北京ジェノサイド五輪をボイコットせよ|島田洋一 東京オリンピック開催支持を表明したアメリカ。そのアメリカでは、2022年北京冬季オリンピックの開催地変更、さらにはボイコットを求める声が、有力保守政治家を中心に高まってきた。バイデン政権が今後仮に、超党派の支持のもと北京五輪ボイコットを打ち出し、日本が同調を渋った場合、日米関係にヒビが入ることは避けられないだろう。

中国共産党に「プロパガンダの勝利」を与えてはならない

アメリカでは、2022年北京冬季オリンピックの開催地変更、さらにはボイコットを求める声が、有力保守政治家を中心に高まってきた。

口火を切ったのはポンペオ前国務長官である。

2月16日のFOXニュースとのインタビューで、凄まじい人権抑圧が続く中国でオリンピックを開催し、中共に「プロパガンダの勝利」を与えてはならない、と強調した。トランプ政権末期に、中国共産党政権(以下、中共)は「新疆において、ウイグル人イスラム教徒やその他の民族的、宗教的少数派を標的としたジェノサイドおよび人道に対する罪を犯している」と、アメリカ政府を代表して公式声明を発したのが同氏であった。その流れにおいて当然の発信と言えるだろう。

ここで議論を混乱させないため、ジェノサイド(集団殺害)の定義を、ジェノサイド条約(1948年、国連総会採択)に則して見ておこう。単に大量殺害だけを指す狭い定義にはなっていない。

なお訳文は、様々あるなかから有斐閣『国際条約集』のものを採った。編集代表の岩沢雄司東京大学名誉教授は、現在、国際司法裁判所の判事を務める、この分野の世界的権威である。

《この条約において集団殺害とは、国民的、人種的、民族的又は宗教的な集団の全部又は一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為をいう。 a集団の構成員を殺すこと b集団の構成員に重大な肉体的又は精神的な危害を加えること c全部又は一部の身体的破壊をもたらすよう企てられた生活条件を故意に集団に課すこと d集団内の出生を妨げることを意図する措置を課すこと e集団のこどもを他の集団に強制的に移すこと》

この条約を日本は批准していないが、中国は批准している。すなわちこの定義を受け入れている(驚くべきことに、北朝鮮も批准している)。

したがって、ナチスのアウシュビッツ収容所におけるような計画的絶滅作戦が進行しているとは言えないのに(少なくともそこまでの証拠はないのに)、ジェノサイドと呼ぶのは極端だといった議論は当たらない。

物理的な大量殺戮でなくとも、上記の「いずれか」の状態を含めば、国際法上はジェノサイドに当たる。そして、この点、中共の「有罪」は疑う余地がない。

中国はナチスよりも危険

さて、続いてアメリカにおける代表的な北京五輪ボイコット論者ニッキー・ヘイリー元国連大使の主張を見ておこう(2月25日付ウェブ版FOXニュースへの寄稿)。ヘイリーは女性初のホワイトハウス入りを目指す共和党の次期大統領有力候補の一人で、その分、メディアの注目度も高い。

ヘイリーは、トランプ前大統領が「選挙を盗まれた」、本当の勝者は自分だと主張し続けていることには批判的だが、中国への圧力強化など政策面での実績は非常に高く評価しており、緊張をはらみつつもトランプ支持層との関係が大きく壊れたわけではない。

ヘイリーはまず、「もしナチス・ドイツがその後、どういう存在になるか分かっていたら、アメリカは1936年のベルリン・オリンピックに参加しただろうか」と問いかけたうえ、「中国の対外的脅威および国内での暴政に照らせば、アメリカは2022年北京五輪をボイコットせねばならない」と断言する。

ここで注意すべきは、現在の中共は1936年段階のナチスに比べ、遥かに危険かつ暴圧的な存在だという事実である。

1933年に政権を握ったヒトラー率いるナチスは、当初、ユダヤ人に対して嫌がらせを通じた国外追い出し政策を取った。それ自体論外ではあるが、共産党独裁時代のロシア・東欧諸国、現在の中国や北朝鮮のように、「反政府分子」に一切出国を許さず、強制収容所に押し込めて虐待や殺害をほしいままにしたわけではない。まだそこまでは、たとえ望んでもできなかった。

ユダヤ人商店のガラスが粉々に割られ、住居やシナゴーグなどが襲撃、放火されるなど嫌がらせが一気に暴力化した、いわゆる水晶の夜(クリスタル・ナハト)事件は、ベルリン五輪から2年を経た1938年11月9日のことであった。

ナチス政権の下でも五輪開催?

