ガンが発覚も毎晩クラブ通い、から一転「鉄人」に!フランチェスコ・アチェルビ【EURO2020はみだし選手名鑑】

11日に開幕したEURO2020。

ここではQolyらしい少し違った角度から“はみだしネタ”が熱いサッカー選手を紹介していくぞ。

コンセプトは「Wikipediaにも載っていない、選手の小ネタを詰め合わせ」だ。

今回はイタリア代表フランチェスコ・アチェルビ!

フランチェスコ・アチェルビの基礎情報

フルネーム: フランチェスコ・アチェルビ
母国語表記: Francesco Acerbi
生年月日: 1988/2/10 (33歳)
身長/体重: 192cm/90kg
出身地: ヴィッツォーロ・プレダビッシ/Vizzolo Predabissi
ポジション: センターバック
所属: ラツィオ

フランチェスコ・アチェルビのキャリア、プレースタイル

ミラノ近郊に生まれ、子供の頃はミランのティフォージ「フォッサ・デイ・レオーニ(Fossa dei Leoni)」の一員だったという。アマチュアのアトレティコ・チヴェーショを経てパヴィアの下部組織で育つ。

といってもパヴィアは下部リーグのチームで、キャリアをスタートしたのも4部リーグ。22歳までは2部以下でしかプレー経験がなかった。

2010-11シーズンのレッジーナ、さらに翌2011-12シーズンのキエーヴォで頭角を現した。そして2012-13シーズン、夢のクラブであるミランへ移籍した。

ここまではシンデレラストーリーのようだ。当時ミランはネスタやチアゴ・シウヴァらが抜けたことでセンターバックも手薄だった。

しかし、ミランではレギュラー獲得はできず、半年でジェノアへ買い取られそのままキエーヴォへ“復帰”のローン。2013年夏にサッスオーロへ移籍すると精巣ガンが見つかり離脱した。

ミラン移籍からガンが見つかるまで、わずか1年。手術は成功したものの同年12月にガンが再発、そこから化学療法を経て2014年9月にピッチへ復帰した。

本人は「私はネスタの13番をつけていたがトレーニングではなく毎日パーティをしていた。サッカーを辞めることも考えたがガンが私の命を救ってくれた。神に感謝する」と『Gazzetta dello sport』に語っている。

ガン治療中でありながら当時のルーチンはひどいものだったという。朝はテレビを見ながら化学療法(彼のお気に入りの番組はハウス、ヒュー・ローリーのシリーズ)、午後は休憩、夜はクラブで朝帰り…。ガン治療の副作用で味覚が効かないためにほとんど食べず、ほとんど寝ないこともあったという。

ある日、恐怖で目が覚めたアチェルビは反省をする。「突然、私は両親に与えたすべての懸念、すべての無駄な機会、そしてクラブで過ごした夜について考え始めました。その朝、私は自分に迫る影を恐れていました。そこで私はセラピストに会い始めました、助けを求めていました」

ガンを克服してからは水、野菜、果物、ブレザオラ(生ハムの一種)、米に食事を絞り、アルコールをやめたという。サッスオーロでは一転、「鉄人」となり2015年10月18日から2019年1月20日までセリエAの連続出場記録を149に伸ばした(サネッティにはかなわず)。

190cm以上の体格で空中戦で圧倒的な強さを発揮し、それでいて足元の技術も持ち合わせボールを持ち出す、パスを出す、攻撃参加も積極的に行う。ゴール正面からであれば、弾丸系のフリーキックでゴールを狙うこともある。

レスターからも獲得のオファーがあったがこれを断り、2019年にラツィオへ移籍した。イングランドに行かなかった理由は、治療も含めてサッスオーロで長く過ごすうちに木曜日の朝はガン患者や障がい者の子供と一緒に過ごすことにしたからだという。

アチェルビには「ライオン」のタトゥーが入っているがそれは同じガン患者だったエリアという男の子に由来する。彼は亡くなってしまったが「エリアは私のライオン」と語り、今もタトゥーに刻んでいるのだ。

イタリアC代表歴があり、2014年11月のアルバニア戦にてA代表デビュー。その後2019年頃にイタリア代表へ定着し、33歳にしてEURO2020メンバーに選ばれ、初の国際舞台をエリアと共に戦っている。

余り知られていないが、兄弟のフェデリコ(Federico)もサッカー選手だ。

フランチェスコ・アチェルビのプレー動画

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