リクルート社員時代の育休中に立候補!国民民主党・伊藤たかえ議員の素顔に迫る!

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今回は2021年6月3日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは国民民主党・伊藤孝恵議員です。政治家を志した経緯や、初の国政出馬に挑んだ当時のご様子について伺いました。

生まれつきの難聴を抱える娘の存在が、政治家を志すキッカケに

メディアで取り上げられることも多い伊藤議員。生理政策や孤独対策など、最近は政策面で取材されることも多いそう。しかし、意外にもメディアで話すのは慣れていないとのこと。その背景には、自身も代表戦の時に公表していた、インポスター症候群(自分の実力を内面的に肯定できない心理傾向)の影響があるそうです。

「私の色々なものを見られるのが怖いんです。たいしたことないんじゃないかとか、政治家をやっていたらダメなんじゃないかとか、そういうふうに見られるのが怖いんです」と包み隠さず明かしてくれました。

この日も「1枚1枚剥がされていくのではないかという怖さがあります」と告白。それに対し「全部剥ぎます!」と乙武氏は強気です。しかし、2人は同世代ということもあり、この日の対談は終始なごやかな雰囲気のもと進んでいきました。

政治家を志すまでのキッカケについて話題は移ります。

国会議員になる以前、テレビ大阪・資生堂・リクルートに勤めていた伊藤議員。

営業をしていたテレビ局員時代に、お金を頂き、その頂いたお金に対して効果を返すという働く上での基本を学び、念願だった報道への異動後は、福知山線脱線事故で一番大好きだった上司夫妻を亡くす辛い経験をします。

その後は資生堂での勤務を挟み、リクルートへ転職。「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という旧・社訓が好きで、水が合っていたそうです。そんなリクルート在籍中、不妊治療の末に2人の娘を授かります。彼女が政治家を志した背景には、生まれつきの難聴を抱える次女の存在がありました。テレビ局員時代から、障がいに対して偏見は持っていないと考えてはいたものの、いざ自分の家族となるとショックだったという伊藤議員。「娘がどういう学校で学び、どういうところで働いて、将来どういう日本を生きるのか」そのことを初めて調べたそうです。

「政治家の仕事は子供たちの未来を作ることだ」。当時、民主党が出していた広告メッセージを目にし、子供の未来の環境を変えたいという思いが立候補に繋がります。会社に在籍したまま、育児休業期間に出馬したことで、沢山の批判も浴びることに。

地方ではなく、いきなり国政選挙にチャレンジした経緯

   

日本の未来や法律について血眼になって調べていたとき、候補者募集サイトのページをクリックしたことから伊藤議員の政治家人生は始まりました。産後うつになり、夜眠れないなか思い詰めてとった行動が、今の政治活動に繋がります。

当時、石川県に住んでいた伊藤議員は民主党から呼ばれ、東京にあった党本部へ面接に向かいます。そこで待っていたのが、山尾志桜里衆議院議員。ちょうどその頃、民主党は議員定数が3人から4人へ増えた愛知県選挙区での2人目の候補を探していました。選挙のこともよく分かっていなかった伊藤議員は、党の意向で愛知県選挙区から出馬することに。体育会系らしく「YES」か「はい」で答えるタイプという性格が、表れています。

初の国政選挙にも関わらず、勝利できた戦略とは!?

自身の出身地でもある愛知県から挑むことになった、初めての選挙。2人の幼い子供を抱え、介護が必要な家族もいた当時の伊藤議員。周囲から「候補者としての資格はない」と言われ、選挙に出る難しさを思い知ることに。

選挙に出る時は、「志をたてる壁」と「候補者になる壁」の2つがあると持論を明かす伊藤議員。1人目の候補者が男性だから2人目は女性にするとか、相手が男性だから女性をあてるというような選挙戦略は、本質的ではないとも語ります。

そんな彼女が大切にしていたのは「自然体で振る舞うこと」だったそうです。そうすることが、その後の議員活動においても自然体でいられる秘訣なのだと話しました。組織内議員でもない彼女は、自由に発言し、自分のなかから紡いできた言葉を述べる議員活動は最高だと力強く語ってくれました。

 

伊藤孝恵氏プロフィール

1975年愛知県生まれ。金城学院大学卒業後、テレビ大阪、資生堂、リクルートを経て政界へ。民主党の候補者公募に合格し、2016年参議院議員に初当選。現在は国民民主党の副代表、役員室長、総務局長、子供・子育て・若者政策調査会長、超党派ママパパ議員連盟事務局長を務める。

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