もうすぐ都議選2021!都議選はなぜ7月に行われるの?国政まで巻き込んだ「地方議会の自主解散」制度の制定にまつわる「ある事件」とは

今年の7月に東京都議会議員選挙が行われます。過去の都議選は統一地方選の時期に行われていましたが、今のように統一地方選から外れるようになったのは1965年からです。このきっかけとなったのは都議会を襲った大事件でした。この大事件は国政をも巻き込み、地方議会の自主解散という新たな制度を作ることになりました。今回はこの都議選を襲った大事件について紹介します。

東京都議会議長をめぐる汚職事件の発覚

大事件が起きた1965年当時の都議会を見てみましょう。1955年に自民党が結党されて以降、常に自民党が都議会第一党となり、議長を輩出し続けていました。都議会議長は給与が一般議員より高いほか、議長交際費や議長外遊の際に多額の餞別が受け取ることができるなど、非常にうまみのあるポストになっていました。このため、多くの人にポストを回すということになり、議長は1年で辞任して別の議員を自民党内で選挙を行って選出し、その人物を次の議長にするのが慣例になっていました。

1965年2月にこの慣例に従い、当時の議長が辞表を提出し、自民党内の議長候補指名選挙に勝った人物を新議長に選出しました。しかし、新議長を制定した直後に党内の指名選挙をめぐって、金銭や物品を送った贈収賄が発覚し、複数の都議会議員が逮捕されるという驚くべきことが起きました。さらにその後も贈収賄が立て続けに発覚し、選出されたばかりの議長が逮捕されるなど最終的に10人以上の都議が逮捕や起訴をされるという前代未聞の事態となったのです。

この汚職の特徴的な点として、現在の感覚からは信じられない事に「洋服や時計を送るのは単なる儀礼」と議会で釈明する都議がいるなど全体的に罪の意識が薄かったことや捜査関係者から証拠品の提出を求められた際に余りにももらったものが多かったため、どれだかわからないと言った都議がいたという話が出たほど大規模なものであることが挙げられます。

混乱する東京都議会

この議長選の汚職事件以前から、都議会を中心とした都政でいくつかの汚職や不正が発覚するなどして、都民の不信感は高まっていました。そこに前述した選出されたばかりの議長を含めた複数の都議が逮捕される前代未聞の大規模な汚職事件が起きた上にこの汚職事件と同時期に別の汚職や恐喝事件が発覚するなどし、最終的に17人の都議が起訴されたため、都民の不信感は頂点に達しました。そして、世論は都議会を解散して選挙をすべきという方向に動きました。当時、地方議会の全議員を再度選出させる方法は次の3つしかありませんでした。

・首長(都議会の場合は都知事)の不信任案を議会で可決し、首長が議会を解散させる
・有権者による議会のリコール
・全議員が議員辞職する

このうち、都知事の不信任案は都政与党の自民党が同調せず、リコールは当時、約232万人以上の署名を集める必要があったため、現実的な選択肢とは言えませんでした(ただし、リコールを目指した大規模な運動は行われていました)。最後の手段は全議員が議員辞職するというもので、当時の野党であった都議会第二党の社会党は自民党に対し、全議員が辞職するように迫りました。

これを受けた自民党は協議を行いました。そして、自民党本部がこの年に行われる参議院選に悪影響があるとして辞職に応じるように説得するなどもあり、これに応じる決定をしました。しかし、その後、決定に反して一部議員が辞職を拒否したため、これを見た別の党派の一部議員も都知事不信任案可決の方針を掲げて辞職を拒否する姿勢を見せるなどし、都議会は混乱しました。このような中、都民の怒りはますます増し、参加者が千人を超えるデモが発生するなどしました。

国政を巻き込んだ地方議会自主解散の制定

このような都議会の状況はついに国政を巻き込むことになります。社会党本部が地方議会の自主解散をできる制度を法律で定めることを提案します。これは様々な議論を呼び起こしましたが、都議会初の都知事不信任案が否決されたため、現実的な解決策はこれしかないとして、自民党本部も応じる姿勢を見せました。

そして、様々な議論の結果、「地方公共団体の議会の解散に関する特例法」という法律が衆議院と参議院で可決され、1965年6月に公布施行されました。この法律の内容とは、地方議会で3/4以上の議員が出席し、その出席者の4/5以上の賛成があれば、地方議会を自主的に解散できるというものでした。この法律を受け、臨時都議会がすぐさま招集され、都議116人中106人が出席し、都議会を解散させる決議が106人の全会一致で可決されたのです。

これを受け都議会は解散し、7月に選挙が行われました。選挙結果は社会党が初の都議会第一党となり、初めて社会党から都議会議長が選出されました。なお、議長選の汚職と同時期に起きた別の汚職や恐喝事件で起訴された合計17人の都議ですが、公判中に死亡した2人を除いた15人全員が有罪となり、多額の追徴金や執行猶予付きとはいえ懲役刑といった厳しい判決が下されました。ただ、このうち2人は1969年の都議会で再び自民党の公認を得て当選し、都議に返り咲いています。

まとめ

この事件は都議会の選挙日程が変わった以外にも様々な影響を及ぼしました。この中には国全体に及ぼすものもあり、前述した地方議会の自主解散以外にも、有権者が多い場合、リコールの署名数の条件が緩和されるきっかけを作りました。また、都議会は議長と副議長を別の党派から出すことや議長の任期は原則2年とすること、基本的に議長と副議長は事前に申し合わせて、本会議では全会一致で決めるという不文律が生まれました。

© 選挙ドットコム株式会社