「平将門公展2021―将門公の戦いのDNAと戦国武将」神田明神資料館特別展!

武士のルーツ、 将門公の生き様が与えたと言われる戦国時代の武将たち。 その変遷を神田明神資料館コレクション、 榊原コレクションで辿る特別展「平将門公展2021―将門公の戦いのDNAと戦国武将」が2021年7月2日(金)- 8月2日(月)に開催。彫刻家淺野健一が製作奉納した平将門公命 御神像も特別公開。

神田明神資料館 コメント

平将門公は言わずと知れた武士の先駆者「兵」の頭領でした。 義理人情に篤く人懐っこい性格の人物として『将門記』に記され、 後、 軍記物や戯作、 小説などに登場し、 歌舞伎やドラマで演じられました。 平将門公の人物や歴史についても、 多くの歴史学者が研究し多くの事実が明らかになっております。 将門公は天慶承平の乱により戦死し、 御首が京都で梟首にされた後、 所縁の者が現在の東京都千代田区大手町に墳墓を築きました。 その後、 将門公の御首にまつわる伝説が、 後世多く作り出され『平家物語』や『太平記』などの軍記で物語られました。 時代が降り、 将門公の御霊が凄まじい祟りを起こし人々を悩ましましたが、 時宗の真教上人により慰霊され、 延慶2年(1309)、 神田明神に神として合祀されました。 将門公は神田明神のご祭神として、 荒々しくも頼もしい神と仰がれ、 多くの人々を災いから守る神として崇敬されていました。 戦国時代、 将門公を祀る神田明神は、 江戸城を築いた太田道灌や北条氏綱ら名だたる武将たちからも信仰されました。 また江戸に幕府を開いた徳川家康も関ヶ原の戦いに臨み神田明神に戦勝祈祷を命じ神田明神の大祭・神田祭の日に偶然にも勝利したところから、 非常に信仰され、 江戸時代を通じて「江戸総鎮守」と称され、 その祭・神田祭も後に「天下祭」と呼ばれました。 こうした多くの姿を持つ平将門公は後世の武将や武士たちに尊敬されたことは先にも述べましたが、 将門公とそのDNAを受け継いだ武将たちの資料の展示を通して、 平将門公はじめ多くの武将たちの生き様を、 より深く知っていただきたく存じます。

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