アイドル四天王、80年代の終わりに向かい時代を席捲! 浅香唯、工藤静香、中山美穂、南野陽子… アイドルがもっともアイドルらしかった最後の時代

アイドルがもっともアイドルらしかった最後の時代。 80年代の終わりに向かい時代を席捲した「アイドル四天王」の魅力を、Re:minderで徹底特集!

アイドル四天王とは?

「アイドル四天王」とは、浅香唯、工藤静香、中山美穂、南野陽子。昭和の終わりにお茶の間で人気を博した女性アイドル4人の総称である。厳密に言ってみれば、この言葉が浸透したのは1988年から。このネーミングの起点は、テレビ情報誌『ザ・テレビジョン』による特集記事からだとされている。この総称は、1990年まで各メディアで頻繁に使用されていた。つまり、昭和の終わりから平成の始まりにかけて、時代の転換期にトップに君臨した4人の軌跡は、グループアイドルが主流である今振り返ってみても、アイドルがもっともアイドルらしかった最後の時代だと言えるだろう。

1988年にアイドル四天王と呼ばれた4人は、おニャン子クラブの中で結成されたユニット「うしろ髪ひかれ隊」を経た工藤静香のデビューが1987年であったが、浅香唯、中山美穂、南野陽子が1985年デビューの同期だった。つまり、アイドルとして評価されるべき大きなポイントのひとつとして挙げられるフレッシュさを超えた部分、彼女たちの歌に、ドラマに、グラビアにという多方面に渡る活動が実を結び、世間に認知されたという、彼女たちのプロフェッショナルな姿勢が評価されての称号であったことは言うまでもない。

80年代はアイドル激動の時代だった

ここで、アイドル四天王をお茶の間を席捲するまでの80年代アイドルの変遷を俯瞰してみたい。

80年代はアイドル激動の時代であった。山口百恵から松田聖子へ… というトップアイドルの政権交代から始まり、松本伊代、小泉今日子、堀ちえみ、早見優、石川秀美… といった「花の82年組」はアイドルの多様性を開花させていく。その中から、抜きんでた歌唱力と表現力を兼ね備えた中森明菜は80年代を代表する歌姫として、様々なスタイルの楽曲の中で、その主人公を演じ、今も多くの人の心の中にその残像を鮮やかに残している。

そして、1985年には、おニャン子クラブの登場により、ルックス、歌唱力とは別の観点からのアイドル像が生まれる。それは「クラスの気になる女の子」といったアマチュアイムズであり、この戦略が功を奏しファンとの距離をグッと縮めた。これは80年代に生まれたアイドルに新しい価値観だったのかもしれない。しかし、そんな価値観を後に覆すべく同時期にデビューしたのが浅香唯、中山美穂、南野陽子ら「アイドル四天王」だった。

アイドル四天王の立ち位置とは全く違った価値観として登場したのはおニャン子クラブだった。フジテレビ系夕方5時から放送されていた『夕やけニャンニャン』のスタートが1985年の4月1日。瞬く間に人気に火がつき、デビュー曲「セーラー服を脱がさないで」がリリースされたのが、その3か月後の7月5日だった。ここでなんとも興味深いのが、アイドル四天王のうち3人、浅香、工藤、中山は、このおニャン子クラブのデビューより1か月早い同年の6月にファーストシングルをリリース。デビューを果たしているということだ。

アイドル四天王、本格始動は1987年から

当時一歩抜きん出た存在だった中山美穂は、『毎度お騒がせします』ののどか役で鮮烈にデビュー。映画『ビーバップハイスクール』のマドンナ、泉今日子役のツッパリイメージを保ちながらも、竹内まりやが楽曲を手掛けた「色・ホワイトブレンド」、ユーロビートアレンジの「WAKU WAKUさせて」など様々なタイプの楽曲をチャートに送り込んでいった。他方、南野初のオリコンチャート1位を獲得した「楽園のDoor」は1987年1月にリリース。浅香初のオリコンチャート1位を獲得した「虹のDreamer」に至っては1987年9月のリリースである。

ここに、1987年9月にソロデビューを果たした工藤が加わり「アイドル四天王」の称号が与えられることになるのだが、1985年のおニャン子旋風、同期にデビューした浅香、中山、南野にしてみれば、2年の月日を要したことになる。

アイドル四天王の中では遅咲きだった工藤静香。彼女のソロデビュー時期の歌唱力もまた、プロフェッショナルと呼ぶに相応しい力量であったが、浅香。南野のプロフェッショナル性は、ナチュラル・ボーンな要素に加え、南野、浅香にしてみても、『スケバン刑事』二代目、三代目に抜擢され、アクションシーンも厭わない体当たりの演技や、長引く収録の中、コンスタントにリリースされていく楽曲や、グラビアなどを果敢にこなし培っていった精神性が2年後に花開いたことに特化される。

そして、1987年以降、浅香唯、工藤静香、中山美穂、南野陽子。キャリアも個性も全く違った4人がそれぞれのキャラクターを活かしながら歌謡シーンを席捲。これに活性化したバンドブームも加わり、様々な形態の楽曲がひしめき合ったヒットチャートに花を添えていった。

アイドル四天王、それぞれの活動ぶり

可憐で、アイドルというパブリックイメージを存分に体現していた浅香唯は、NOBODY、木根尚登、織田哲郎といった稀代のヒットメイカーとコラボレートしながら連発したヒット曲は、ファンに極めてポジティブなモチベーションを与えた。同時に『スケバン刑事』、映画『YAWARA』で魅せた体当たりの演技は、今なお語り継がれるアイドル史に欠くことの出来ない軌跡だと思う。

小学校の時から児童劇団に所属していた工藤静香は、セブンティーン・クラブからおニャン子クラブへ… というキャリアを持ち、グループアイドルの中でも隠し切れないアンニュイな雰囲気を醸し出していた。そんなパーソナルな魅力がソロデビューで一気に開花。類まれな歌唱力も相俟って、中島みゆきからの楽曲提供で、唯一無二のシンガーとしての個性も確立していった。

中山美穂のキャリアの起点は、ツッパリ少女という時代性に即したキャラクターであった。80年代後半からすでに女優と歌手活動を両立させていく。1992年には、WANDSとコラボレートした「世界中の誰よりきっと」でミリオンセラーを記録。アイドルから大人の女性の魅力を克明に描くことの出来る表現者へと成長していった。

南野陽子は、当時のアイドルの中での古風なお嬢様的なキャラクターとして注目を浴びる。そして、ラジオ番組、『南野陽子 ナンノこれしきっ!』でラジオパーソナリティとして唯一無二の魅力を発揮しながら、『スケバン刑事』を経てNHK大河ドラマ『武田信玄』など、多くの映画やドラマに出演。アイドルの枠を超えた活躍で幅広いファン層に支持されていった。

このように、4人が、数多くの楽曲をヒットチャートに送り込み、4人それぞれがオリコンチャートで1位を記録する楽曲をリリースしていった80年代後半。今当時を振り返ってみても、そのプロフェッショナルな履歴は、改めて再評価すべく80年代の重要事項であることは言うまでもない。

Re:minderが総力を挙げて特集する「アイドル四天王」―― アイドルがもっともアイドルらしかった彼女たちの軌跡を振り返ることで、彼女たちの楽曲の素晴らしさはもとより、昭和ポップスの終着点とも言える時代の音を再評価することもできるだろう。また、多忙を極めながらも時代の輪郭を作り続けた彼女たちの軌跡に敬意を表し、今なお根強いファンを持ち続けるそれぞれの魅力も徹底解剖していきたい。

文:本田隆(ライター / リマインダー)

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