「補欠でも嫌な顔せずチームのために…」は人生の財産? 日本の部活問題の改革論 ~高校野球の未来を創る変革者~

©株式会社 REAL SPORTS

負けたら終わり――。高校野球の魅力を語る上で、必ずといっていいほど挙げられるのがこの言葉だ。確かに見る側にすれば、そのドラマ性こそ高校野球の最大の醍醐味なのかもしれない。だが実際にプレーする選手にとってはどうだろうか? 負けたら終わりだからこそ、決して負けられない。だからレギュラーは固定され、補欠はプレーする機会が与えられない。そしてこう言われるのだ。「補欠であっても嫌な顔をすることなく取り組むことが人生の財産になる」。

だが果たしてそれは本当に正しいのだろうか。子どもたちにとって、スポーツはそういう存在であっていいのだろうか。

本連載「高校野球の未来を創る変革者」では、高校野球界の変革に挑む人たちを紹介してきたが、今回はあえてサッカー界で育成年代の改革に取り組む男を取り上げたい。サッカー界、ひいてはスポーツ界の常識を打ち破ろうと尽力する幸野健一氏の育成論は、必ずや野球界にとっても学びのあるものになるはずだ――。

(取材・文・撮影=氏原英明)

学校の裁量で決まる高校野球のチーム運営の方向性。片や…

高校野球はほぼ学校の裁量によって目指す方向性が任されているといっていい。

一見、自由のように聞こえるが、日本がどの方向を目指していくべきなのか。高校生年代ではどのような指導をすべきかの指針がなく、多くの指導者は手探りの中でチーム運営をしなければいけない。

学校経営者の判断がチームづくりに大きな影響を与えるが、そうした自由度が、時には選手の上手・下手を関係なしに、部員確保を目的としたチームをつくりかねない。試合に出られる人数を超過してそこに埋もれる選手がいても、学費をもらうために部員の確保を目指す学校はあまたある。

甲子園のアルプススタンドに100人以上の控え部員がいる光景を見れば、その現実は火を見るより明らかだが、ふと隣の芝を見ていると、日本2大プロスポーツを形成するサッカーには業界のための活動をしている指導者や経営者が少なくない。自身のビジョンをチームづくりで反映し、ビジネスとしても成功しているのだ。

彼らの根底にあるのは、ただの強い集団の形成ではない。サッカー界、ひいてはスポーツ界の常識をひっくり返すくらいの気概を持ってサッカー指導に携わっている。

サッカー界で育成年代の仕組みに革命を起こす人物

2020年に千葉県社会人サッカーリーグ1部(J1から数えて実質7部相当)の市川SCと業務提携し、未来のJリーグ入りを目指すFC市川ガナーズの代表を務める幸野健一氏は自ら経営するクラブの運営はもちろん、サッカー・コンサルタントとして国内外を飛び回りサッカー界に革命を起こしている人物の一人だ。

現在はメディアでの活躍はもちろん、プレミアリーグU-11の実行委員長を務めるなど育成年代の仕組みそのものを変えるための活動を進めている。今回の「高校野球の未来を創る変革者」の連載にサッカー界の著名人を題材にしたのは、他競技の取り組みや考え方から野球界が学ぶべきものがあると思ったからだ。

そもそも筆者が幸野氏と会ったのはあるトークイベントがきっかけだ。「サッカー視点で甲子園を考察してみる ~22歳までのスポーツの在り方に関する討論~」というサッカージャーナリストの小澤一郎氏と筆者のセッションがあり、その中で大きな問い掛けをしてくれたのが幸野氏で、「今後は部活がどのようになっていくと想像できますか?」という質問だった。

昨今はスポーツ庁の指針をもとに部活の在り方が取り沙汰されるようになったが、幸野氏はサッカー・コンサルタントとしての活動を始める以前から、日本のスポーツでは当たり前となっている「部活」に疑問を感じていたと語る。

