朝日新聞記者が福島でデマ拡散|上念司 朝日新聞に問う!一体、いつまで続けるつもりだろうか? 福島は10年前とは全然違う。着実に復興している。ところが、朝日新聞は自分たちに都合のいいように事実を捻じ曲げ、いまだにデマを訂正せず、むしろ拡散し続けている。

事実に明確に反する

一体、いつまで続けるつもりだろうか? 福島は10年前とは全然違う。着実に復興している。福島に行けば誰もがその事実に気づくだろう。ところが、朝日新聞は自分たちに都合のいいように事実を捻じ曲げ、いまだにデマを訂正せず、むしろ拡散し続けている。

その先兵として活動しているのが入社4年目の小手川太朗記者だ。令和3年2月17日、小手川記者は次のような記事を書き、ツイッターで拡散した。小手川記者のツイートは次のようなものだ。 〈かつて「原発事故で死亡者は出ていない」と発言した政治家がいたが、実際は全く違った。原発から4・5キロの双葉病院では、自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった。当時の記憶を訪ね歩きました〉(https://twitter.com/tarokote/status/1362008943900299267

まず、このツイートのファクトチェックから始めよう。そもそも、このツイートは明確に事実に反している。「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず」などという事実は存在しない。実際は「現場の医療者が順次、救出活動を行っているなか、自衛隊の支援も入って患者を搬送し、全員の搬送が15日に完了した」というのが事実だ。

もう少し正確に事情を説明しよう。福島原発事故についての政府事故調・最終報告書には「12日15時ごろ、陸上自衛隊第十二旅団輸送支援隊は、避難区域内の残留者を避難させるため、オフサイトセンターに向け郡山駐屯地を出発した。しかしながら、同輸送支援隊は、オフサイトセンターを発見できず、かつ、福島第一原発一号機で水素爆発があったことをラジオで知り、郡山に戻った。そのため、双葉病院の患者らの救出は、翌日以降となった」という趣旨の記述がある(https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20120918_06/)。

自衛隊はたしかに一回帰っている。しかし、仮に原発の爆発がなく12日に救出作業をしたとしても、双葉病院に自衛隊が至った可能性は基本的にない。なぜなら、県災対本部がオフサイトセンターから「双葉病院などに患者が残留している。県災対本部で対応してほしい」との依頼を受けたのは13日午前、県災対本部に派遣されていた陸上自衛隊リエゾンに救助・搬送要請を行ったのは同日午後1時だからだ。もちろん、自衛隊はこの要請に応えて動いている。時系列でみても、論理的にみても「阻まれて」いるわけではないし、救助活動も実際に行われているのだ。

小手川記者がツイートしたこの話は、当初、福島県が誤った発表(院長らが患者をおいて逃亡したかのような情報を出し、のちに誤りを認めて謝罪した)をしたことに始まる。当時のマスコミはこの発表を検証せず、鵜みにして報道してしまった。この事件はのちに「報道被害」と認定されており、政府事故調なども事の経過を事細かに検証している。

小手川記者がいくら入社4年目の駆け出しだからといって、この件を知らないとは言わせない。インターネットで検索すれば、事実確認をするための資料等はいくらでも出てくる。それすらも知らなかったというなら、ジャーナリスト失格だ。

小手川記者が執筆した問題の記事(朝日新聞DIGITALより)

過剰に放射能忌避を煽り立てた朝日新聞

(小手川記者のTwitterより)

そもそも、双葉病院は精神科の入院患者が多く、受け入れ先の確保が難しいことなど特殊要因もあった。混乱のなかで、自衛隊・警察等による救出活動はどの医療機関、福祉施設においても十分だと言える状況にはなかった。にもかかわらず、そういった状況判断に不可欠な基礎事実に全く触れないこの論理は、極めて一面的かつ事実誤認にもとづいた記述と言わざるをえない。

小手川記者は「約50人が衰弱して亡くなった」ことを「原発事故」という大きく曖昧な主語に委ねながら、誤った事実を提示している。しかし、「約50人が衰弱して亡くなった」のは、インフラが正常に使えなくなり人手も不足するなかで、重症者中心に体調が急激に悪化したことに加え、「原発事故後の混乱のなかでなされた過剰避難」が原因である。

