社長になった女子アナ・長崎真友子氏 「女子アナ47」結成し地方を元気に!

笑顔と傾聴力を実践する長崎社長

【直撃!エモPeople】女子アナを束ねる女性社長がコロナ禍でも果敢に攻め続けている。九州朝日放送(KBC)の元アナウンサーで、フリー転身後は女優としても活動した長崎真友子さん(35)。現在は元地方局の女性アナウンサーを集めたユニット「女子アナ47」で地方創生を目指す会社の社長として奮闘中だ。コロナ禍で発生した様々な問題を乗り越える秘訣を聞いてみた。

長崎さんは情報番組「はなまるマーケット」(TBS系)などのほか、女優としてもミュージカル「魔法のオルゴール」(2012年)、ドラマ「水球ヤンキース」(14年、フジテレビ系)などに出演。14年には、本紙で女子アナと居酒屋トークをしているようなコラム「もう一軒行かん?」を連載していた。

15年、地方創生に取り組むべく、自身と同じ地方局出身の女性アナウンサーを集めたユニット「女子アナ47」を結成。運営会社「株式会社Cheering」を起業した。
「フリーアナとして活動する中で、周囲の元地方局アナの仲間たちが『地方と全国をつなぐ仕事がしたい』と自分と同じ思いを持っていることがわかった。『女子アナ47』は47都道府県ゆかりの女子アナが揃っていることが由来です」

イベントの司会などの従来の仕事以外にも、地方自治体や地元企業などが特産品などをアピールするイベントの企画、運営、映像制作、ネット番組制作、メディア活用、メディアコンサルなどを、女子アナが主体となって取り組む新ビジネスだ。

才色兼備の女子アナといえば、周囲のスタッフからお膳立てされ、いわばお姫様扱いが普通と思いがちだが…。

「実は、地方局アナの場合、東京や大阪のキー局アナが専業なのとは違い、人員が少ないので、撮影や編集の技術も一通り持っている。これも発揮できる」と長崎さん。自身も社長兼“プレーイングマネジャー”だ。振り返ると、過去の経験が今に生かされている。

「大学時代、お金はないけど時間はある。まずはブログ『日本を元気にするプロジェクト』を始めました。3年時に農業・環境サークルを立ち上げ、自治体、地域住民を巻き込んで竹やぶを開墾して畑を作ったり。サークルではどうやったら人はついて来てくれるか、人心掌握術の大切さに気付きました。大学時代は海外27か国を一人旅しましたが“視察”だと思っていて、日本の水道技術で川がきれいになって、現地の人々の環境への意識が変わったのを確認し、逆にその国の良いところを日本でもできないかなどと考えていましたね」

失敗もあった。局アナ時代の初期は“10円ハゲ”が3つもできるほど悩んだこともあった。

「自分のアナウンス技術を磨くこと、自分の仕事のための準備にしか集中できず、周囲の共演者やスタッフへの気遣いができていなかった。先輩アナの高島宗一郎さん(現福岡市長)から『そのままじゃ人間として成長しないよ。周囲の人が何を考えているか、察知して行動しよう』と言われ、やっと気付いたんです」

以後は、周囲や取材相手の話を聞く「傾聴力」を信条に、笑顔を絶やさず、大きくうなずき、相手が気持ちよく話せるよう努めたという。独自の空気づくりは、コロナ禍でも新発想につながった。

「コロナ禍だから始められたことも多かったですね。ネット上で全国の物産品を販売したり、ユーチューブで地方の魅力を伝える動画を制作、編集したり。女子アナ47で動画をアップしたメッセージボードに視聴者から感謝の声が集まったのを見たときにはこちらが元気づけられ、涙が出ました」

折しも、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などの女性蔑視発言でジェンダー問題への理解が求められている。

長崎さんは「そのとらえ方こそが今までの日本の男性社会を象徴していますよね。女性には女性の気遣いやパワーがあるんです」とキッパリ断罪したうえでこう語る。

「女性の目線で世の中の女性の役に立つサービスを考えることは武器だと思っています。私自身、2児の母親ですし、母親の目線でも、その地域の教育、環境、仕事などをPRできます」

美人フリーアナはバイタリティーあふれる社長に変貌していた。

☆ながさき・まゆこ 1986年2月12日生まれ、福岡県古賀市出身。北九州市立大卒業後、2008年、九州朝日放送(KBC)にアナウンサーとして入社。11年、退社しフリーになり上京。「スーパーニュース」「はなまるマーケット」などでリポーターを務め、女優としても活躍。15年、女子アナで地方創生を旗印に「株式会社Cheering」設立。同年、結婚、2児の母。

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