ビッグバン・ベイダーの最初で最後の自伝『VADERTIME ベイダータイム、皇帝戦士の真実』、6月18日(金)より全国順次発売!

株式会社徳間書店は、1980年代後半~2000年代にかけ、“皇帝戦士”の異名で世界中のメジャー団体をはじめ、日本でも新日本プロレス、全日本プロレスを中心に活躍、2018年6月18日に63歳という若さで惜しくもこの世を去ったプロレスラー、ビッグバン・ベイダーの最初で最後の自伝『VADERTIMEベイダータイム皇帝戦士の真実』を、ベイダー氏没後3回目の命日となる6月18日(金)より、全国順次発売する。

1955年5月14日、カリフォルニア州のコンプトンで一人の大きな赤ん坊が生を受けた。名前はレオン・ホワイト。レオンは驚異のスピードで成長し、小学校4年生の頃に父の勧めでアメリカンフットボールを始めた。高校、大学と目覚ましい活躍を続けたレオンは、76年、77年と全米代表にも選出される。しかし、練習中に膝蓋腱を負傷、最終的に腱の断裂にまで至ってしまう。そんな重症にもかかわらず、1978年にロサンゼルス・ラムズにドラフト3位で指名され、誰もが夢見るNFL選手になることを成し遂げる。入団後は怪我も回復し、憧れの地、スーパーボウルのフィールドに立つも、再びあの膝蓋腱を断裂、そして引退と、レオンのNFLキャリアは短命に終わる。

その後、セカンドキャリアとして不動産業を経て、1985年にアメリカ最大の規模を誇るAWAからレオン“ベビー・ブル”ホワイトのリングネームでプロレスデビュー。ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンといった、日本でも認知度の高い人気レスラーたちに鍛えられたレオンはAWAでのキャリアも軌道に乗り、妻デビ―との間には一人息子のジェシーも授かった。そしてドイツとオーストリアを拠点とするCWAにも参戦。時を同じくしてリングネームをレオン“ブル・パワー”ホワイトと改名。1987年3月22日、初のメジャー団体での王座を獲得する。

CWA参戦後は、当時新日本プロレスのオーナーだったアントニオ猪木の要望で日本へ赴き、1987年12月27日、両国国技館で開催された新日本プロレスの大会に、日本でのマネージャーとなったビートたけしより、「たけしプロレス軍団の皇帝戦士」として紹介され、ビッグバン・ベイダーとして日本のリングにデビュー。4年間無敗記録を更新中だった猪木に圧勝する。その後の活躍については、プロレスファンの多くが知ることではあるが、新日本でIWGPヘビー級王座、全日本で三冠ヘビー級王座と、両タイトルを獲得した最初のレスラーであり、唯一の外国人レスラーでもある。両団体以外にも、プロレスリング・ノア、UWFインターナショナル、WJプロレス、ドラディションほか、全盛期から晩年まで、日本の多くの団体に参戦し、その人気と実力を遺憾なく発揮した。

キャリアの晩年は度重なる怪我や持病、妻との離婚、さらにアルコールやドラッグに溺れ、遂には死の淵を彷徨う状態にまで体調を崩すものの、最愛の息子ジェシーのプロレスデビューをサポート、遂には一緒にリングに立つまでに回復するが、心臓に抱えた病は重篤で医師から余命2年の宣告を受ける。その後、手術をし、、健康回復に努めたが、重篤な肺炎を起こし、2018年6月18日に帰らぬ人となる。本書は、アスリートとして類まれな身体能力にめぐまれたプロレス界きってのパワーファイターの生涯を、余すところなく描いた唯一無二の自伝です。プロレスビジネスの独特の仕組み、肉体を懸けたビジネスとの対峙、死への覚悟、そして最愛の息子との別れなど、一人の人間の苛烈なる生を描き切った秀逸なノンフィクションとなる。

ビッグバン・ベイダー著『VADERTIME皇帝戦士の真実』(徳間書店):https://www.tokuma.jp/book/b584904.html

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