20年超の政治家生活は、郷土への恩返し「日本のあるべき姿を、東京が先取りする姿勢が大事」(東京都議・本橋ひろたか氏インタビュー)【PR】

東京都豊島区で生まれ育ち、学んできた東京都議(豊島区選出・都民ファーストの会)本橋ひろたか氏。「郷土の役に立ちたい」と豊島区議を5期・18年務めたのちに都議となり、現在4年目です。「東京都は、日本という国が『こうあるべき』という姿を先陣を切って示していくべき」と語り、特に、福祉・教育・防災分野に注力してきた本橋氏。政治家となったきっかけとは?今後の目標とは?ご本人に聞きました。

選挙ドットコム編集部(以下「選コム」):政治家になろうと思われたきっかけは何でしたか?

本橋ひろたか氏(以下「本橋氏」):子供のころから、区議だった父は、小学校のPTA副会長や地元町会長など、長年地域とのつながりの強い役目を担ってきていて、その背中を見て育ちました。小学生の頃から町会の会館に出入りして、婦人部の人たちから梨などをもらったりして、町会の人たちにはかわいがってもらいました。そこから政治は身近にあったと言えますし、その世界に進む流れも、選択肢として既にあったということができます。

父の姿や、たくさんの地元の先輩方に教えていただき、優しくしていただいたことを、恩返しとして、今度は私が子供たちの世代に返す番だと強く思っています。

豊島区議2期目の当選。妻と一緒に目入れをする本橋氏(右)、ダルマを手で支えてくれているのが、背中を見て育ってきた父。

選コム:政治家としてこれまでに、特に力を入れて取り組んできたことは何ですか?

本橋氏:1999年に区議会議員に初当選して、その後結婚して子育てにも関わったのですが、当時は豊島区に小児救急医療がなかったんです。これは問題だなと。そこで区の医師会の先生方と連携して、小児救急医療制度を提案し実現しました。これは今でも存続しています。

それから、障害者福祉です。私の中学時代には、障害児学級がありました。普通学級とはあまり行き来がなかったのですが、野球部時代に、障害児学級の窓ガラスを割ってしまったことがありました。部活の練習後、割れたガラスを片づけに行くと、障害児学級の生徒たちが掃除してくれていたんです。学校の用務員さんにもきちんと伝えていてくれて。それ以来、「障害児」と呼ばれる方々にも関心がわき、政治家になってから障害者福祉にも力を入れてきました。

かつて区が主催する「豊島区障害者美術展」というのがあったのですが、芸術に健常者も障碍者もないのではと、区議会の予算特別委員会で提案して、区民から公募し「豊島区ときめき想造展」となりました。こうした細かなところから、人の意識は変わるものだと思っています。

選コム:地域に根差した政治家だからこそ気が付く、変えられることも多いですね。

本橋氏:はい。地元のことに取り組んできた区議の経験は大きかったです。「選択的介護」といって、豊島区がモデル事業実施の自治体となって、これから全国的に採用されていくものと思います。介護保険サービスと保険外サービスを組み合わせることで、一人ひとりの生活に合わせたサービスを選択できる制度にしていくことが大切です。

例えば、これまでの介護保険制度では、デイサービスにいるおばあちゃんを家族で迎えに行って、その帰りに皆で映画を見てこよう、というのができなかったのですね。送迎で家族を乗せられないので、一度家に戻って映画館に行かなくてはいけない。使い勝手が硬直化していたのです。こうした細かな部分の改善を、区と都とで連携して進めていけるのは、区議経験のアドバンテージだと思います。(選択的介護の詳細は豊島区の公式サイトへ:https://www.city.toshima.lg.jp/428/kaigo/2103221549.html

都議会議員になってからはほかにも、現在年間7億円の経費節約に繋がっている工業用水道事業の廃止や、民間の活力やアイデアを借りつつ都で保有する築地市場跡地の計画などにも携わってきました。

 

「日本に必要とされる有能なリーダーを輩出していきたい」と、自身が主宰する政治塾「本学塾(本橋弘隆と共に学び育つ塾)」の塾生たちと本橋氏(中央)

選コム:東京都の役割とは何でしょうか?

本橋氏日本が『こうあるべき』という姿を、先取りしてく姿勢が大事だと考えています。デジタル庁の創設の前にも、デジタル局を東京に作ろうと我々が国に先んじてやってきたこと。『こうあるべき、ここを変えるべき』というところに先鞭をつけて、大いなるきっかけ示すのが東京の役割だと思います。

選コム:そんな東京都を引っ張るリーダー・小池百合子さんはどんな方ですか?

本橋氏:2005年の郵政解散の時から、小池さんとの政治的連携が始まりました。当時から『この人はリーダーシップのある人だな』と関心していました。刺客第一号と言われた小池さんを当時の東京10区の有権者の皆さんに繋ぎ、小泉旋風が吹き荒れる中、見事当選を勝ち取りました。

環境大臣をされていた時の「クールビズ」もそうですが、メッセージ性や企画力、アイデア、実行力はすごい。それが今、都知事としてもいかんなく発揮されています。コロナ禍での「ステイホーム」や「3密」などもそうですが、メッセージを発信して、人に共感させる力があります。天性の「共感を呼ぶ女性」ですね。

 

郵政解散時の小泉純一郎首相(当時)の小池ゆりこ氏への応援演説。左が司会の本橋氏

選コム:政治家として今後、やり遂げたいことは何でしょうか?

本橋氏:政治が敷居の高いものと思っている若い世代の人たちに、地域を良くしたいという思いがあれば飛び込める世界だよと、若いうちに伝えるための、若者向け政治塾を続けています。今後は、より活発に活動してどんどん政治の世界に飛び込む若者を育てていきたい。

これまで私が取り組んできた福祉や教育、防災・減災、日本の良さ、歴史や伝統を正しく認識してもらえるように、そこのところをしっかりと伝えきれる塾へと進化させて、日本に必要とされる有能なリーダーを輩出していきたいです。次の時代を「この人に担ってもらいたい」と、周りから思われる若者を育てていきたい。そのためならあらゆる意味で自分は犠牲になっても構わないとすら、考えています。

選コム:貴重なお話をありがとうございました。

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