Momoka Kagamiya(レヴュー俳優)- みんながそれぞれの不幸せを抱えて生きている。不幸でいることは特別かっこいいことではない。

狭い世界から外に出ると、違う見方をしてもらえる

──先日、初めてMomokaさんの演目を見たのですが、すべてが初めて見るようなパフォーマンスで驚きました。

Momoka:ありがとうございます。音楽のなかにお芝居やSMやストリップといった要素を取り入れたレヴューという表現をしています。自分の知っている限りでソロでレヴューを他にやっている方はいらっしゃらないので、この職業をなんと呼べばいいのかわからないのですが、わかりやすくレヴュー俳優と名乗っています。

──評論という意味での「レビュー(review)」ではなくて、歌や語りやダンスなどいろいろな手法を含んだ「レヴュー(revue)」という表現方法を今回初めて知りました。最初からこういった活動の形態が見えていたのでしょうか、それとも変化してたどりついたのでしょうか。

Momoka:父親がもともと芸能関係の興行に携わっていて、アーティストのマネージメントなどもしていたんです。マイケル・ジャクソンが来日するたびに父親を頼りにしてくれていたので親交があり、母親のおなかのなかで聴いたマイケル・ジャクソンが初めて触れた音楽だったそうです。自分自身は記憶にはないんですけど、体のなかに染み付いている気がします。家のなかでは両親の好きな70〜80年代のディスコミュージックやジャズが流れていたので、一般的には子どもが触れにくい音楽のルーツをたどっているんですけど、その影響なのかずっと総合エンターテイメントに関心があったんです。ただ歌う、ただ踊る、ではなくて、歌って踊って早着替えをしてイリュージョンもあったりするような、ごった煮のエンターテイメント。母親は宝塚が好きだったので、その影響もあったのかもしれないです。それらが組み合わさったものがレヴューになりました。

──文化的に英才教育だったんですね。まわりにいる同じ年齢の子たちとのギャップが生まれそうですが……。

Momoka:いや……もう、協調性ゼロでこうなっちゃいました(笑)。子ども扱いを一切してくれない両親だったので、子どもが見るもの聞くもの食べるものを一切与えられずに育って社会不適合者です。これはすでに公表しているんですけど、いじめられっ子だったんです。でも、いじめられっ子を極めていくと「触らぬ神に祟りなし」みたいになってきて誰にも話しかけられなくなって、いつも窓際に座って自分の世界で過ごしていました。

──子ども時代って少しでも目立ったり違いがあったりするとすぐ拒絶が生まれますよね、休み時間はどうされていましたか。

Momoka:ひとりで創作をしていました。小説を書いたり、家で作った楽曲の歌詞を書いたり、絵を描いたり。ずっとピアノを習っていたんですけど、途中から打ち込みを勉強するようになって、ピアノで曲の基礎を作って打ち込みでアレンジをしはじめました。ただ、両親はトップクラスのプロフェッショナルと関わっていたので褒めてくれることはなかったですね。母親自身が褒められて育てることをされてなかったので、「子どもを褒めてもろくなことがない」と思っているような人で、自己肯定感がすごく低い子ども時代を過ごしました。

──その環境で腐らずに創作を続けていられたのは、なにか支えがあったのでしょうか。

Momoka:自分のなかに信念があって、「両親は褒めてくれないけど、この狭い世界から外に出たらきっと違う見方をしてくれたり、自分を愛してくれる人がいる」と思っていたんです。あと、弟が芸術方面にアンテナを張っている人だったので作品をフラットに見て意見をくれたんです。弟が褒めてくれたことで自信をもてたのかもしれないですね。

──ご両親が厳しい家庭のなかで、弟さんとの関係性が良いのは素敵ですね。

Momoka:被害者同盟っていうわけじゃないですけど、結束は固かったです(笑)。自分は子どものころから10種類くらいの習い事をしていて、母親はステージママみたいな状態だったので、自分の時間はこの世に存在しないと思っていました。ただ、両親から受けたそういった膨大なインプットがあったので、自然とアウトプットする感覚も存在していたんです。弟はその苦しい家庭環境をリリックにしてラッパーとしてデビューしたんですけど、かえって反骨精神が育ったのかも。

