宮川彬良(作曲家) - 『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト2202』音楽の中に物語が封じ込められている

おいそれとできるものではないという思いがありました

──『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト2202』を制作するに至った切っ掛けを伺えますか。

宮川:一番近いきっかけは2019年10月14日のコンサートで宣言してしまった手前、作らざるを得なくなったというのがきっかけとも言えなくもないんです。それは自分で自分を後押ししたという面もあるんです。もう戻れない状態にしないと書けないくらい怖くチャレンジングなことだったんです。なので、言わせた自分と言われた自分が二人いるみたいな感覚なんです。

──それだけ覚悟を決めないといけないほど大きな挑戦という事なんですね。近いところでとのことですが、それまでにもいくつか布石のようなきっかけがあったという事なのでしょうか。

宮川:はい。遠目に見るとそれこそ父の『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』を最初に聞いたとき、「これだ」と思ったことが大元の切っ掛けになっていると思います。劇伴の楽曲は長くて4分で大体の曲が1分半じゃないですか。そういった音楽の根元には1曲40分くらいのクラシックの交響曲があるということを父の交響組曲を聞いてピンと来たんです。現代的でどことなく聞き覚えのあるカッコいいアニメ音楽の曲を元にして40分台の作品が新たに生まれた。それは僕にとってはまさにこういう物を目指したいというものだったんです。そういった作品作りは当時流行っていたプログレッシブロックの考えとも合致したんです。

──複数の曲のからなる1つの作品としてのアプローチということですね。

宮川:そうなんです。そういった作品は少なくともA面とB面、トータルで聞いてというのがヒシヒシと感じられるものだったんです。クラシックの勉強とともにそういった音楽に触れて「こういう物を作らないといけないよな。」という思いがあったのでそこからすでに始まっていたんだと思います。それから『宇宙戦艦ヤマト(以下、ヤマト)』に関わるようになり、最初に言ってくれたのはコロンビアの八木(仁)さんなんです。『ヤマト』以外の作品でも会うたびに「彬良さんバージョンの交響組曲を聞きたいな」と言うんですよ。その時は「何を言っているんだ」って思っていました(笑)。おいそれとできるものではないという思いがありましたから。

──言われていたのは『宇宙戦艦ヤマト2199(以下、2199)』が始まる前ですか。

宮川:多分、前ですね。

──『2199』がスタートし参加することになって、その気持ちが変わったということなんですか。

宮川:変わりましたね、参加したことは大きかったです。出渕(裕)さん(『2199』総監督)と『ヤマト』に対しての思いが一緒だったので、その船にひょいと乗っちゃいました。でも、その船の行きつく先に「これは『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』が来るだろうな」とかいろいろ考えるじゃないですか。成功させたら次がある、しかも成功させないわけにはいかないですから。

──そうですね。もちろんどの作品でもそうですが、『ヤマト』だとさらにその思いも強くなりますよね。

宮川:さらにイメージの中では、その先の先の先くらいに交響組曲って言われるだろうなということが明確になってきたんです。その頃には「もう言わないでくれ」ではなく、「今じゃないよね。まだ言わないでくれ」と気持ちも変わってきていました。でも、いずれはやるという気持ちのスイッチがその頃には入っていました。

──気持ち的にはその辺から準備を始めていたということなんですね。

宮川:交響組曲を作るならこの曲は入れられるよなとか、断片的にはよぎりましたね。

全く別のものになっていたと思います。

──CD発売という意味での具体的な作業に入るきっかけは先ほどおっしゃられていたコンサートになるんですか。

宮川:具体的に動き出したのはコンサートがきっかけでした。バンダイナムコアーツの吉江(輝成)さんからも「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち(以下、2202)』良かったよね。あの劇伴のCD聞いているだけで、交響組曲入ってますよね」と言われ、「交響組曲のことで話をしましょう」と具体的に話を始めたんです。そういう集まりを2回くらいやったかな。

──それはコンサートからスグだったんですか。

宮川:2019年の10月・11月ころだったのでスグですね。で、本当は2020年6月に録る予定だったんです。そしたらコロナがあり全部の予定が崩れたわけです。

──そこにもコロナの影響があったんですね。

宮川:録音は一切できないじゃないですか。その時期、たまたま僕が大きな舞台の仕事がひと段落付いたところだったんです。だから大きな書き物は何もなかったわけで、ほかの仕事もできないので自分の書きたいものを書くしかなかったんです。時間はあるわけだから、これは書けということだなと自問自答して意を決し作品を見返すところから始まり、本当にきれいに100日掛けて書き上げました。コロナがなかったら全く別のものになっていたと思います。

