種子島沖・九七艦攻調査 15日から 海没遺骨収容の先駆け、機体引き揚げへ 国内外の海底に36万柱 24年度まで集中実施

海底に裏返った状態で沈む九七式艦上攻撃機=西之表市国上の喜志鹿崎沖

 日本戦没者遺骨収集推進協会は15日、種子島北端の喜志鹿崎(きしがさき)沖(西之表市国上)に沈む旧日本海軍の九七式艦上攻撃機(九七艦攻)の遺骨調査を始める。22日までの間、遺骨のほか遺留品収集、機体の引き揚げを予定する。調査は、政府が2021年度から本格的に始める海没遺骨収容の先駆けとなる。

 これまで“水葬”扱いとし、基本的に引き揚げていなかったが、観光目的のダイバーらの目に触れて戦没者の尊厳が損なわれるケースが近年問題となっていた。そのため遺骨収集を国の責務と定める戦没者遺骨収集推進法(16年4月施行)を背景に昨年末、方針転換した経緯がある。

 厚生労働省によると、太平洋戦争中に約3000隻の艦船が国内外で沈没。現在も海外の海底に約30万柱、南西諸島など日本近海に約6万柱の軍人軍属の遺骨が眠ったままだ。これには疎開学童や引き揚げ者ら民間人が含まれておらず、漁船の被害なども明らかになっていないことも多く、犠牲者はさらに多い。

 海没遺骨は、収集費用がかかることや「海が墓場」との考えもあり、原則引き揚げてこなかった。収容遺骨約128万柱のうち、沈没艦船から収容したのは中部太平洋やフィリピンなどの670柱にとどまる。

 しかし観光ダイビングの普及で、遺骨の画像が会員制交流サイト(SNS)に掲載されるケースなどが目立つようになった。同推進法が24年度までを遺骨収集の集中実施期間と定めており、議論を開始。海中での業務従事者らと連携し、国内外で積極的に情報を集めることにした。種子島の場合も、地元ダイバーらの調査が端緒となった。

 情報が寄せられた場合、その精度に応じ、主にダイバーが活動できる水深約40メートルまでを基準に、技術面、安全面を考慮した上で遺骨を収容できるか検討する。21年度は喜志鹿崎沖のほか、10月ごろトラック諸島に沈む艦船からの収集を予定している。

 今回の調査チームは地元ダイバーら約10人。爆弾を搭載していた可能性があり、初日は危険物の有無を確かめる。海底を手で掘りながら遺骨を探し、21日にも機体を引き揚げる流れ。

 九七艦攻は3人乗りで、喜志鹿崎沖北約300メートル、水深約18メートルの砂地に裏返った状態で沈む。両主翼の半分を失い、操縦席が埋まっている。残存部分は長さ8.8メートル、幅7.3メートル。

図・海底に沈む九七式艦上攻撃機のイメージ
地図・沈没地点

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