忍耐、努力、我慢、礼儀…日本スポーツ界の根底にある「部活」の問題

「日本にとってのスポーツは運動、つまり体育になっていると感じています。戦後の70年前に、国民を健康させるために運動をさせようと考えて、学校にスポーツ施設をどんどん造った。国民を楽しませようとしたわけじゃないんです。本来スポーツは『deportare(デポルターレ)』という(ラテン語で『気晴らし』を意味する)単語を語源としているように楽しむためのものであるはずだったのが、学校に入れることによって教育にすり替わってしまった。小学生で体育をやり、中学生で部活をやる。これが日本人のデフォルト。忍耐や努力、我慢、礼儀という教育的な要素の方が強い。それはスポーツではなく体育といえるのではないでしょうか」

スポーツは教育であり、楽しみを得るものではない。そのため、厳しい指導を課す風土が出来上がったという指摘はごもっともだ。

過度な走り込みなどに代表されるような上意下達式の指導法は、“これから厳しい社会の荒波を乗り越えるためには理不尽なことを乗り越えていかなければならない。その力をつけるためにはどんな練習も我慢することが大事だ”という教育論に置き換えられた。試合に出られなくても不平・不満を言わないのも教育の一つなのだ。

日本のスポーツ界にあるさまざまな問題の元凶にあるのが、世界から見ても特殊な「部活」という仕組みなのかもしれない。

実際問題、高校野球界にある問題点に触れていくと、部活には「教育」と「スポーツ」が混在しているという事実を抜きに語れなくなるのだ。

例えば、昨今話題になることが多い球数制限の議論には必ず「教育論」が割り込んでくる。

「選手には将来があるからといって投手だけが特別に守られるのはおかしな制度」という声や「選手が燃え尽きるまでやらせるのが大人の役目だろう」といった具合に球数制限の反対意見が述べられるのは教育的な観点からの話で、スポーツの良さである楽しみながら勝利を目指す理念とは相いれない。世界各国が球数制限で選手たちの体を守り育成している話をしても「教育」が入ってくるので話が平行線のままなのだ。

世界との差を生み出す原因は、“能力”ではなく“環境”

これは野球に限ったことではなく、どのような競技でも起こっている。

そもそも幸野氏はそのことに30年以上も前から気付いていて、そこに世界との差があるとこう語る。

「僕は17歳の時に単身でイギリスにサッカー留学をしました。なぜ、日本と世界はこんなに差があるんだろうと。そんな疑問を解き明かしたかった。きっと『巨人の星』や『タイガーマスク』のように秘密の練習でもあるんではないかくらいに思っていた。しかし、いざイギリスに行ってみると、やっていることは日本と変わらない。異なったのはインテンシティーの違いだった。練習から試合のような気持ちで臨んでくる姿勢に大きな違いを感じた」

インテンシティーとは「プレー強度」という意味だ。

世界は試合で勝利する喜びを得るために、練習からファイトする。全ては試合に直結した練習をしているのだ。それに対し、日本はみんなで同じ練習をすること、我慢する時間を共有することに時間が割かれ、練習のために練習をしている。勝敗を競い合うスポーツの楽しみをする風土がない。

海外のサッカークラブでは90分以上の練習をすることはほとんどあり得ないそうだ。なぜならサッカーは90分のスポーツであるからだ。90分で100%の力で出し切ることに重きがあり、それ以上の練習時間になると、強度は80%、70%と落ちてしまうと考えられている。

そう考えると、日本の場合は、強度を高められない環境にあるといえる。

練習時間が長いと、体力を残しておかなければならないと誰もが考えるだろう。さらに練習が始まる以前に朝練や過度な走り込みなどを課せば、すでに100%が発揮できない状況になる。つまり、試合で勝つために練習をするのではなく、練習を乗り越えるための練習になっているというわけである。