──短めの楽曲作業と今回の交響組曲というトータル50分くらいの楽曲を作るというのは違うお仕事なんですか。

宮川:違うと思います。交響組曲はここで盛り上がって、ここで転調してといった、図面・グラフを描く感覚に近い作業も必要になります。最初はそういう全体的な道筋を考えて、その道筋を考えながら断片的に思い浮かんでくるものも大事に大事に育てながらちょっとずつ伸ばしていくんです。「これとココと繋がるよな」とか「最初に思っていたのとこれは違うから、こっちに変えよう」とかパズルを組み立てるようなことをやっていくんです。1曲の中にいろんな要素があるけれど、その繋がりを構成する事がすごく重要なんです。ミュージカルやオペラを作っているのと凄く似ています。

──物語を作っている感覚なんですね。

宮川:音楽そのものが物語るんです。なので順番やキイが凄く重要になってきます。

──劇伴は映像に沿わせる形ですが、交響組曲は音楽が全部になりますよね。そこのインパクトの違い、聞かせ方の違いがあると思いますが、交響組曲だからこそのアレンジの工夫もあるのでしょうか。

宮川:当然あります。今回の制作にあたり父が最初の交響組曲をどうやって作っていたのかということを改めて勉強しました。聞いてみると本当にヤンチャにいろんなことをやっているんです。

──ヤンチャなことというのは。

宮川:例えば木村好男さんが泣きのギターをやっているんです。美空ひばりの相棒ですよ、劇伴だとあり得ないじゃないですか。それから『真赤なスカーフ』がサンバになっているとか、劇中にはなかった曲が出てきちゃうとか、かなり自由にやっているんです。それなのにB面の『イスカンダル』という曲になると、「やっと着いたんだ。」って涙が出てくるわけなんです。おかしいですよね、曲もストーリーの順番通りじゃないのにですよ。

──それでも『ヤマト』をイメージさせるというのは凄いですね。

宮川:TVアニメ26話の物語とはまた違った物語が音楽の時間で進んでいくんですよ。僅か40分なんだけど僕も26話を見たような感じがしました。あらためて聴き・勉強したことで、交響組曲というものはこうあるはずだと思い、父や西﨑(義展)さんたちに対して改めて敬意を感じました。

行くとこまで行こうという責任感がでてきました

──『ヤマト』にお仕事として初めて関わられたときの印象に残っている当時のエピソードがあれば伺えますか。

宮川:最初に仕事としては関わったのはパイプオルガンを弾いた時ですけど、作曲家としては関わったのは19歳の浪人生のころでした。『ヤマトよ永遠に(以下、永遠に)』の時に父から「彬良、書いてみるか」と声を掛けられて参加しました。本当に大変だったので猫の手も借りたかったんだと思います。絵コンテを見せてもらって、「メロディーはこれね」とモチーフをもらって、「さすがお父さん、いいメロディーだね」と思いながらやりました。

──録音にも参加されたのですか。

宮川:どんな音になるかは一番興味があるところだったんですが、同時にもう心臓が壊れそうに緊張しちゃって、とてもじゃないけど行けませんでした。行けないと聞いた父は「あ、そうか。」くらいの反応でしたね。僕の気持に気づいてくれてたのかもしれません。録音が終わった後にド緊張しながら「どうだった」って素知らぬふりして聞くと、「いやぁ、西﨑さんが椅子から転げ落ちてたぞ。」と言われました(笑)。全然、音が違ったんだそうです。「泰先生の気がおかしくなったのかと思った」と西﨑さんがおっしゃっていたと聞きました。録音したカセットテープをくれたので聞いてみると、僕が思い描いていたものと若干違った感じでした。「この部分はいいな」とか「ここ音間違ってた」と、ド緊張しながら聞きました。父はやんわりとしたコミュニケーションが上手い人だったので、「ココの音なんかは自分じゃ全然書けないよ」と上手に褒めてくれましたね。その曲は予定した所では使われなかったんですけどまた違う本編で使われていたんです。没になって使われないと思っていたので、使われたと知ったときは「言ってくれよ。直したいよ」って思いました(笑)。笑い話半分・武勇伝半分で、まるで昨日のことのようです。

──それを経て『2199』『2202』のシリーズに携わるとなった時にはどんな気持ちだったのですか。

宮川:実は『2199』シリーズより前に『ヤマト』へのお誘いがあったんです。西﨑さんが『宇宙戦艦ヤマト復活篇(以下、復活)』をやるということで、大友(直人)さんから一緒にやらないかと連絡をいただいていたんです。ですけど、僕はその時お断りをしたんです。僕は本当に最初の『ヤマト』が好き過ぎて、だから『復活』は受けられなかったんです。それで出渕さんからお話をいただいた時も「悪いけど、また断りに行かなきゃいけないんだ」と思ったんです。

──最初は断るつもりだったんですね。

宮川:はい。なので、まず僕の最初の『ヤマト』に対する思いを伝えたんです。「原点である最初の『ヤマト』が好きなので、続編はやりたくありません」と伝えると、出渕さんが「彬良さん、僕がやりたいのはまさにそれです。最初の26話をリメイクしたいんです。」とおっしゃったので、「じゃぁ、やります。」って快諾しました(笑)。本当に漫画みたいでしたよ。

