牛丼基準

 営業時間の短縮要請が終わって深夜もお客の姿が戻った牛丼店の前を通り掛かって、そういえば-と思い出した。“牛丼基準”とでも呼べばいいだろうか、作家の森絵都さんが「犬の散歩」という短編の中で、主人公の女性にユニークな物差しの思い出を語らせている▲〈大学の頃、同じサークルに毎日毎日、牛丼ばかり食べてる先輩がいたんです。彼は本当に牛丼が大好きだったから、なにもかも、世界のすべてを牛丼に置きかえて考えるのがつねでした〉▲牛丼が1杯400円として、1600円の映画なら牛丼が4杯食べられる。3千円のTシャツなら7杯分だ。それだけの牛丼を犠牲にする値打ちがあるのか-と彼の思考は巡る▲とても極端だ。でも〈私は彼がうらやましかった。牛丼中心のその世界があまりにも断固として、揺らぎがなかったから。私には彼にとっての牛丼みたいなものがなかったから…〉と主人公▲読みながら、彼の「牛丼」みたいに頼りになる物差しが自分にはあるだろうか、と考えたのを覚えている。読者の皆さんはどうだろう。そして▲“たたき上げの苦労人”の彼は…と書きかけて、あの人、自分が食べた物の値段を把握しているかな、と余分なことが心配になった。首相動静では「ホテルで誰かとご飯」を見かけなくなった。(智)

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