体操・白井健三引退 両親、指導者ら「お疲れさま」「革命起こした」

リオデジャネイロ五輪で白井の戦いぶりをスタンドから見守る父の勝晃さん(左)。右隣は母の徳美さん=2016年8月

 体操のリオデジャネイロ五輪金メダリストで横浜市鶴見区出身の白井健三(24)が16日、現役引退を表明した。少年時代から支えてきた指導者たちは「体操界に革命を起こした」とたたえ、父で体操クラブ代表の勝晃さん(61)も「お疲れさまと言いたい」とねぎらった。

 両親が運営する鶴見ジュニア体操クラブ(横浜市鶴見区)。2人の兄の背中を追い、まだおむつをはいていたころから白井は体操を始めた。多くの五輪選手を輩出し、中学時代から白井を指導してきた水口晴雄コーチ(61)は「年齢を考えればまだできるけど、健三の場合は早咲きだから」と受け止めた。

 2011年、中学3年生で出場した全日本種目別選手権の床運動で2位に。13年には高校2年生ながら世界選手権で日本代表入りし、金メダルに輝いた。驚異的なひねり技で異次元のスコアをたたき出し、世界中の体操ファンから「ミスターツイスト」とたたえられた。

 競技会場では大会前の練習で白井の練習場所に海外のライバルたちが集まった。こぞってひねり技を撮影し、自身の練習でまねをしていた。「多少のミスでも金メダル。健三が時計の針を一気に進めた」と水口コーチは評する。

 日本体操界をリードし、やがて「内村航平の後継者」と目されるようになった。ただ、床運動と跳馬の2種目が得意の白井にとって、全6種目で世界トップクラスの演技ができる絶対的エースを重ねる声は「間違いなく重荷だった」(水口コーチ)。リオデジャネイロ五輪後、けがに泣かされても休養を選ばず、練習に明け暮れる姿を「(内村)航平の背中を追い、弱い姿を見せようとはしなかった」と振り返った。

◆岸根高時代の恩師は

 現役最後の大会となった6月の全日本種目別選手権も笑顔を貫いた。五輪代表入りを逃しながら、床運動で2位に入った。くしくも表彰台でプレゼンターを務めたのが、岸根高校時代に体操部顧問を務めた日本体操協会の竹内輝明副会長(69)だった。

 「おめでとう」「ありがとうございます」。メダルを首に提げ、いつもの笑顔をのぞか せた。「最後まで健三スマイルだった。あの時はまさか辞めるとは思わなかった」。引退の決断に「周囲に弱音をこぼさなかった。本当はつらかったんだと思う」と思いやった。

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