打てば「神様」打たねば「犯人」 3球団経験の“渡り鳥”だから感じた阪神の魔力

中日、阪神、西武でプレーした森越祐人氏【写真:小西亮】

2015年から阪神で5年間プレーした森越祐人氏

16年ぶりのリーグ優勝に向け、首位を快走する阪神。コロナ禍で観客は制限されているとは言え、球界屈指を誇るファンの熱は、日ごと増しているようにも思える。タイガースを取り巻くエネルギーは選手の後押しになる一方、重圧に変わる瞬間も。中日と西武を含めた3球団を渡り歩き、昨季限りで引退した森越祐人氏も、“虎の特別感”を味わったという。【小西亮】

2010年のドラフト4位で名城大から地元の中日に入団するも、わずか4年で戦力外に。再起をかけたトライアウトを経て、2015年から伝統のタテジマに袖を通した。地元スポーツ紙の事実上“1強”だった名古屋時代と比べ、在阪メディアが大挙して取り囲む新天地。環境の違いに、背筋が伸びた。

たとえ2軍にいても注目される状況で、グラウンド外でも一層気を配った。ただ何より、甲子園球場の空気は異質だった。守備固めでの出場が多かったものの、チャンスで代打が回ってきたときの壮絶さは、今まで味わったことがなかった。

首脳陣からのイジりに感謝、ムードメーカーの立場を確立

「チャンスで打ったり、試合を決めたりしたら『神様』。反面、自分が打てなくて負けたら『犯人』のような感じですからね(笑)」。駅やコンビニに並ぶスポーツ新聞の一面は、綺麗に同じ話題で揃う。結果の世界は重々承知。責任を問われるのは当然だが、その重みこそ伝統の球団たるゆえんだった。

森越氏の移籍2年目に、金本知憲監督が就任。刷新されたチームで、森越氏の“存在感”は増していった。「ありがたいことに、ヘッドにイジってもらいました」。片岡篤史氏のおかげもあって、ムードメーカーとしての役目を確立。「お前が打席に立たないことがウチの“勝ちパターン”」と言われたことを笑って思い出す。首脳陣からの期待を感じ、試合前の円陣では独壇場に。「練習2割、声出し8割でしたね、あの頃は」と冗談めかして懐かしんだ。

守備に信頼を置かれていたことが大前提にはあるが、たとえレギュラーでなくてもプロとして生き抜いていく術を見出した瞬間でもあった。平田勝男・現2軍監督から「短所は、短所じゃなく伸びしろ」と言ってもらったこともプロ人生の支えとなった。

2019年限りで関西を去り、プロとしての最終年は西武でプレー。2球団を見てきた経験は確かに蓄積され、リーグが変わってもすぐに溶け込んだ。源田壮亮や木村文紀らが積極的に声をかけてくれたのがありがたかった。「それぞれの球団で、本当いろんな人にお世話になりました」。10年間で3球団。“渡り鳥”だったからこそ、見えた様々な景色だった。

【写真】3球団を渡り歩いた苦労人が第2の野球人生をスタート “指導者”森越祐人氏の最新写真(4枚目・背番号32)

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(小西亮 / Ryo Konishi)

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