【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】美人さん2人がお出迎え 群を抜いていた「比丘尼」の人気ぶり

「比丘尼組解散式」の様子。中央はテレビプロデューサーの李家芳文氏(外波山氏提供)

新宿ゴールデン街の懐かしの名店紹介。1970年代の名物店、「まえだ」、「唯尼庵」、そして「比丘尼」だ。今のG2通りのゴミ置き場前…辺りか。カウンターだけの狭い店内に美人さん2人が「いらっしゃいませ!」とお迎えしていた。

啓子と恵美子だ。まだ24~25歳前後だっただろうか?美人お姉ちゃんがいる…と評判になり賑わっていた。俺もその一人だった。そしたら啓子が「1年間、毎日通ってくれたらデートしてあげる!」と。勿論、人を押しのけ毎日通ったさ。ま、でもそのうちに普通に仲良くなり、大久保の我がアパートの近くに住んでいた事もあり良く飲み歩いた。彼女、猫を飼っていて「旅に出るから預かって!」と。

預かったはいいものの、その3日間は地獄の日々だった。私の性分として猫は苦手だ。犬は今も飼い続けて6年目か。前のコッカスパニエルの10年余と合わせるともう犬さまとの共同生活が普通の生活だ。川の字で寝てる日々だ。でも猫には手を焼いた。彼女に良く似てて気性が激しかったな(笑)。

もう一人の美人さん恵美子は下北沢「レディジェーン」の大木雄高の奥さんに収まっている。お2人で“下北沢文化”を盛りたててくれている。有り難い事だ!

その恵美子曰く「藤竜也も良く来てて、閉店後、竜也、大木と椎谷建治の家迄行き飲み、その足で逗子迄も車飛ばして飲んだくれたわよ!」。緩やかな古き良き時代だった。

営業していた時期はそう長くはなかったが、客筋には多彩な顔ぶれが。イラストレーターの黒田征太郎、同じ事務所・K2の長友啓典、事務所で同じなのに飲み屋も一緒かよ…と。黒田征太郎とはその後仲良くなり47年余の付き合いに成るのだが、当時は大阪弁の粋な兄貴風だった。

菅原文太とも出会っていた。文太兄にはたこちゃん(注・たこ八郎)のお葬式で世話になったなぁ! 時の流行に敏感なデザイナー、俳優、マスコミ関係者が多く、彼女達の人気ぶりはゴールデン街の中でも群を抜いてた。閉店時「比丘尼組解散式」が盛大に執り行われた。(敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。

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