<いまを生きる 長崎のコロナ禍>公演減っても希望捨てず 人生の支え「魅力伝える」 「マジシャン・ドゥー」こと 佐々田つよしさん

 トランプの束から、客の指定したカードを一瞬で抜き取る。手を触れずにフォークを曲げ、息を吹き掛けると元の形に-。「マジシャン・ドゥー」の芸名で活動する佐々田つよしさん(44)=長崎市在住=が、そんな妙技を見せる場は、新型コロナウイルス感染拡大で激減した。でも希望は捨てない。「お客さんの目前で、人の手でやるからこそ意味のある仕事」。自分の人生の支えになった、その魅力を多くの人に伝えていくためにも。
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 3歳のころ、出身地の京都市から母親の古里、新上五島町へ移り住んだ。「人付き合いが得意じゃなかった」が、小学4年生ごろに始めたマジックが友人たちとつないでくれた。佐世保の街を訪れるたび、デパートで小遣いをはたいて道具を購入。どうすれば友人や親類を喜ばせられるかを考えた。進学や就職で新しい環境に置かれたとき、周囲に溶け込めたのもマジックのおかげだった。
 2013年、会社を辞めプロマジシャンになった。誰かに師事するわけでもなく、テレビ番組を見るなど独学で腕を磨いた。結婚披露宴や経済団体のパーティーなどを回るうちに口コミで評判が広がり、米国など海外にも進出。最盛期は年間約200公演をこなし、会社員時代の数倍の収入を得ていた。
 そんな生活が20年3月ごろ一変。イベントの中止や延期が相次ぎ、同4~6月の依頼は0件に。「収入が減ったことより、見せる場がない方がつらかった」。専業主婦だった妻が働きに出て家計を支えてくれている。おかげで自分はプロの道にこだわれる。「凝り性で他のことに目が向けば、マジックをやめてしまうかも。今ある仕事と向き合いたい」

華麗なトランプさばきを披露する佐々田さん。マジックの魅力を人々に伝えたいという=長崎市岩川町、倭からん我零時

 数少ない公演では、道具の消毒を徹底。客席との距離を保つため、物を空中で浮かせるなど、遠くからでも見やすい演目を多用した。同7~10月には、空いた時間を使い、小学生向けの教室も開いた。子どもがマジックを見せるようになって家族の会話が増えた、と後で聞いて手応えを感じた。
 「CG映像では感動が伝わらない。だから、この仕事はなくならない。マジックの伝道師になりたい」。今後、教室や講演を通して伝えていくつもりだ。かつて人との付き合い方を自分に教えてくれたマジックの素晴らしさを。

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