南野陽子「はいからさんが通る」卒業式の袴の定番化はこの映画の影響? アイドル四天王のひとり南野陽子、時代の転換期にトップに君臨したアイドルたちの軌跡

__80’s Idols Remind Me Of… Vol.30
南野陽子 / はいからさんが通る__

もはやアナザーレヴェル! 南野陽子の存在感

50歳を過ぎた昨今も(2021年6月23日で54歳!)年に数本の連ドラや単発ドラマに出演して、その美しくてかわいらしい御姿を我々の前に披露してくれている南野陽子。

さすがに主役での出演というのはほぼないものの、どんな役どころであろうと、その姿が画面に映り込めば、観る者の目を一気に釘付けにするパワーの健在ぶりは誰もが認めるところ。

主役を蹴散らかすほどの、美しくてかわいらしき崇高な存在感はもはやアナザーレヴェルと言ってもいいでしょう。こうなったらポスト吉永小百合としての、国民的(アイドル)女優の第一人者の称号は、南野陽子で決まりですね。

歌手デビュー前はドラマに舞台、積極的な女優活動

そう、南野陽子はデビュー間もなくの初期段階から “女優” としての活動にも積極的だった。時にA級プロモーションが施されるプライオリティアイドル(歌手)には、シンガーデビュー前から “女優業” というお膳立てが用意される場合が散見されたが、こと南野に関しては特Aパターンだったと言えるだろう。

そもそも(歌手デビュー前の)世の中への初お披露目がテレビドラマ『名門私立女子高校』(1984年)。そして歌手デビュー年の1985年中には、舞台『リトルウィメン~若草物語』、アイドル登竜門月曜ドラマランド『時をかける少女』、初代斉藤由貴から麻宮サキ役を引き継いだフジテレビ系ドラマ『スケバン刑事Ⅱ』主役と畳みかけて、アイドル・トップ軍団へと早々に食い込んでいたのだ。

ただしその間にリリースしたデビューシングル「恥ずかしすぎて」、セカンド「さよならのめまい」(ともに1985年)は、オリコンのトップ10入りを果たせず、あくまでも本業たるアイドル歌手としてのトップ軍団入りは果たせていなかった。

1987年のシングルすべてが1位、しんがりは「はいからさんが通る」

さて南野陽子が歌手としてのトップ軍団入りを果たしたのは、オリコンシングルランキングで初の1位を獲得した「楽園のDoor」(1987年)から。以降80年代中にリリースしたシングルはすべてオリコン1位か2位を記録、大きくそびえたっていた “花の82年組” の先達、中森明菜や小泉今日子らと肩を並べることになったのだ。特に1987年は5枚ものシングルをリリース、そのすべてが1位となっている。その年のしんがりを務めたのが「はいからさんが通る」(1987年12月2日発売)だ。

もちろん「はいからさんが通る」は、本人主演の同名映画の主題歌。1987年は『スケバン刑事』劇場版も公開、なんと2本の映画主演を果たして、およそ2年ぶりに女優業もフル回転、結果として本業たる歌手業の実績を盤石なものにしていたわけだ。特に映画『はいからさんが通る』での南野は、かの袴(はかま)姿に象徴される、(万人が好む)かわいらしさと美しさを徹底して強調、ファン層のすそ野を確実に広げたのは間違いない。

この映画でのビジュアルイメージは、従来までのコア男性ファンのみならず、(国民的アイドルへの必要不可欠な要素たる)女性層及び広い意味でのエルダー層への訴求を目論んでいたのだ。

女優業とアイドル歌手業を両立

「はいからさんが通る」は過去9枚のシングルを上回る(この時点で)最大セールスを記録、歴代最大売り上げとなった次作「吐息でネット。」(1988年)と共に、送り手側の目論見が見事に結実し、この時期(1987年後半~1988年)こそが南野陽子の人気ピークだったと言っていいのではないだろうか。女優業とアイドル歌手業を両立させ、双方への相乗効果を理想的に実現できたのが「はいからさんが通る」だったのかもしれない。

いつのころからか卒業式や成人式で若い女性が袴を身に着けるのが定番化しているが、まことしやかにこの映画における南野陽子の美しい袴姿の影響だと言われている。真偽のほどは定かではないが、少なくとも「はいからさんが通る」が女性層の興味をひき、ビジュアルの刷り込みがなされていたことの証左なのではないだろうか。それにしても卒業式の袴の定番化が、この映画の影響って… ホントなの!?

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カタリベ: KARL南澤

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