に居ながらおもしろい仕事をするために、働く場所、暮らす場所の制約を取り払うために経験とスキルを苦労して積んだわけである。

当時の私の仕事は大手出版社から出されるビジネス書のブックライティングが中心だった。ブックライティングとは文字どおり、本を出版する著者に成り代わって原稿を執筆すること。

この仕事はチャレンジングで刺激的で魅力に満ちていた。取材対象となる著者はベンチャー企業や中小企業の経営者、税理士や会計士、弁護士、医師といったその道のプロフェッショナルばかり。

何かを成し遂げた人から話を聞き、構成を考え、執筆する。著者と編集者とライターの三人四脚の信頼関係でビジョンを共有し、より良い本づくりをめざしていく。気が抜けないハードな仕事だったが、それだけに一冊書き終えるたびに成長を実感できるやりがいがあった。

今思えば、だからといって都市部に居なければできない理由もないけれど、当時は本づくりの中心にいるブックライターが物理的に離れた田舎に移住する発想やコンセンサス自体がなかった。

ただし、このプロローグで強調したいのは、夢のライフスタイルを全否定された編集者の方への意趣返しではない。「田舎でライターなんて無理」と言われたのは、〝たかだか10年前に過ぎない〟ということだ。

今から10年前――といえば、2008年に日本で発売されたiPhoneが普及し出した時期と重なる。私もちょうどそのころ、丸みを帯びた初代iPhoneを手に入れ、ガラケーとの2台持ちでカッコつけていたのを思い出す。

このスマホの登場を機に急速に発展したのがSNSだ。2008年にFacebookとTwitterの日本版が公開され、2014年にはInstagramの日本版アカウントが開設された。

デジタルツールも同時並行で進化し、たとえばオンライン会議ツールのSkypeが取材などで使われ出したのも2010年ごろと記憶しているし、今や定番となったZoomのサービス開始は2013年。クラウド型ビジネスコミュニケーションツールのChatworkは2011年にローンチされ、2014年にはSlackが登場している。

私が仕事でよく使うメモアプリEvernoteの日本版サービス開始は2010年、同じく仕事で不可欠のクラウドサービスのOffice365をマイクロソフトが法人ユーザー向けに発売したのが2011年。

ちなみに当時シリコンバレーで活動されていたChatwork創業者の山本敏行氏の取材※3をSkypeでおこない、その便利さに感心したのは2012年だったから、やはり取材でオンラインを活用し始めたのは2010年に入ってからで間違いないと思う。

つまり何が言いたいのかというと、このたった10年で、スマホやSNS、デジタルツールが私たちの生活や仕事の環境をガラリと変えてしまったのだ。

今SNSをよく利用している人が、それがない10年前を思い出せと言われても難しいだろう。あるいはデジタルツールを使い始めたころから当たり前にSNSがある、いわゆるSNS世代の人たちにとっては、もはやそれがない時代は想像すらできないに違いない。初代iPhoneとガラケーを2台持ちし、満足していた自分が遠い昔の人のように感じる。私たちの環境と意識は、この10年で一変してしまったのだ。

そう考えると、変化の端緒にあたる2010年ごろに「田舎でライターは無理」と言われたのも頷ける。まだ取材は物理的な移動が当たり前の時代、「メディアの中心地である東京ではなく、大阪ですらなく、遠く離れた田舎に帰るんやったら、高橋君、そら無理やで」と――。
※3『安定事業を無償譲渡。シリコンバレーに乗り込んだ起業家の挑戦』Bplatz/取材・山野千枝、執筆・高橋武男

幕を開けた地方新時代

さらにこの10年で、「地方」に対する人びとの意識も変わった。アナログ時代の価値だった「距離」の概念がデジタル技術で書き換えられたからだ。

日本は戦後、地方の人たちを太平洋ベルト周辺に集めて経済発展し、一億総中流社会を実現した。なぜ「集中」が必要だったのかといえば、工業化でものをつくるためには機械と人を物理的に同じ場所に配置する必要があったからだ。