予兆は十分にあったとは言え、特に五輪開催前から期間中、ナチスが反ユダヤ的組織行動を控えたこともあり、「あの時はヒトラーの悪魔性が見抜けなかった」という言い訳にも一定の正当性はある。

また、ナチスはその滅亡の時に至るまで、英米に対抗しうるほどの海軍力は持たなかった。すなわち対外的脅威の質においても、国内の弾圧の質においても、ベルリン五輪当時のドイツは現在の中国より格段に脆弱で曖昧な存在だった。

「ナチス政権の下でもオリンピックは開催され、アメリカを含む多くの国が参加したではないか」という議論はしたがって、北京オリンピックを正当化する論理として甚だ不十分である。

ヘイリーのボイコット論の紹介に戻ろう。 「長きにわたるチベット蹂躙、最近における香港の自由圧殺、民主的台湾に対するほぼ連日の脅迫」、武漢ウイルスを巡る情報隠し、「そして何よりも新疆における暴虐な弾圧」を見れば、「中国が向かう方向は明らかである」とヘイリーは言う。

当然の指摘であり、「これは、アメリカが冬季五輪参加によって栄光に浴させて良い国ではない」という一句に説得的に異論を立て得る人はいないだろう。

選手の名誉より国家の原則

さて、ボイコットと言えば常に問題になるのが、アスリートの立場はどうなるのか、選手が可哀想ではないか、という点である。

「何年ものトレーニングを経たアメリカのアスリートたちから競技の機会を奪うべきではない、と論ずる人々もいるだろう。たしかに、我々の偉大なアスリートのことを思うと激しく胸が痛む。しかし迫害を受けている何百万人という人々、脅威を受けているさらに何百万人という人々の置かれた状況と比較して考える必要がある。競技から得られる個々の、あるいは国家としての栄誉は、アメリカを導く原則の堅持ほどには重要でない」

日本の政治家なら、持って回った言葉を連ね、結論も曖昧に済まそうとするところだが、はっきり言い切るあたり、自由主義圏のリーダー国で大統領を目指す政治家にふさわしい。

北京五輪、参加すれば日米関係に亀裂

ただしあとで触れるように、代替開催地の用意にも言及したほうが良かったと思う。モスクワ五輪の前例に照らしても、そのほうがより説得的かつ前向きの議論になるだろう。

ヘイリーは、バイデン大統領は同盟国にもボイコットへの同調を促さねばならないとし、日本の名前も挙げている。

「冬のオリンピックは、とりわけ人権問題において実績を残してきた自由主義国が占める度合いが大きい。カナダから西欧、中欧、スカンジナビア、さらに日本、韓国に至る国々である」

そのとおり、陸上でアフリカ勢やジャマイカ勢が活躍する夏のオリンピックと異なり、冬は西欧、北欧、北米、日本が参加しなければ、実質的に単なる「中国・ロシア大会」と化すだろう。

ヘイリーは同盟国に同調への期待を寄せるだけではなく、強く釘を刺してもいる。

「もしアメリカが人権問題を理由にオリンピックをボイコットすれば、上記諸国は、そうした暴虐な体制を支えていると見られることに二の足を踏むのではないか」

2019年に出した回顧録でヘイリーは、国連大使としての苦い経験を踏まえ、アメリカが重視する原則問題で背信的行動を取った国々についてははっきり国名を控えておき、しかるべき報復措置を取らねばならない、でなければどこまでも舐められると力説している。

バイデン政権が今後仮に、超党派の支持のもと北京五輪ボイコットを打ち出し、日本が同調を渋った場合、日米関係にヒビが入ることは避けられないだろう。

最後にヘイリーは、「自由世界のリーダーなら、あの邪悪な政権にイメージ上の大きな勝利を与えてはならない。アメリカは2022年北京五輪をボイコットしなければならない」と締めくくっている。一切曖昧さのない議論である。

米議会ですでに決議案が提出

このヘイリーの論考は多方面で引用されている。米保守派の最長老格ニュート・ギングリッチ元下院議長もその一人で、ツイッターでヘイリーの論をリツイートしつつ、はっきり北京五輪ボイコットを唱えている(2月28日)。

