東京五輪で日本に立ちはだかる可能性も… オリの功労者ディクソンが刻んだ8年の足跡

米国代表としてプレーするブランドン・ディクソン【写真:Getty Images】

家族の来日が困難なため5月27日にオリックスを自由契約に

ブランドン・ディクソン投手は2013年にオリックスへ入団して以来、2020年シーズンまで8年間にわたって奮闘を続けてきた。在籍9年目となる予定だった今季も活躍が期待されたが、新型コロナウイルスの影響で家族の来日が難しくなった影響もあり、5月27日をもって自由契約に。持ち場を問わずにチームに貢献し続けた助っ人右腕の退団は、多くのオリックスファンから惜しまれた。

今回は、ディクソンがオリックスに在籍した8年間で見せた投球について、実際の映像や数字をもとに振り返る。ナックルカーブを武器に、チームに求められた役割で結果を出し続けた優良助っ人の足跡を見ていきたい。

まず、ディクソンがNPBでの8年間で記録した、年度別成績を見ていきたい。

ブランドン・ディクソンの年度別投球成績【画像:(C)パ・リーグ インサイト】

来日1年目の2013年から先発として防御率2点台の好投を見せると、2014年にはチームがソフトバンクとの熾烈な優勝争いを演じるなかで、先発陣の一角として奮闘。この年の先発陣は強力リリーフ陣の影響で継投が早くなる傾向にあったが、規定投球回に到達していたことも特筆に値するだろう。

その後も先発陣の中心的存在の一人として活躍を続け、2014年から3シーズン連続で9勝を記録。毎年あと一歩のところで2桁勝利には手が届かなかったものの、2015年にはキャリアベストの防御率2.48を記録するなど、一定以上の働きが常に計算できる投手だった。2018年は初めて投球回が100を割り込んだものの、防御率は例年通りの安定感を保っていた。

長年先発として活躍してきたディクソンだったが、2019年は故障で出遅れたことに加え、抑え不在のチーム事情もあり、1軍合流後はクローザーとして登板を重ねた。故障明けかつ、シーズン途中からの抜擢にもかかわらず、新たな持ち場でもチームの穴を埋める活躍を見せ、マルチな才能の一端を垣間見せた。

ブランドン・ディクソンの年度別投球指標【画像:(C)パ・リーグ インサイト】

先発では打たせて取るスタイル、救援では空振りを狙う投球にシフト

続けて、ディクソンが記録した各種の投球指標を紹介しよう。

ディクソンは、ゴロアウトが占める割合が高い典型的な“グラウンドボールピッチャー”として知られた。打たせて取る投球スタイルを軸としていたことは、通算奪三振率が6.79という数字にも裏付けられている。

具体例としては、奪三振率が7.30と比較的高かった2016年は、防御率が4.36とNPB移籍後ではワーストの数字に。一方で、奪三振率5.69と最も低かった2017年の防御率は3点台と大崩れしていなかった。こうした傾向からも、奪三振が多いシーズンは好調とは一概に言えない投球スタイルだったことがうかがえる。

また、投球内容そのものだけでなく、制球面でも一定の水準を保ち続けていた。先発時代の与四球率は6年連続で3点台以下と、どのシーズンも大崩れはせず。奪三振が多くないにもかかわらず、K/BBが2.00を下回った年は2度のみという点も制球力の証明と言えよう。特に、2017年以降は2年続けて与四球率が2点台とより安定度を増しており、ベテランとなってからの投球にはより円熟味が加わっていた。

しかし、2019年に先発からリリーフへ転向してからは、ピッチングスタイルにも少なからず変化が見られた。2019年には来日後初めて奪三振数が投球回を上回ったが、与四球率は2年続けて4点台に。打たせて取る投球が持ち味だった先発時代とは異なり、より空振りを狙っていく方向へとシフトしていたことがうかがえる。

以前とは大きく異なる投球スタイルに変化したにもかかわらず、リリーフ転向後も防御率は2年続けて3点台と、一定水準の投球を見せていた。クローザーとして絶対的な安定感とは言えなかったものの、これらの数字は、持ち場の変化に応じたスタイルの転換と、それを可能にした引き出しの多さ、ならびに高い適応力を示したものでもある。

東京五輪米国代表として再び日本の地を踏む可能性も

抜群の切れ味を誇ったナックルカーブと、牽制のような小技も含めた投手としての技術の高さを武器に、オリックスの投手陣を支え続けたディクソン。それだけでなく、真面目な性格で、チームメートの助っ人にも助言を惜しまず、来日後に生まれた娘に「ナラ」と名づけるなど、日本の球界や文化へのリスペクトも持ち合わせた、優れた人格の持ち主としても知られていた。

残念ながら2013年から在籍したオリックスを離れることになったが、今年、日本の地でファンと“再会”する可能性があるのをご存じだろうか。フリーエージェントの選手やMLB球団傘下の選手で構成されている、2021年東京五輪に向けた野球アメリカ代表のロースターの一員として、ディクソンが登録されているのだ。

ディクソンは昨季、家族の来日が叶わなかったため単身赴任で登板を続けていた。今季は家庭の事情で退団することになったが、短期間での来日という形で、再び日本の地を踏むかもしれないということだ。ディクソンの雄姿と、打者を手玉にとる宝刀ナックルカーブが、日本のマウンドで再び披露されることを心待ちにしたいところだ。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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