【インドネシア全34州の旅】#19 南スマトラ州 アンペラ橋の周りの見所を巡る

文と写真・鍋山俊雄

スマトラ島の南部にある南スマトラ州の州都は、2018年アジア大会でジャカルタと並んで開催都市となった、パレンバン。

空港ではアジア大会のマスコットがお出迎え

空港にある「ジョコウィと2ショット写真」、背景はアンペラ橋に、アジア大会のスタジアムも

スマトラ島で、パレンバンはメダンの次に人口の多い都市だ。外国人にとって、あまりなじみのある街ではないかもしれないが、かつては商業の都として歴史を彩り、日本人にとっても、つながりの深い街である。

スリウィジャヤ王国の首都の場所には諸説あるが、パレンバンにあったという説もある。昔から、マラッカ海峡周辺に商業都市が発達する中で、西欧、アラブ、中国などから渡来した商人が定住し、香料貿易の一端を担っていた国際都市の一面を持つ街である。

17世紀には東インド会社が貿易拠点を設置。オランダ統治時代には石油資源も発掘されている。日本人にとっては、太平洋戦争時に、日本軍の落下傘部隊が降下し、オランダ軍を制圧した歴史を持つ街でもある。

街を貫くムシ川にかかるアンペラ(Ampera)橋は、日本の戦後賠償金で建築された。本来は、船が間を通れるように、中ほどの部分が垂直に持ち上がる構造になっている。しかし、もう故障して長く、固定されたままになっている。夜は彩り鮮やかなライトアップがなされ、美しい。

アンペラ橋をくぐる、石炭を積んだ船

アンペラ橋上部の橋をつり上げる機械

パレンバンは、ジャカルタから飛行機で1時間ほどで行ける距離で、飛行機の便数も多い。2016年3月9日の皆既日食の時に、パレンバンの空港で皆既日食の観察に成功したことは思い出深い。早朝にジャカルタから飛べば、午前7時すぎからの日食開始に間に合い、かつ、日帰りで帰って来られる所として選んだのが、パレンバンだった。(『南極星』2016年4月号に観察記を掲載)。

アジア大会を前に、空港から市内をつなぐ鉄道が完成した。以前は、空港から街の中心のアンペラ橋まで、混み具合によっては約1時間かかった。

アンペラ橋と平行に、ムシ川上に建設中のLRT

建設中のLRTの駅

昔から交通の要所であったムシ川のシンボルであるこの橋周辺には、多くの見所がある。

橋桁近辺では、小舟を使った観光ツアーの勧誘が多い。ここから6キロほど、スピードボートでは15分余りで行けるケマロ島が有名だ。ケマロ島に近付くと、まずは、色鮮やかな九重の塔が見えてくる。中国寺院には、ケマロ島の次のような言い伝えが書かれている。

パレンバンの王の娘が中国の豪商と結婚し、2人で夫の故郷を訪問した。中国でもらったお土産の壺をケマロ島に近付いた時に船上で開けてみると、塩漬けの菜っ葉しか入っていなかった。がっかりして川の中へ投げ捨てると、菜っ葉の下にきらっと光る物が見えた。あわてて夫婦とも川の中に飛び込んだが、そのまま上がって来なかったという。地元の人々はこの夫婦をしのび、ここを聖なる島としてまつったという。

ムシ川沿いには、柱を川岸に立てた水上家屋が連なっている。昔から商業の街だったパレンバンには、さまざまな国の人々が住みつき、自らの国の建築様式で、家を建てた。

「カンプン・アラブ」と呼ばれるアラブ人居留地域には、当時からの家が残っている。家を説明する看板があり、路地でサッカーをする子供たちも住民も、アラブ系のようである。家のデザインにはいくつかの種類がある。通常のインドネシアの家屋とも違った、大きな邸宅である。

「カンプン・カピタン」と呼ばれる地域には、古くは明の時代やスリウィジャヤ王国時代からの中国系住民が居住し、400年余りの歴史があるという大きな邸宅が2軒、残っている。これらの家の前には石造りのパゴダがあり、周りとは違った雰囲気を醸し出している。

このほかに、川沿いの通りに並ぶ家は「ルマ・リマス」(Rumah Limas)と呼ばれ、15世紀ごろから伝わる建築様式の家がかなり残っている。高床式で、階段を上がった所に玄関が設置されている。ほかにも、占領当時にオランダ人が住んでいた、オランダ式の家屋もまだ見ることができる。

ムシ川沿いの公園の向かいには、パレンバン王国時代に建造され、現在は軍の施設になっている「ベンテン」と呼ばれる砦(Benteng Kuto Besak)がある。軍の施設としてそのまま利用されており、通常は入ることができないのが残念である。

橋の近くには、18世紀にパレンバン王国のバダルディン1世によって建てられた大モスクがあり、その近くには、19世紀にイギリスやオランダの統治に抵抗した同王国のバダルディン2世(Sultan Mahmud Badaruddin Ⅱ)にちなんだ博物館がある。なお、このバダルディン2世は、以前の1万ルピア札の肖像でおなじみである。

この博物館には、パレンバンの商業都市としての歴史のほか、日本軍侵攻に関する展示もある。その裏手には、「MONPERA(Monumen Perjuangan Rakyat)」と呼ばれる記念館がある。パンチャシラ像を抱き要塞のような形をしたモニュメントであり、中は博物館になっている。インドネシアの独立宣言後、パレンバンでのオランダ軍との戦いを記念して建造されている。

川沿いには、スリウィジャヤ王国時代の発掘物を展示した古代遺跡博物館のある公園(Taman Purbakala Kerajaan Sriwijaya)がある。この地域は、人工の水路や池などによって区画された形跡と多くの発掘物から、スリウィジャヤ王国に関係がある地域とされており、その博物館で展示を見ることができる。

街の中心から空港に戻る途中にある博物館(Balaputra Dewa Museum)では、珍しい人や動物をあしらった石像が展示されている。

パレンバンに行くと言えば、大概、「お土産に買って来て」と言われるものがある。ンペンペ(pempek)という魚肉団子のようなもので、ピリ辛のたれで食べる。

パレンバンの空港では、かなりの人がお土産として、このンペンペの詰まったダンボールの小箱を持っている。この魚団子のにおいがするのが、パレンバン発の飛行機の特徴かもしれない。

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