船木誠勝が語る藤原組離脱 「北尾八百長発言」SWS騒動に左右され…またも後味の悪い結末

道場開きで笑顔を見せる藤原組の面々。右から冨宅、船木、鈴木、藤原(1991年2月)

ハイブリッドレスラー・船木誠勝(52)が、これまでに遭遇した様々な事件の裏側や真相を激白する大好評企画。今回はプロフェッショナルレスリング藤原組からの「船木離脱事件」をクローズアップする。UWF解散で路頭に迷っていたところを助けられ、ギャラなどでも最高の待遇を受けたにもかかわらず、なぜ船木は藤原組組長・藤原喜明と袂を分かつことになってしまったのか。いま、そのすべてを語る。

【THE FACT~船木が見た事件の裏側(6)】メガネスーパーがスポンサーだった藤原組は何でもすぐに用意されました。自分たちへの支度金はン千万円。700万円くらいのクルマを現金で買いました。給料もそれまでの3倍。百数十万円ですよ。目黒の家賃50万円のマンションに替わりました。タレントの千堂あきほさんとか、芸能人も住んでましたね。

1990年12月にUWFが解散して、翌91年の1月のことです。ついこの前まで「明日のメシ、どうしようか」って言ってたのが、180度逆の暮らし。安心を通り越してダラけたっていうのが正直なところです。

試合は月に1回。内容もUWFのスタイルを踏襲してました。でも、お客を入れるのに苦労してましたね。全日本プロレスから天龍(源一郎)さんを引き抜いたりしたメガネスーパーのSWSは〝金権プロレス〟と一部のプロレスマスコミから批判され、ファンも拒絶反応を示す傾向がありました。藤原組はSWSとは別組織なんで大丈夫かなと思ったんですが、バレますね。

UWFが3つに分かれて、ファンが一番流れたのはUWFの名前を使っていたUWFインター。前田(日明)さんのリングスは新しい形と前田さんの人気でUインターと同じぐらいファンを持っていきました。藤原組は少なかった…。メガネスーパーが動員して客席は埋まるんですが、全然沸かないんです。「UWFの時と同じことをやっているのに、何で応援してくれないんだろう」と、どうしていいかわからなくなりました。

そんな時に異種格闘技戦の話がメガネスーパーから来ました。ロベルト・デュラン(4階級制覇の元ボクシング世界王者)とかモーリス・スミス(元WKAヘビー級王者)とか。盛り上がったんですよ。92年でした。「これだ、異種格闘技路線だ」と思いました。ただ、それも長続きしませんでした。本隊のSWSが解体に入ったんです。

発端は北尾(光司=元横綱・故人)選手の八百長発言でした。91年4月11日、神戸でジョン・テンタと対戦した北尾選手は試合後にマイクを取って「この八百長野郎!」と言い放ったんです。藤原組もこの大会に参戦してて、自分の控室は北尾選手の隣でした。戻ってきてからも北尾選手は大暴れで、入ってきた現場監督だったメガネスーパー社長の田中八郎さん(故人)の奥さんに「うるせーババァ」と椅子を投げつけたりしたんです。

事情聴取の結果、北尾選手は解雇になったんですが、この一件で田中社長のSWSというかプロレスに対する愛情がいっぺんに冷めてしまったんですよ。だから逆に藤原組にデュランとかが送りこまれ、異種格闘技戦が実現するようになったんです。

で、92年の秋でした。藤原さんから「来年はメガネスーパーに契約してもらえないかもしれないから、SWSと一緒にやらなければならないかもしれない。やれるか?」と聞かれました。自分は異種格闘技路線に手応えを感じていたので、SWSに寄せていくのはきついと思いました。自分より言うことを聞かなかったのが鈴木(みのる)です。だから鈴木をクビにするという話になり、それに自分は強硬に反対。

藤原さんにしてみれば面倒をみてるのは自分なのにわがままばっかり言われて、イヤになったんでしょうね。会議で「藤原組のボスは誰だ」と聞かれ、自分は答えず10分近く黙ったままだったんです、すると藤原さんは「もうダメだな。じゃ、解散」。UWFが終わったあと、前田さんに「解散」と言われ、今度は藤原さんにも同じ言葉を言われてしまいました。助けてもらったのにこんなことになって、後味が悪かったです。

でも、バックというか大元がいるというのは怖いことです。大元がやめると決めれば団体は即、立ち行かなくなりますから。好調の新日本プロレスも構図は同じ。この先どうなるか分かりませんよね。

【今回の事件】
藤原組の事実上のオーナーだったメガネスーパーが支援の打ち切りを示唆したことで、藤原組を率いる藤原喜明はメガネスーパーのメーンの資金投入先であるSWSとの合流を模索。これに対して異種格闘技路線に活路を見出そうとする船木、鈴木が反発。1992年12月、2人は藤原組を離脱した。旗揚げから、わずか2年弱の離反劇だった。

☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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