論戦の期待裏切った菅首相のひと言 党首討論から見える単純な発想

By 尾中 香尚里

党首討論で立憲民主党の枝野代表(右手前)の質問に答弁する菅首相=6月9日午後、国会

 菅義偉首相と立憲民主党の枝野幸男代表らによる初の党首討論が9日、ようやく開催された。2019年6月以来2年ぶりである。

 「自己責任」の菅首相と「支え合い」の枝野代表。本来なら、2人が目指す社会像の違いについて、骨太の論戦をじっくり聞いてみたかった。だが、今はそんな余裕はない。コロナ禍という有事なのだ。そしてこの状況下で菅首相は、国民の命と暮らしを守る明確な対策を示さないまま、東京五輪・パラリンピック開催に向け突き進んでいる。

 どうやって国民の命と暮らしを守るのか。菅首相にその能力はあるのか。枝野代表は、菅首相にとって代わって国を動かせるのか。党首討論は、そうした切羽詰まった論戦の場として期待されるべきものだった。

 そしてその期待は「最初の一問一答」で崩れ落ちた。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

 ▽外出抑制の効果、第一声で否定した菅首相

党首討論で質問する立憲民主党の枝野代表

 枝野氏は冒頭、3度目の緊急事態宣言発令を招いた原因が、菅政権が2度目の緊急事態宣言を解除したのが早すぎたことにあると指摘。感染者数のリバウンドを防ぐために、飲食店などへの補償をセットにした上で、東京で新規感染者が50人程度になるまで現在の緊急事態宣言を解除しないよう求めた。

 対する菅首相の最初の答えがこれだった。

 「世界のさまざまな国でロックダウンを行ってきたが、外出禁止などの厳しい措置を行った国々でも、結果として(感染拡大を)収束できなかった」

 いきなりメモを取る手が止まった。

 菅首相自身の政治判断で緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が各地に出され、国民は長期にわたり、外出自粛や営業自粛などのさまざまな私権制限に苦しみ続けている。一つ一つ例を挙げればきりがないが、中には命を落とした人もいる。

 そこまで国民に無理を強いる政治判断をした以上、菅首相には緊急事態宣言を発令している間に、何としても感染拡大を抑え、国民の痛みを最小限にとどめる重い責任があるはずだ。それなのに、菅首相は結果を出すどころか「そんな政策には意味がない」に等しいことを、あっさりと言い放った。それも党首討論の第一声で。

9都道府県の緊急事態宣言延長が決定した5月28日午後、東京・渋谷のスクランブル交差点で、新型コロナウイルス感染対策の徹底を訴える広報車両の前を行き交う人たち

 ▽飲食の感染リスク、本音では感じず

 いわゆる「人の流れを止める」施策について、菅首相が本音では「意味がない」と考えていることは、昨年12月の「ステーキ会食」の際に、すでに想像できていた。政府の分科会が「5人以上の飲食」は「感染リスクが高まる」として注意を促していたそのさなかに、菅首相自身が8人の会食に臨んでいたという、あの一件だ。

 この問題は「国民に会食への注意を求めながら、自分は特別扱いか」という観点から批判されたが、もう一つ重要な視点がある。「首相自身が会食で感染する不安を全く感じていなかった」ということだ。自分が感染するリスクを感じていたなら、わざわざ会食の予定を入れるはずはないからだ。かくしてステーキ会食の一件は「結局、会食でコロナに感染する危険性は少ないのだ」という認識を、国民に強く植え付けた。

 東京五輪・パラリンピックに対する姿勢も同様だ。

 緊急事態宣言を長々と発令したままにして、国民の私権を制限し続ける一方で、五輪関係者がさまざまにその「網」から漏れていることが、次々に明らかになる。東京の飲食店で酒類の提供を禁じられているさなかに、東京五輪・パラリンピックの参加選手が、選手村に酒類を持ち込むことを認められていたのがいい例だ。

 こうした例は「なぜ特別扱い?」という国民の反発を招くだけではない。「仲間と酒を飲むことを我慢すれば感染拡大を抑えられる」ということを、誰も信用しなくなるのだ。

党首討論で答弁する菅首相

 ▽人流抑制からワクチン一辺倒に

 こうした事例が積み重なり、国民は政府の言うことを話半分にしか聞かなくなった。その結果、政府が何を発信しても人の流れは抑えきれなくなり、感染が収束しない状況で五輪を迎えることになってしまった。

 自分たちの権力行使のありようがこんな事態を招いたという現状に、菅首相はおそらく何の痛痒(つうよう)も感じていない。そうでなければ、外出を抑える政策は「意味がなかった」という事実上の「お手上げ」発言を、国会でできるわけがない。

 「お手上げ」を堂々と口にしてしまった菅首相が、続けて口に語ったのがこれだ。

 「ワクチンを接種することによって、今大きな成果を上げていることも事実だ。ワクチンの接種に全力を挙げて取り組んでいきたい」

 「人流抑制策」を捨てた途端、菅首相の頭の中はもうワクチン一辺倒である。「今年の10月から11月にかけて、必要な国民については全てを終えることを実現したい」と、前のめりに希望を口にする。ワクチンさえ打てば問題はすべて解決する、とでも言いたげだ。まるで前任の安倍政権の「マスクを配れば国民の不安はパッと消えますよ」のように。

 こんな単純な発想で国難に対峙(たいじ)しているのか。そんな実態を突き付けられ、後の論戦をまともに聞く気がうせた。物議を醸している「1964年東京五輪の思い出語り」など、もうどうでも良かった。

 とても残念だが、党首討論を聞いた限り、菅首相に「理念の対立軸で野党党首と論戦」など、期待した方が間違いだったと思わずにいられない。

 遅くとも秋までには行われる次期衆院選で、与野党の党首が「目指す社会像」を巡って政権選択選挙に臨む―。

 昨年秋のあの期待感は、一体何だったのだろう。

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