「中国共産党のジェノサイドと重大な人権蹂躙に鑑みて、アメリカ(そしてわが同盟国たち)は、国際オリンピック委員会(IOC)が開催場所を中国から他に移す決定をしない限り、2022年オリンピックをボイコットせねばならない」

ここでも、日本を含む同盟国に強く働きかけを行うべきことが示唆されている。

米議会においても、リック・スコット上院議員(共和党)が中心となり、6人の同党議員を共同提案者として、IOCに対し、2022年冬季五輪の開催地変更を求める決議案が上院外交委員会に提出された。各議員が毎年大量に出す決議案の一つとは言え、この辺りの動きは、日本の国会とスピード感が違う。

同決議案を出した議員たちのコメントから、注目すべき部分を引いておこう。

「いかなる状況下でも、オリンピックは世界最悪の人権蹂躙国の一つで開催されてはならない」(スコット上院議員)

「中国共産党は中国人民を抑圧し続けている。我々はそれを新疆におけるジェノサイドや香港で見てきた。2022年冬季五輪の北京開催を許すことは、それらを黙認することに他ならず、あってはならない」(ジェームズ・インホフ上院議員)

「中国共産党によるウイグル人ジェノサイドは、中国にオリンピックの開催資格を失わせた」(トム・コットン上院議員)

「ジェノサイドに該当する途轍もない人権蹂躙に積極関与している国が、オリンピックにせよその他の国際的スポーツイベントにせよ、開催国になる栄誉を与えられるなど正気の沙汰ではない」(マルコ・ルビオ上院議員)

「中国共産党の戦慄すべき人権蹂躙の歴史に目をつぶってはならず、五輪のホスト国という地位を付与することで、共産党指導部に褒賞を与えてはならない」(トッド・ヤング上院議員)

イギリス、カナダでもボイコット論

アントニー・ブリンケン国務長官、ウェンディ・シャーマン副長官をはじめ、バイデン大統領が政権幹部職に指名した人々は、上院の承認審査を受けるに当たって、共和党議員たちから「新疆で継続中の事態をジェノサイドであり、人道に対する罪であると認めるか」と軒並み念を押されている。

少しでも誤魔化そうとすると、「ホールド」(待った)を掛けられることになる。すべての上院議員にホールドの権利があり、たった一人であっても、回答が不十分だとホールドを宣言すると、一定期間、人事手続きが止まる。

そのため、ブリンケンもシャーマンも、おそらく本音では外交の手を縛られないよう適当に答えたかったろうが、「イエス」と明言せざるを得なかった。

傲慢な宥和派として知られるシャーマンの場合、ウイグル人に関するルビオ議員の書面質問に、「イエス。中華人民共和国は新疆において人道に対する罪とジェノサイドを犯してきた(has committed)」と完了形で回答したため、ルビオから、なぜ現在進行形で答えないのか、もう済んだ話という認識なのか、とさらに追及を受けている。

人事承認権を盾に徹底して言質を取っていくあたり、個々の決議案が通る通らないを越えた、アメリカの上院議員の力がはっきり見て取れる。

ジェノサイドと認定した以上、「では開催地を変更するよう、自由主義圏のリーダーとしてIOCに圧力を掛けよ」という第二の論点、「それでもIOCが動かない場合、アメリカは選手団を北京に送らず、大会をボイコットせよ」という第三の論点が、主に野党共和党からバイデン政権を襲い続けることになろう。

こうした野党ないし議会から政府に向けた突き上げは、イギリスやカナダでも見られる。

まずイギリスだが、野党・自由民主党のエド・デイビー党首は、「中国が新疆の収容所を閉鎖し、ウイグル人に対する民族浄化をやめない限り、五輪選手団を送ってはならない」と主張し、英国オリンピック委員会および英国パラリンピック委員会に宛てて、次のような書簡を送った(2月22日付)。 「我々の目の前でジェノサイドが起こっている。あなた方が送るチームは、わが国の最高のアスリートたちであり、いかなる状況下でも、中国共産党のプロパガンダに使われることを許してはならない」

そして、「仮に参加するとしても」として、次のように付け加えている。 「オリンピックの場で抗議活動を行ってはならないという国際オリンピック委員会のルールにも拘らず、アスリートたちは中国政府に対して声を上げることを妨げられてはならない」

日本の野党に存在意義なし

デイビー党首からの同趣旨の質問に対し、ボリス・ジョンソン英首相は、「新疆でウイグル人に加えられている身の毛もよだつような行いにスポットライトを当てたサー・エドは正しい。それゆえ政府としては、英国企業が決して人権蹂躙に関与したり利益を得たりしないよう政策を立ててきた」としつつも、「スポーツのボイコットは、この国において通常好むところではない。それはわが政府の従来の立場でもある」と一歩引いた発言を行っている。