「海外の選手たちは普段じゃれ合っていても、練習がスタートした途端、戦うマシンに変わる。いきなり削られ膝当てを割られて、紅白戦で胸ぐらをつかまれて、殴られそうになったこともありました。むちゃくちゃ激しい。1学年で、2~3人がクビになる世界なんです。日本は中高校生でクビになるスポーツはありませんよね。結局、守られちゃう。そこが世界と日本の差です。常に追われている意識を持っている。競争原理が成長させる原動力なんです。環境の差であって、能力の差じゃないんです」

甲子園、高校サッカー選手権…日本で当たり前の大会形式の影響

もっとも、それはスポーツを体育にしてしまったこと、環境の差に起因しているが、もう一つ、日本の多くの競技にとって本来の目的を奪っているのが、育成年代の多くの競技がトーナメント戦で覇権を争うことに主眼が置かれていることにある。

幸野氏は世界を転々とする中で、海外では当たり前となっているリーグ戦文化との違いが日本のスポーツ界に与える影響が計り知れないほどに大きいとこう指摘する。

「106年前から始まった甲子園がトーナメント方式で行われ、天国か地獄かの戦いをやり、ドラマチックな試合を生み出した。でも、それは見る側が感じるドラマであり、本来、この年代のスポーツは選手のためのものでなくちゃいけない。にもかかわらず、甲子園によって、観客やテレビの視聴者のものになってしまったんです。その結果、莫大(ばくだい)なお金が動くようになり、変えることはできなくなってしまった。トーナメント文化が元凶にあるともいえるんです」

トーナメントのノックダウン方式になったことの影響をどれほど日本にいるスポーツの競技団体たちは考えてきたのか。甲子園のドラマが日本のスポーツを彩る理想の形とされ、年末年始の高校サッカー選手権をはじめ、ほとんどの競技がこの形式を踏襲しているのだ。

一発勝負の形式の影響として、まず考えられるのは試合に負けた時点で敗退が決まるために、チャレンジができない。部員をどれだけ多く抱えても、レギュラーメンバー以外を試す機会がないのだ。

試合に出場することができなければ、選手は競技を楽しいと思うことができないのはもちろんのこと、自身に何が足りないかをフィードバックすることができない。残るのは「自分は試合に出られなかった」「へたくそだ」という喪失感だけで、競技を続行する気にさせない。

そうして何人もの才能が切り捨てられてきた可能性がある。

「みんなが自分のレベルに合った環境でプレーできる」。そのためには…

しかし、これをリーグ戦にしてやるだけで、大きくスポーツ界の仕組みを変えることができると幸野氏は考えてきた。

幸野氏が力説する。

「育成年代においては、早熟という言葉を考慮しないといけない。リーグ戦というのはヒエラルキーをつくるんですよね。それが大事であって、選手を守ることにつながる。例えば、弱いチームに一人だけ飛び抜けた選手がいることがある。そのチームは3部。しかし、その飛び抜けた選手は1部でやりたいって思いますよね。すると1部のチームを受けるか、引き抜かれる。一方、1部のチームではその選手が入ってきたことで、先発に入れなくなる子が出て、チームを離れる。でも、その代わり、下部リーグでレギュラーになれる。つまり、それぞれがレベルに合わせたリーグに行くことになる。リーグ戦をやれば、みんなが幸せな場所に行くんですよ。ヒエラルキーをつくっておけば、みんながそれぞれ自分に合った階層で楽しめる。拮抗(きっこう)したレベルの試合を実現することが大事で、そうすることでみんなが幸せになるんです」

育成年代で大事なのは、「ドラマ性を生む」ことではない

幸野氏は現在、プレミアリーグU-11を組織している。

日本サッカー協会が主催すると、平等性を担保できないために、幸野氏が私設のリーグ戦をつくったが、今や37都道府県で開催する日本最大規模のリーグ戦へと成長を遂げている。

そこでのレギュレーションはやはり全員出場や同じチームの対戦が2度あるなどの、プレーヤーにとって意味のあるものばかりになっている。ドラマ性を生むことを目的とされていないのだ。