この集中によって都市部が形成され、いろんな職業や知、エンターテイメントにアクセスしやすい環境ができ上った。アナログ時代のアクセス至便とは、すなわち距離の近さである。だから都市部の魅力を煎じ詰めると「近さ」に行き着く。

私の小学生時代の恩師で、現在は京都の大学で非常勤講師を務めるK先生がおっしゃった言葉が今でも耳に残っている。

「高橋君、田舎になくて都会にあるのは利便性だけ。逆にいえば、田舎には利便性以外のすべてが揃ってるんやで」

K先生も同じく加東市に住まいながら大学で教鞭をとり、その他の時間は田舎で悠々自適の暮らしをされている。その人生の大先輩の言葉だから余計に説得力があるし、地方に拠点を移した私の選択を肯定してもらったようにも感じて嬉しかった。

ところがこの10年でデジタル技術が発達し、必ずしも物理的にその場所に居なくても、知やエンターテイメントにある程度アクセスできる時代になった。

その結果、距離の近さの価値が相対的に薄れる一方で、再認識されるようになったのが「地方の魅力」だ。

満員電車から解放され、自然あふれる環境でのびのびと暮らせる地方こそ、人間本来の生き方ができる場所。そんな地方の価値に気づいた人の中でも、とくに能力が高く、個人としてのブランド力もある人たちが受け身でなく、自ら主体的に選択して地方に移住し始めた。

この「積極的な地方移住」も2010年代に入ってからだ。

たとえばブロガー、ユーチューバーで現在は投資家のイケダハヤトさんが四国に移住したのは、私が加東市にUターンしたのと同じ2014年。実業家の本田直之さんが『脱東京』(毎日新聞出版)を上梓したのは2015年。デジタルツールやSNSを利用すれば、窮屈な都会に居る必要はなく、地方で好きな仕事を楽しみながら、なおかつ稼げる。そんな新たなライフスタイル、ワークスタイルが徐々に広まっていった。

ちなみに、都市部――とくに東京に居なくても地方で面白い仕事や暮らしはできる、そんな働き方、暮らし方の価値観にスポットが当たるきっかけとなったのは、奇しくも2011年の東日本大震災だった点も付記しておく。

たとえば『ダブルローカル』(木楽舎)の共著者である後藤寿和さんと池田史子さんは東日本大震災を機に新潟にもうひとつの拠点を設け、以降、異なる地域で異なる生業を営む働き方、暮らし方のスタイルを「ダブルローカル」と呼んで活動されている。

何より私自身が20年以上、地方で好きな仕事を掛け合わせる生き方を模索し続けてきたわけで、2010年代からのこの地方移住の新たな動きを敏感に感じ取っていた。

そしてこの10年間でどこでも仕事ができる準備が整い、地方移住の機運が高まり始めた矢先に突如襲ってきたのが、そう、新型コロナウイルスである。2020年、本来は東京オリンピックにわき立っていたであろうこの年に、コロナで地方の新たな時代が幕を開けたのだ。

一億総クリエイター時代の地方論

さて、この長いプロローグの締めに、そろそろ向かおうと思う。

本来の価値を取り戻した地方に住み、時代が生み出した武器を手に、好きな仕事を掛け合わせて楽しく生きよう、そんな提案をするのが本書の主旨である。

都市部からは物理的に離れた地方に居ても、クリエイティブワークで付加価値を生み出せる時代。むしろ地方で豊かな暮らしをするほうがクリエイティビティが刺激され、より良い成果物を生み出せることもあるかもしれない。

だけど、本書でいちばんに主張したいのはそこじゃない。好きな場所で好きな仕事をする生き方の魅力はすでに多くの人たちが語っている。コロナでそうした生き方にスポットがあたり、もはやひとつの価値観として日常化してきている。