もっとも、昨年10月にラーブ英外相が「一般論としては、スポーツと外交や政治は分けられねばならないと感じているが、それが可能でなくなる一線というものもある」と述べており、政権として今後に含みを残している。

その際ラーブは、ウイグル人と宗教を同じくするイスラム諸国が声を上げないのはおかしいとの認識も示しており、中国の援助攻勢を受けてきたイスラム国が今後どういう対応に出るかが一つの焦点となろう。

カナダでも、やはり野党・保守党のエリン・オトゥール党首が、2022年冬季五輪の開催地を北京から他に移すべきだと主張してきた。その際、「カナダは立ち上がらねばならない。ただし、単騎で突進する必要はない。緊密な同盟国群と協同すべきだ」とNATO諸国に働きかけるよう政府に求めている。

また、カナダの下院(定数338)は2月22日、中国政府がウイグル人にジェノサイドを行っているとの認識を明らかにしたうえで、冬季五輪開催地の変更を求める保守党提出の動議を賛成多数で採択した。与党議員を含む266人が賛成票を投じ、残りは棄権で、反対票を投じた議員はいなかった。

以上見てきた米英加三カ国とも、より立場の自由な野党がボイコット論を先導している。翻って、立憲民主党を筆頭に日本の野党は一体何をしているのか。その存在意義に改めて疑問を感じざるを得ない。

なお、カナダのギー・サンジャック元駐中国大使が興味深い指摘をしている。2022年冬季五輪はとりあえず1年延期とし、その間に別の開催地を探すべきだというのである。ここでも、日本の元駐中国大使で、北京の反発を買うのが必至な同様の主張を公にし得る人がいるだろうかと考えると、嘆息せざるを得ない。

同大使は率直に次のようにも言う。中国は開催地変更を唱える国に強烈な報復を加えると示唆しているが、良い仲間の一員として行動するなら怖くない、「そして中国に対して率先して立ち上がれる国はアメリカだけだ」。

実際、アメリカがどれだけの覚悟でどう動いていくかが、事態の推移を握るカギとなるだろう。

モスクワ五輪のケース

ここで、アメリカのジミー・カーター政権(民主党)が主導し、日本を含む65カ国がボイコットした1980年のモスクワ五輪のケースを見ておこう。

なお、モスクワに選手団を送ったものの、開会式でも表彰台でも自国の国旗を掲げず、抗議の意思表示とした国も15を数えた。

ここで特筆すべきは、当時、反ソ的姿勢を取っていた中国もボイコットに加わっている事実である。 中国政府は現在、「スポーツの政治問題化はオリンピック憲章に背く」と各国の動きを牽制しているが、主催国の行為がある一線を越えた場合、ボイコットも正当化されるとの立場を、自らの行動によって示した過去があるわけである。

さて、以下、当時カーター大統領の補佐官(国内問題担当)だったスチュアート・アイゼンスタットの優れた回顧録や関連資料をもとに、モスクワ五輪ボイコットに至る経緯を追っておこう(Stuart E. Eizenstat, President Carter: The White House Years, 2018)。

オリンピックの開催地をモスクワから他に移すべきとの主張は、人権団体を中心に数年来行われていた。しかしボイコット論が一気に噴出したのは、1979年12月27日のソ連軍によるアフガニスタン侵攻を契機とする。

当初カーター政権は、ソ連指導部が軍の撤退方針を明確にするなら五輪には参加するとの姿勢で、事態の推移を見守った。

しかし撤退の動きが見えないため、カーターはブレジネフ書記長に書簡を送り、五輪開催を1年延期したうえで、その間にソ連軍がアフガニスタンから撤退すれば米国選手団をモスクワに送るという妥協案を提示した。

アフリカ諸国を回ってボイコットの必要を説いたモハメド・アリ

ソ連側はこの提案も無視した。そこでカーターは政権幹部を集めて改めて方針を協議し、「いまから五輪全体をどこか他の場所に移すのは無理だ。モスクワ以外で分散開催するしかない。ギリシャを恒久開催地とすることも考えていくべき」との考えを示した。