──その積み重ねがレヴューという形にうまくあてはまったんですね。

Momoka:ほんとうにそうだと思います、自分の基礎をすべて詰め込んだ感じですね。小さい頃から人前で表現をしたり、笑わせたり喜ばせることが大好きたったんです。子どものころの夢は魔法使いかマイケル・ジャクソンかマドンナになることでした。学芸会でも、絶対センターじゃなくちゃいやで。常に主役じゃなきゃいやだったんですね。……それは協調性がないなと自分で思いますけど(笑)。

──きっと、それだけ放出したくなるインプットがありすぎたんでしょうね。人見知りはなかったんですか?

Momoka:ありました! 普段の自分はすぐに母親のうしろに隠れたりしていたんですけど、いざステージとなると、「わたしを見なさい!」って切り替わるんです。それは今でも変わらないですね。

──そういった力強い表現者としての面があり、完璧に作り込まれたレヴューを演じていらっしゃいますが、ライブ後のMCがやわらかくてステージと良い意味でのギャップがある方だなと思いました。ツイッターの投稿テキストも選ぶ言葉がやわらかい印象があります。

Momoka:ありがとうございます。きっと自分はバランスを取りたいんだと思います。レヴューはかなりインナーな世界でエネルギーを発散するので、客観的にとっつきづらいものだと自覚しているんです。初めて見る人なんてびっくりしてポカンとしちゃうと思うんです。でも、それをMCやご挨拶を通して距離を近づけたくて。日本昔話でも、こわいお話があったあとに魔除けの呪文が流れたりするんですよ。「とっぴんぱらりのぷぅ」みたいな、そういう感じです。

──レヴューの演目自体はバッドエンドだったのですが、Momokaさんの出演時間のあとはなぜかすごくハッピーな気持ちでした。つい、感想を伝えたくなってしまうお人柄というか。

Momoka:それはとても嬉しいです。自分の表現と同じくらい、見てくださるお客様や関わってくれるスタッフや、対人を大切にしたいと考えているので。もしかして、最後に丁寧なMCをいれるっていうのは宝塚の影響があるかもしれないです。よく宝塚は夢の世界と例えられますけど、マニアックな作品や後味の悪い作品もあるんです。でも、作品が終わって重い空気になったあとには素敵なフィナーレがあって、見に行ったお客様に魔法をかけてくれるんです。自分も、最後まで見てくれたことへの感謝の気持ちを表したいなと思っています。

ほんとうに惹かれるのはグロテスクなもの

──演目を100種類以上お持ちだそうですが、演じる役はどのように選ばれているのでしょうか。生き様に共感できる人を選ぶのか、エンターテイメントになりそうな人を選ぶのか、演じてみたくなるポイントはどこですか。

Momoka:やっぱり共感するかどうかは大きいですね。このキャラクターは自分の思考や精神と重なるものがあるぞ、と思うところがあったらそこから肉付けをして作品にします。母親が神話や伝説を読み聞かせてくれたことと、占星術に詳しかったのでもともとギリシャやローマの神話が当たり前に生活のなかにあったんですよね。ダークなエンディングをむかえるものに惹かれてしまいます。

──ギリシャ神話もバッドエンドが多いですよね、けっこうひどい目にあったりして。

Momoka:そうなんですよね! そういったところに、人間の皮肉さや面白さがあるんですよね。自分は美しいものが好きだし、自分自身も心身ともに美しくありたいけれど、ほんとうに惹かれるものって醜かったりグロテスクなものなんですよ。天空を目指すよりも、地を這いつくばってしまう。レヴューでの身体表現にも出ていますけど、ヘビやクモなどの生命体から連想する動きを取り入れているのは結局、自分が心地いい動きなんです。

──先日はゼルダ・セイヤー・フィッツジェラルドを演じられていましたが、まるでMomokaさんご本人の自伝のようでした。脚本は完全に決めていたのでしょうか。それとも、毎回心情の変化でアドリブもありますか?