──お二人の『ヤマト』に対する思いは一致したんですね。現場での出渕さんはどのような方でしたか。

宮川:本当にオーダーが上手い方でした。「訓練学校の校歌やりましょう」とか、「ガミラス国歌やりましょう」とか、横道から攻めてくれて僕をリラックスさせてくれたんです。

──最初は固辞していた作品へ参加されていかがでしたか。

宮川:参加するとなればあとは行くとこまで行こうという責任感がでてきました。「僕がやらなかったら、それはイメージ違うよな」という事を自分でも思えるようになりましたし、「そこはお前が守ってくれよ」と父が横で囁いてくれているような感じがあります。そこは上手くいったからこそ、考え方が変わってきた部分じゃないかと思います。

音楽で物語を書いている

──お父様の作品を引継がれて分かった音楽家としての凄さはありましたか。

宮川:凄さは嫌というほど感じました。特にメロディーというものに対する信心の強さが違うんです。彼がもし今の音楽を聞いて天から告げるとしたら「メロディーを失って君たちはいいのか、メロディーを忘れていいのか」と怒ると思います。それは時代のこともあると思いますが、ちょっと考え方が違うんです。メロディーというのは音楽の本質そのもので、一番中心にあるという思いに確固たるものがあって、彼はその思いを死ぬまで信じていました。それは『ヤマト』の一連の曲を聞けばわかります。全部メロディーがある、これはひれ伏すしかありませんでした。

──それだけパワーがあるからこそ、世代を超えて聞き継がれているんですね。

宮川:そう、パワーがあるんです父のメロディーには。しかも父のメロディーはAメロに戻る時のタメというのか、じらしというのが必ずあって、そこでめちゃくちゃ気持ちが入るんです。「宇宙戦艦ヤマト」だとサビから戻るところ「笑顔で応え」に入るところの「誰かがこれをやらねばならぬ」のあたり、昔のアニソンに良くある手法で「タララッタララッタララタララ」と入る。あの瞬間が昭和なんですよ。

──確かに今の楽曲と違いますね。

宮川:そこがエモいんです。エモーショナルというのは感覚でもあるけど、実は理論でも証明できるんです。その1つがドミナントという和音で、主人公の和音に戻ってくるその前の瞬間が気持ちいいんです。

──「待ってました」という感覚になって、ガッと気持ちをつかまれます。

宮川:そうなんです。

──それは、日本的な感覚なんでしょうか。歌舞伎の見得にも通じているなとも思いますが。

宮川:音楽では日本的であるっていうより、昭和的であるっていう方が正しいと思いますね。実は、ベートーヴェンやバッハの中にもそれは沢山入っているんです。

──確かに。「運命」などもそうですね。

宮川:音楽で物語を書いているという事なんです。それは自然の摂理に則ったことでもあって、その自然の法則を音に置き換えたのが音楽理論になるんです。これから先また違うスタイルのドミナントが発明されると思いますが、やっぱり人間はそれを避けられないんだと思います。

──そうですね。最後は王道に戻ってきますから。

宮川:だから“エモい”という言葉が流行ってくれて本当に嬉しかったです。「みんなそこを忘れてなかったんだ」と思いました。

この曲には次の世代に残していくべきものがある

──今回の交響組曲には元になる物語がありますが、物語を元にしての音楽を作曲する面白さはとは何ですか。

宮川:面白さというより、僕にとってはそれが当たり前の事なんです。僕は文字があると反射的に音が聞こえてくるんです。絵があると音が浮かんでくる人とか、逆に音があると絵が浮かぶ人がいるじゃないですか。

──いますね。

宮川:僕の場合は、活字を見ると音が浮かぶんです。

──それは絵とともに音も浮かぶという感じなんですか。

宮川:言葉が織りなす空気が必要としているものが全部解るという感じで、音が聞こえてきちゃうんです。なので、メニューとか説明文みたいなものからも音がしていて、音が鳴らない瞬間というものがないんです。

──天性の感覚ですね。だからこそ『ヤマト』の音楽・物語を引き継ぐことができたということにも繋がっているんですね。

宮川:そうかもしれませんね。もしかしたら、父にもそういう所があったかもしれないです。僕は『ヤマト』に限らず、オペラやバレエなど物語がある作品の音楽を作ることは天職だと思っています。

──天職とされている方に作っていただけてありがたいです。今回の交響組曲を聞かせていただいたのですが、本当にヤマトの物語が映像で観えてきました。

宮川:ありがとうございます。僕にとって今回の交響組曲は、ほぼ自分で台本を書いたオペラを作っているような感覚でした。単なる音楽作品ではなく、音楽の中に物語が封じ込められているということを感じながら書いていました。本当に一世一代の作曲なので、この曲には次の世代に残していくべきものがあると思っています。今ファンじゃない人にも是非どこかにインプットされてほしいと思っています。

──その思いも伝わってきました。これからも引き継がれていく交響組曲になると思います。

宮川:ありがとうございます。そうなってくれると本当に嬉しいですね。

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