大谷翔平が出場するHRダービー 現在の仕組みと歴代優勝者

大谷翔平(エンゼルス)が日本人メジャーリーガーとして初めて、ホームラン・ダービーに出場することになった。イチローや松井秀喜も立つことがなかった夢の舞台である。では、このホームラン・ダービーはどのような仕組みで優勝者を決めるのだろうか。また、過去のホームラン・ダービーではどんなスラッガーたちが優勝してきたのだろうか。ここでは「ホームラン・ダービーの現在の仕組み」と「ホームラン・ダービーの過去の優勝者」の2点を簡単に紹介しよう。

メジャーリーグのホームラン・ダービーは1985年にスタート。これまでに複数回のフォーマット変更が行われているが、2014年までは本塁打以外のスイングをすべてアウトと定義し、「規定アウト数に達した時点で競技終了」というルールで行われていた。2015年からは制限時間制が採用され、出場するスラッガーたちは制限時間内にどれだけ多くの本塁打を打てるかで競い合っている。

前回ホームラン・ダービーが行われた2019年のルールは以下のようになっていた。

●8人の選手がトーナメント形式で対戦
●制限時間4分で何本の本塁打を打てるか競い合う
●440フィート(=約134.1メートル)以上の本塁打を2本以上打った場合、制限時間に30秒が追加される
●45秒間のタイムアウトを1度だけ使用できる(決勝戦のみ2度)
●本数が並んだ場合は制限時間1分のスイングオフで競い合う(それでも決まらない場合、3スイング制のタイブレークを勝者が決定するまで行う)

制限時間制が導入されて以降、出場選手がホームラン・ダービーで放つ本塁打数は飛躍的に増加し、現在の「1ラウンド記録」と「1大会記録」はいずれもブラディミール・ゲレーロJr.(ブルージェイズ)が保持している(2019年の第2ラウンドで40本、2019年に合計91本)。2014年以前のアウトカウント制での記録は、2008年の第1ラウンドでジョシュ・ハミルトン(当時レンジャーズ)が記録した28本、2005年の大会でボビー・アブレイユ(当時フィリーズ)が記録した合計41本だった。

また、過去の優勝者は以下の通り(所属は当時)。今年と同じクアーズ・フィールドで行われた1998年のホームラン・ダービーではケン・グリフィーJr.(当時マリナーズ)が自身2度目の優勝を果たした(翌年も優勝し、通算3度は歴代最多)。なお、エンゼルスは歴代2位タイとなる3人の優勝者を輩出しており、大谷が優勝すれば、1位のヤンキース(4人)に並ぶ。

◆ホームラン・ダービー優勝者
1985年 デーブ・パーカー(レッズ)
1986年※ ウォーリー・ジョイナー(エンゼルス)、ダリル・ストロベリー(メッツ)
1987年 アンドレ・ドーソン(カブス)
1988年 雨天中止
1989年※ エリック・デービス(レッズ)、ルーベン・シエラ(レンジャーズ)
1990年 ライン・サンドバーグ(カブス)
1991年 カル・リプケンJr.(オリオールズ)
1992年 マーク・マグワイア(アスレチックス)
1993年 フアン・ゴンザレス(レンジャーズ)
1994年 ケン・グリフィーJr.(マリナーズ)
1995年 フランク・トーマス(ホワイトソックス)
1996年 バリー・ボンズ(ジャイアンツ)
1997年 ティノ・マルティネス(ヤンキース)
1998年 ケン・グリフィーJr.(マリナーズ)
1999年 ケン・グリフィーJr.(マリナーズ)
2000年 サミー・ソーサ(カブス)
2001年 ルイス・ゴンザレス(ダイヤモンドバックス)
2002年 ジェイソン・ジアンビ(ヤンキース)
2003年 ギャレット・アンダーソン(エンゼルス)
2004年 ミゲル・テハーダ(オリオールズ)
2005年 ボビー・アブレイユ(フィリーズ)
2006年 ライアン・ハワード(フィリーズ)
2007年 ブラディミール・ゲレーロ(エンゼルス)
2008年 ジャスティン・モーノー(ツインズ)
2009年 プリンス・フィルダー(ブリュワーズ)
2010年 デービッド・オルティス(レッドソックス)
2011年 ロビンソン・カノー(ヤンキース)
2012年 プリンス・フィルダー(タイガース)
2013年 ヨエニス・セスペデス(アスレチックス)
2014年 ヨエニス・セスペデス(アスレチックス)
2015年 トッド・フレイジャー(レッズ)
2016年 ジャンカルロ・スタントン(マーリンズ)
2017年 アーロン・ジャッジ(ヤンキース)
2018年 ブライス・ハーパー(ナショナルズ)
2019年 ピート・アロンゾ(メッツ)
2020年 新型コロナウイルスの影響で中止
※1986年と1989年は2選手が同時優勝

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