Momoka:作品によるんですけど、今回の作品だったらおよそ25分間の長セリフを演じ続けると決めていたんですけど、ゼルダはあの回が初演だったので、予定していなかったセリフもいくつか降りてきました。自分は憑依型なので、レヴューの最中に役が完全に入りきってしまうとあとから思い出せなくなったりするんです。縄文時代のケミカルにトランスした巫女さんみたいな状態。

──自我をのっとられてしまったかのような鬼気迫るものがありました。この人を演じるとトランスしすぎる、と思って封じた役はありますか。

Momoka:ハムレットの恋人のオフィーリアを演じたときは、憑依しすぎてしまって今は再演するつもりはないです。もしやるんだったらもう別の形に作り変えようと思っているくらいですね(笑)。逆に、自分と相性のいい役は新約聖書に出てくるサロメです。これは自分のなかで十八番になっていて、大切な現場には必ず持っていきます。サロメの場合は、憑依されたとしても自分でコントロールができるバランスのとれる役ですね。

──演じていて影響をうけすぎると、自分自身がひっぱられてしまって苦しくなってしまいませんか。

Momoka:めちゃめちゃありますね。憑依が抜けないこともあって、終わったあとも服装がひっぱられたりします。あるときは露出の多いヒョウ柄を着て、あるときは着物を着ていたり。人格も変わってしゃべり方や言葉遣いも変わるので、まわりの友人にはすごく驚かれます。ちいさいころからずっとなにかを演じて生きている気がするので、ある意味、自分の中にという軸がないのではとも思えてきました。性別としても、体は女性ですけど心のなかには別の生物がいる気がしていて、純度100%の女性ではない気持ちがあります。

──そうするとほんとうにどんな役でも演じられますね。

Momoka:そうですね、男性役もいろいろ演じてきました。ただ、男性役でストリップをすると、自分の体は女性なのでお客さんも混乱してしまうんですよね。ストリップをしない現場では男性も演じています。素は男性的なので、普段の一人称は「僕」なんです。

──そういった心のなかのマイナスのレイヤーにひっぱられてしまったときはどうやって自分に戻っていますか。

Momoka:スピリチュアルに思われてしまいそうですが、瞑想をよくしています。自分は宇宙の一部だと思う。そうしてからは負のキャラクターにひっぱられて生活が不安定になることが減ってきました。

──視点を広くするわけですね。

Momoka:「人間ではなくてただのなんらかの生命体だ」って思ってしまうようにしています。もとは大人の社交場のパーティーサロンのつもりで自宅を解放しているんですけど、ここ最近は、オイルトリートメントのボディケアや瞑想やハーブティーの調合も始めました。自分でやってきた心身の整え方を人にも伝えたいなと思っています。

不幸でいることは特別かっこいいことではない

──特技に「人の心を開くこと」と書いてありましたが、自宅を解放をしてまで他人のケアをしたいとか、人の心の動きや心理に興味をもたれたきっかけはありますか。

Momoka:一人で幸せになることがいやなんです。小さいころからキリスト教の教育を受けたからかな…信者にはならなかったんですけど。隣人愛のようなものがありますね。自分はそんなに幸せにならなくていいし、幸せの見つけ方はすでに知っているからほっといてくれって。逆に幸せを見つけにくい人に、「いや、それって案外近くにありましてねえ……」って声をかけたくなるというか。人が幸せになっていく過程を見るのが好きなんです。まわりがハッピーだと自分も落ち着くし、まわりが不幸だと自分も脅かされるし。わたしの幸せのために、みんな幸せになってくれ、って思います。でも実は、もともとは「破滅」っていう言葉が好きな人間だったんです。

──破滅から幸せを願うひとへ?! どういう過程があって心境が180度変化されたんですか。

Momoka:コロナウイルスが影響してると思います。世界がみんなあっさり不幸になってしまった。不幸は自分のものだったのに(笑)。とにかく自分のなかで革命があったんですよね。もともと母親が「わたしのことなどいいから、世界が幸せになってほしい」ってマリア様みたいなひとで、我が子のことは褒めてくれなかったですけど(笑)。

──世界愛はあるのに実の子どもへの愛は薄いっていう、子どもとしてはつらい家庭環境のなかで卑屈になりきらなかったMomokaさんの底力というか、表現への熱意はすごいなと改めて思います。

