勝負の分かれ目となった犠打失敗 鷹・工藤監督の思惑と代打を起用しなかった理由

ソフトバンク・工藤公康監督【写真:藤浦一都】

ソフトバンクは2012年以来、9年ぶりの交流戦負け越しが決定

■ヤクルト 4ー2 ソフトバンク(12日・PayPayドーム)

12日にPayPayドームで行われたヤクルト戦に2-4で敗れたソフトバンク。8度の優勝を誇る得意の交流戦だったが、この敗戦で5勝8敗4分けとなり、1試合を残して2012年以来、9年ぶりの負け越しが決まった。

2回に松田の右中間を破る適時打で先制。4回には柳田が通算200号本塁打を放って1点を追加し、先行逃げ切りという理想のゲーム展開を作った。だが、5回まで無失点と好投していたマルティネスが6回に山田にソロを被弾。1点差に迫られると、7回には先頭のサンタナに二塁打。ピンチバンターとして起用された宮本に犠打を決められ、中村に適時打を許して同点に追いつかれた。

勝負を分けたのは、その直後の7回の攻撃だ。先頭の甲斐が左前安打で出塁。続く松田に対して、ベンチの指示は送りバントだった。だが、初球はバットに当たらずに空振り。2球目はファウルとなって追い込まれると、3球目もファウルとなり、痛恨のスリーバント失敗。走者を進められなかった。この後、ホークスベンチは川瀬にも犠打のサインを送り、なんとか得点圏に走者を進めたものの、2死二塁で三森が遊ゴロに倒れた。

工藤監督は松田へのスリーバント指示について「何としても(走者を進めたかったということ)です」とキッパリ。「ヘッドとも話をして進めたら、こうして、次の打者をどうして、というところまで考えていたので」とも語った。この場面、松田の後ろでは川島が準備をしており、松田がバントを決め、代打・川島で勝負、というのが、ソフトバンクベンチが描いたシナリオだった。

松田に代えて“ピンチバンター”今宮は「考えていなかった」

この日のベンチメンバーにはバントの“名手”である今宮健太が控えていた。続く川瀬にまで犠打をさせるほどに“なんとしても”走者を進めたい場面であれば、代打・今宮という選択肢もあった。だが、工藤監督は「松田に代えて代打でバントというのは考えていなかった」と断言。その理由も明かしている。

「この前成功している。あれが失敗していれば、考えました。ちょっと難しいだろうな、ということで、今宮くんを出してでもバントで、と。この前バント(のサインを)出して成功している人に、失敗するだろう、というこっちの勝手な憶測で代えることはできないですね。次は考えます」

布石は6月10日の広島戦にあった。1点ビハインドで迎えた8回、左前安打で出塁した甲斐を一塁に置き、松田は一発でバントを決めている。バントの指示があまり出るタイプの選手ではないが、日頃からバント練習も欠かさずに行い、決してバントが下手なわけではない。“決めてくれるはず”という思惑があっての、バントだった。

このバント失敗で流れを逃したのか、8回に2番手の板東が山田に勝ち越し2ランを被弾。この2点が響き、ソフトバンクは痛恨の敗戦を喫した。

ソフトバンク・松田宣浩【写真:藤浦一都】

工藤監督は苦言「出たミスを取り戻せないようじゃダメだと僕は思います」

だが、試合後の工藤監督が発した苦言の矛先はこのバント失敗ではなく、その後に向いた。

「ミスはあるし、クヨクヨしてしてもしょうがない。ミスが出たんなら自分で取り戻せ、と。出たミスを取り戻せないようじゃダメだと僕は思います。それが次の日じゃダメですよね。その日に打席があるなら何としてでも出ると、それくらい強い覚悟で臨まないといけないと思います」

松田は8回に正面のゴロをキャッチできず、エラーを犯した。9回には先頭の代打・明石が死球で出塁し、打席を迎えたが、遊ゴロの併殺打に倒れた。チームの“元気印”であるベテランの姿に、珍しく指揮官も注文を付けていた。

かたやヤクルトは7回無死二塁の場面で、太田に代えて起用された“ピンチバンター“の宮本がきっちりと一発で犠打を決め、これが中村の同点打に繋がった。たかがバント、されどバント。昨今、賛否が分かれる送りバントの成功と失敗が勝負の分かれ目だった。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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