旧日本海軍の主力機だった九七式艦上攻撃機(九七艦攻)が、種子島北端の喜志鹿(きしが)崎沖(西之表市国上)の海底で静かに眠る。終戦から76年。日本戦没者遺骨収集推進協会による遺骨や遺留品収集、機体引き揚げを前に8日、地元ダイバーが実施した事前調査に同行した。
機体は2015年秋、喜志鹿崎沖北約300メートル地点の水深約18メートルの砂地に裏返った状態で沈んでいるのが見つかった。潮流が速いことで知られる場所だ。潮止まりを狙い午前11時45分ごろ、地元ダイバーと海底に着いた。
曇り空で陽光が届かず薄暗い。静寂に包まれ厳かな雰囲気の中、発見者で同市でダイビングショップを営む林哲郎さん(74)らが積もった砂を手作業で丁寧に払いのけていた。両主翼の半分を失い、残存部分は長さ8.8メートル、幅7.3メートル。ダイバーは砂を払い、状態を確かめた。搭乗員の遺骨が見つかる可能性が高いとされる操縦席は深く埋もれていた。エンジンはどこにあるか分かっていない。
腹部に格納されていた車輪は、今もなおゴムの弾力が残る。林さんが指さした先に、旧日本軍独特の深緑の塗装がはげかかっていた。レプリカでしか目にしたことのない色彩に戦争を感じ、思わず身震いした。
近くには青緑色の金属片も散らばっていた。ジュラルミン製とみられる機体の一部で厚さ1ミリ程度。被弾すれば、すぐに穴が開くと想像できた。機体の腹部は白く変色こそしているものの、強固な骨組み。触ると金属の分厚さを感じ取れた。
林さんは7日も現況調査で潜り、「浮袋」とみられるゴム製部品を機体の中から見つけた。操縦かんは既に回収されており、同市教育委員会が保管しているという。
潜水時間は約30分。人を寄せ付けない環境に眠る機体に手を合わせ、浮上した。15日から始まる遺骨・遺留品調査も、潮の流れを見極めながらの短時間勝負になる。