試合は15分の3ピリオド制で行われ、選手全員が1ピリオドの出場が義務付けられる。どう起用するかはチームの裁量に任されていて、3ピリオドとも試合に出場する選手も存在するが、出場チームは勝利を目指しながら全員出場の両方をかなえることができるのだ。

もっとも、それでも目先の勝利に固執して、固定メンバーで戦おうとするチームも存在する。どういうことかというと、そもそも試合にベンチ入り可能な人数全員を連れてこず、起用したい選手をメインとしたメンバーで戦うのだ。

幸野氏はそうした起用はリーグ戦そのもの趣旨を理解していないと感じる一方で、最終的に選手の成長が見込めるのは、多くの選手を出したチームなのだと断言する。この言葉こそ、この世代にリーグ戦をさせることの価値ともいえる。

「レギュラーしか出さないチームは上手な選手とそうでない選手の差が大きくなって、練習が緩くなるんです。なぜなら、練習相手としては相手にならないから。そして、うまくない選手は『どうせ試合に出してもらえない』と思ってやるためモチベーションが低い。しかし、全員の選手を出すチームは下手な子ほどうまくなっていく。それを見て、もともと上手だった選手は今までできていたことができなってくるから努力しなければいけなくなる。バチバチやる環境になって100%でやる選手が生まれてくる。3カ月もたつとチーム力が逆転するということがあるんです」

補欠でも嫌な顔することなく…という「教育」頼りの現状

リーグ戦は選手が勝手に自ら考えるようになる仕組みだとも幸野氏は言う。

目先の試合ばかりにとらわれず、反省を次に生かすことができるからだ。同じ対戦もあるとなれば、そこでの反省は次回の対戦までしっかりイメージできる。試合での反省をしっかりフィードバックでき、成長につなげられるのである。

トーナメント方式だと負けることに恐れがあるからそれができない。

試合の起用が特定の選手に偏り、チーム全体の意識高揚を生み出せないから、指導者の多くはきつい練習を課すことで、それらを乗り越えた一体感を生み出そうとする。「教育」に訴え、補欠でも嫌な顔することなく取り組むことが人生の財産になると教え込むというわけである。

日本の教育システムがいますぐ大きく変わることはない。だから、今の部活に教育が入り込んでいるシステムを変えることは容易なことではないだろう。ただ、幸野氏がリーグ運営をする中で選手の成長のためのツールとして実感することが多いように、仕組みを変えることで日本のスポーツの在り方が変わっていくきっかけにはできるはずだ。

幸野氏は言う。

これはスポーツ界のトップをリードする変革者の誓いの言葉にも聞こえる。

「決して日本人に能力がないわけじゃない。世界との差は能力ではなく環境の違いだと思います。常に選手が頑張らないといけない仕組みをつくることが大事なんです。サッカーが日本のスポーツの一番最初を走って、全体を変えるために役に立ちたいなと思っています」

サッカー界のリーグ戦導入は今から20年以上も前に始まったことで、いまだ変わる気配のない野球界はサッカー界が起こしてきた改革に耳を傾けるべきことなのかもしれない。

<了>

PROFILE
幸野健一(こうの・けんいち)
1961年9月25日生まれ、東京都出身。17歳の時にイギリスへ渡りプレミアリーグの下部組織でプレー。以後、指導者として日本サッカーが世界に追いつくために、世界42カ国の育成機関やスタジアムを回る。2014年4月にアーセナル サッカースクール市川の代表就任。2019年4月にFC市川ガナーズへと改称し、2020年千葉県1部の市川SCと業務提携、将来のJリーグ入りを目指す。また育成を中心に、サッカーに関わる課題解決を図るサッカー・コンサルタントとしても活動。2015年、小学5年生年代の400チーム、7000人の選手が参加する全国リーグ、プレミアリーグU-11を創設し、実行委員長として日本中にリーグ戦文化が根付く活動を実践している。著書に『パッション 新世界を生き抜く子どもの育て方』(徳間書店)。