本書では、地方で好きな仕事をする生き方にとどまらず、地方で生み出した付加価値を全国のマーケットに提供し、得た利益を地元に還元する生き方を提唱したい。

たとえばひと昔前にネットショップを開設するためには多額の投資が必要だった。私自身、大学卒業後の2000年に新卒で入社した印刷会社で、京都の老舗を集めたショッピングモール※4の運営に携わっていたのでよく分かる。当時、ショッピングカート機能をサイトに実装するためには数百万円の投資が求められた。

ところが現在は、2012年にサービスの提供が開始されたEコマースプラットフォームのBASEや各種の決済システムを利用すれば、地方で生み出した商品やサービスをきわめて低コストでマーケットに提供可能だ。

宣伝に多くの費用をかける必要もない。楽天市場などのショッピングモールに高い手数料を支払って出品する必要もない。TwitterやInstagramなどのSNSを導入設計の軸にすれば、コストゼロで一定の流入効果を期待できる。今BASEなどを利用している人は当たり前に使っていると思うけれど、とんでもない進歩である。

同時にこのことが意味するのは、あらゆる人が表現者となり、自身が生み出した付加価値をマーケットに提供し、利益を引き込める手段やプラットフォームがすでに多様に用意されているという事実だ。

デジタルデータに偽造不可の所有証明を与え、唯一無二の価値を持たせる技術「NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)」が話題になっている。このNFT技術を活用し、自らのデジタル作品をマーケットに提供しようとした場合、もはやどこで創作活動をしているのかなどまったく不問だ。

戦後70年以上経過し、モノの消費より、コトの経験に重きを置くようになった今、あらゆる人が場所を選ばずクリエイターとして付加価値を生み出せる時代の新たな地方論を、地方を拠点に置く出版社なりに考えたいと思う。

※4『京の逸品 老舗モール』。京都で創業した老舗の逸品を紹介する京都ブランドショッピングモール。

出でよ、ローカル・クリエイター

具体的には、本書ではつぎの3つをポイントに、地方を拠点に好きな仕事を掛け合わせる生き方の意義や喜びを考えてみる。

① 地方×〇〇 地方を拠点に好きな仕事を掛け合わせ、付加価値を生み出す
② 地方×都市部 都市部との垣根を超えたクリエイティブワークで付加価値を最大化する
③ 地方×地産外消 生み出した付加価値を域外に提供し、得た利益を地元に引き込む

まず、地方を拠点に好きな仕事「X(エックス)」を掛け合わせ、付加価値を生み出す生き方について考える。

つぎに、都市部を掛け合わせる意味は付加価値の最大化だ。奇しくもコロナで地方に居ても都市部と連携しながら仕事ができると分かった。地方を拠点に都市部のプロフェッショナルの力も借りることで、より魅力的なモノづくりやコトづくりが可能と提案する。

そして最後に、地産外消。地方で生み出した付加価値を従来のような地産地消だけでなく、域外のマーケットに積極的に提供することで、得た利益を地元に引き込む地域貢献がさまざまな分野で、かつ個人レベルでも可能と提案する。

つまりひと言でいうと、「地方で付加価値を生み、地方に利益を還元する」ということだ。この概念を本書では「ローカル×シティ×ワーク」と定義する。

地方を拠点に好きな仕事をしながら付加価値を生み出し、最終的に地元に利益を引き込める「ローカル・クリエイター」が増えれば、消費と納税というダブルインカムで地域の経済を活性化させられる。

地方で外貨を稼げる産業は観光、農業、工場だけではない。あらゆる業種業態でたとえ規模は小さくても稼げる個人が日本中の地方にたくさん生まれれば、日本の中で内需を盛り上げ、地方全体を活性化できるのではないか。地方が補助金や交付金、年金頼みになるのではなく、個人や民間の力で地元を元気にすることこそ、本当の地方創生なのではないか――そんな大きな提言も本書で少しだけ繰り広げたい。

コロナでインバウンド需要がいったん消失したものの、日本経済は底堅い内需が支えている事実も改めて示された。コロナを乗り切ったとしても、また新たなパンデミックがいつやってくるか分からない。

インバウンドに期待するだけではなく、国内需要の強化で日本の足腰を強くする。そんな意識をもつことが大切な気がするのだ。

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