Momoka:きっと母親は博愛主義者すぎて、家庭より世界や宇宙を見てしまったんでしょうね。ただ、父親の事業が失敗して十数億の借金を背負ったので、一家離散をして夜逃げをして、自分は親から捨てられているんですよ。そうしないと家族みんな生きていけなくなって。そこから、一度きりの人生だしもうどうにでもなれって思ってしまって、「破滅」という言葉がこの世でいちばん好きな言葉になったんですけど。芸術家としては生活が退廃的で破滅的なほうが素晴らしいものを生み出す傾向にあるので、自分ではこれが芸術家の生き方だよなって安心もしたんです。

──「表現者は不幸であれ」、みたいな風潮ってありますよね。

Momoka:そうそう! だから誰よりも不幸になってやる! ってくらいの気持ちだったんですけど、コロナであっけなくみんなが不幸になってしまって。

──不幸はわたしが一手に背負っていたのに、と(笑)。

Momoka:それなのに、みんなが不幸になってるじゃないか! って(笑)。幸せそうに見えた人たちまで病んでしまったりするのを見て、自分のなかで考えが急に変わったんですよね。シュールな話しですけど。不幸でいることは特別かっこいいことじゃないぞって気がついたんです。芸術家であっても、破滅的な生活を追求してまで生きることはそんなに面白いことじゃないし、このままだと人生を無駄にしそうだなって。だから、みんなが不幸に見舞われる世の中で、自分は救済する側にまわろうと思ったんです。

──地を這うところから、手を差し出す側に変わったんですね。

Momoka:お前何様だよって感じですけど(笑)。これまでは、人が密になっている場所で、人の汗や体臭や涙や鼻水を誘いながら、踊り演じ舞うことが生きがいだったけれど、それがコロナの影響でできなくなってひきこもりにならざるをえない期間があって。その間は自分も例外なくずっと家にいたから、思考が内に内にいったんでしょうね。

──外からの刺激が強制的に得られなくなった時期ですよね。不幸ではなくなることは、表現をする側として不安ではなかったですか?

Momoka:破滅的な芸術家をずっとお手本にしてきたし、自分が目指しているものは世紀末芸術のデカダンだったはずなのにどんどん逸れてきたなとは思ったんですけど、でも、破滅的じゃなければものを生み出せない芸術家はしょぼいと思い始めたんです。どんな状況でもそのときの自分自身や社会や時代を素直に吸収していいものを生み出すのがほんとうの芸術家だって思ったんですよ。自分はいつまでもグズグズしていられないなと切り替わったんです。

──「不幸じゃなくても作品をつくることができる」っていうのは全表現者に伝わってほしいなと感じます。泳ぎ続けないと死ぬみたいな気持ちはすごく共感しますけど、休まないと続かないですし、本人が倒れたら意味がないですから。

Momoka:ほんとうにそうですよ、続かない。大切な仕事もできなくなってしまう。これまでは自分のことを悲劇のヒロインだと勘違いしていたけれど、違ったんです。みんながそれぞれに悩みがあって、それぞれの不幸せを抱えて、それでも生きているんだっていうのをつぶさに感じたので不幸になってほしくない。だから自分も、縁のある現場をひとつひとつ良いものにしていくために、きちんと制作期間をとって、クオリティの高いものをお見せするっていうことを大切にしています。なんなら、幸せな今の方がクオリティの高いものを作れるようになったなって、生意気ですが自負もありますし。無理にスケジュールを詰め込んで自分を追い詰めることをしなくなったら、演じ方も安定しました。

──安定した心の土台があって、作品も力強くなっていくことは素敵な相乗効果ですよね。まだレヴューを見たことのない方や、これから初めて足を運ぶ方へぜひメッセージをお願いします。

Momoka:他の演者さんを見に来たら偶然自分を目撃してしまった方も、すべてご縁だと思っています。ソロレヴューという演目をやっている生命体はMomoka Kagamiyaだけかもしれないので、目撃してしまった方にもご縁を感じてもらえたらうれしいです。

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