側近の間からは、五輪までまだ半年以上あるのでもう少し様子を見たらどうかとの声も出たが、カーターは「はっきり確認しておくが、モスクワでオリンピックが開催される限り、我々は行かない」と明言したという。

アスリートやスポーツ好きの国民には打撃となるものの、ソ連指導部の権威に与える打撃はそれ以上に大きいというのがカーターの判断だった。

この時、カーターはじめ政権幹部誰もの頭にあったのは、1936年のベルリン五輪にアメリカが参加して、結果的にヒトラーの宣伝に利用され、ナチスを怪物化させる一助となった「恐るべき実例」だったという。

もっとも、カーターは同時に、五輪出場を夢に描いて人生を懸け、苛酷なトレーニングを積んできたアスリートたちを絶望に追い込まないため、代替開催地を必ず用意せねばならないとも強調した。

1月20日、カーターは正式に、ソ連軍が1カ月以内にアフガニスタンから撤退しなければ、アメリカはモスクワ大会に参加しないとの声明を発した。代替大会を準備するためにも、それ以上決断を先送りすることはできなかった。アメリカ政府に続き、カナダ政府も同様の方針を明らかにした。

この間、米議会がボイコットを支持する決議を超党派で通して後押ししたことも、政権が意思を固めるうえで大きかったという。

アンドレイ・サハロフはじめ著名なソ連の反体制活動家や知識人から、五輪ボイコットは虐げられたソ連国民を鼓舞する重大な政治的、イデオロギー的メッセージになる、とアメリカはじめ各国政府に決断を促す声も寄せられていた。

プロボクシング・ヘビー級のレジェンドで五輪出場経験も持つモハメド・アリのように、アフリカ諸国を回ってボイコットの必要を説き、カーター政権をバックアップしたアスリートもいた。

こうしたなか、選手や関係者を代表する立場の米国オリンピック委員会も、最終的に苦渋の決断で、モスクワ五輪不参加を宣言した。

代替大会の準備を進めよ

アメリカの方針は決まったが、しかしアメリカのアスリートだけに辛い思いをさせるわけにはいかない。これ以後、カーター政権は同盟各国に対し、一段と強く同調を求めていくことになる。

カーターおよび政権幹部は、演説やインタビューなど様々な機会を通じ、「モスクワ五輪への参加は非倫理的であり、スポーツマンシップに反する」とのメッセージを国際的に発していった。

なかでも、「四つの最も影響力ある国、すなわちアメリカ、中国、西ドイツ、日本」が不参加を決めたことが決定的な意味を持った、とアイゼンスタットは言う。

代替大会については、ボイコット参加国が集まり、「自由の鐘クラシック」の名で、米国フィラデルフィアにあるペンシルベニア大学で陸上の国際大会が実施された。他にも、総称して「オリンピック・ボイコット・ゲームズ」と呼ばれる各種競技の国際大会が分散開催された。胸を張って参加したアスリートも多い。

内容も充実していた。「自由の鐘クラシック」に参加した国々の前回モントリオール大会における獲得メダル数を合わせると、全体の約7割を占めており、実質的にはこちらのほうが五輪と呼ぶにふさわしかった。モスクワ五輪は、ソ連と東ドイツがメダルをほぼ独占するローカル大会と化して終わった。

2022年においても、日米欧を中心に先進自由主義国がこぞって代替大会のほうに参集すれば、間違いなく北京五輪を凌ぐ内容になる。

なお、五輪ボイコットは何もモスクワ大会が最初ではない。1976年モントリオール五輪においても、アパルトヘイト政策を取る南アフリカに遠征してラグビーの試合を行ったニュージーランドをIOCが追放しなかったとして、24カ国が抗議のボイコットをしている。

モスクワ五輪に関しては、注目すべきことに、当時最も先鋭な反米政権だったイランも、同じイスラム国で隣国のアフガニスタンへの侵攻は許せないとして、大会をボイコットしている。

ならば、やはりイスラム教徒たるウイグル人の虐待も座視できないはずだろう。

北京五輪は、今後ますます「ジェノサイド五輪」の名で呼ばれるようになる。ベルリン以上に悪名高いものとして歴史に残るだろう。

もはや代替大会の準備に入るべき時である。我々の先人は、モスクワ五輪不参加に踏み込むと同時に、ボイコットをボイコットだけで終わらせず、前向きの姿勢で「自由の鐘クラシック」 を構想し成功させた。その叡智と勇気に学び、あとに続かねばならない。(初出:月刊『Hanada』2021年5月号)

島田洋一

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