とりわけ、3・11後の福島で過剰避難こそが最も人命を奪ったことは、10年経ったいま、むしろ明確になっている。たとえば、福島県では地震・津波で1600人ほどが亡くなった一方、避難の過程・長期化によって亡くなった「震災関連死」は2300人を越えている。

さらに言えば、その過剰避難を生み出した一因は、根拠も不明確なままに過剰に放射能忌避を煽り立てた朝日新聞を含むメディアの側にある。たとえば、『AERA』(朝日新聞出版) 2011年3月28日号『放射能がくる』などはその典型だろう。3月11日から二週間と経たないうちに、被災者が目にしたら当然恐怖心を感じ、避難等の行動をとるような情報を流していたのは明白だ。

原発事故後1カ月以上経ってから全村避難することになった飯舘村では、被曝のリスクより避難のリスクが高いと判断し、高齢者施設にいる住民を避難させず、実際に避難による死者を出さなかった。長時間の移動のストレスや、見知らぬ避難先での生活環境などがお年寄りの負担となり、リスクを高めることは明らかだ、と現場の介護従事者も指摘している(https://helpmanjapan.com/article/2679)。これが事実だ

もちろん、これは小手川記者が入社する前の話であり、その責任を彼に押し付けるのはさすがに酷だと思う。しかし、小手川記者がもし「人殺し」を追及し糾弾したいのであれば、朝日新聞の先輩記者たちを取材したほうがいい。取材対象が完全に間違っている。

「防護服」で印象操作

次に、小手川記者が執筆し、ツイートで引用した2月17日付の朝日新聞記事「双葉病院、50人はなぜ死んだ 避難の惨劇と誤報の悲劇(Web版)」(https://www.asahi.com/articles/ASP2J01WMP2FUTIL00V.html)についてもファクトチェックしておこう

まず、この記事の冒頭で公開されている1分28秒の動画「取材の前に防護服を身にまとう」についてだ。この動画は「事実と違った印象を与える」という点で、ファクトチェック的にはアウトである。そもそも、帰還困難区域に入るのに防護服を着る義務はないし、現在ではよほど粉塵が舞うような作業をする人でも防護服を着ることはなくなってきている。一つエビデンスを挙げておこう。この資料はインターネット上で公開されているものだ。 〈令和元年9月5日改訂版 原子力被災者生活支援チーム 「避難指示区域内における活動について」 (https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/hinanshiji/pdf/190905_katudounituite3.pdf)〉

このなかに、「一時立入りを実施する場合には、スクリーニングを確実に実施し、個人線量管理や長袖・長ズボン又は防護服などの必要な防護装備を着用することが求められます」という記述がある。つまり、長袖・長ズボンなら、それで問題ない。実際、農地の管理で立ち入って泥などが付着する作業をするような人でも、放射性物質のリスクは低くなっていることを知っているから、いちいち「防護服を身にまとう」ことはしない。

さらに、ここで小手川記者が着ている「防護服」は一般に流通するものとは違った見慣れないもので、防護服として機能するものかもよくわからない。

あたかも、帰還困難区域に入る人間が全員「防護服」を着るべき状況があるかのように印象操作するために、小手川記者は不必要な防護服で「コスプレ」をしていたと批判されても仕方ないだろう。

小手川記者はまだ「放射能が残っている」ことをアピールしたかったのかもしれないが、それは印象操作という手法であり、ジャーナリストとしては禁じ手だ。入社時の研修で、職業倫理についてのレクチャーはあったのだろうか? 経営の悪化で新人教育が切り捨てられていたとしたら大問題である。

「人の気配はない」と書きたいがために日曜日を狙って取材?

次に、記事の冒頭からして事実に反する点を指摘しておこう。前掲記事にはこのように書かれている。

〈静まりかえった雑木林の先にタイル張り6階建ての建物が現れた。人の気配はない。聞こえるのは身に着けた防護服が擦れる音とマスク下の自分の息づかいだけだ〉

まず、小手川記者が取材した令和3年1月31日という日付がポイントだ。カレンダーで見ていただければわかるとおり、この日は日曜日だ。当たり前のことだが、土日は復興関係の工事等が大幅に減る。そんなことは地元では皆知っていることで、人の気配がなくなるのは当然だ。

むしろ、小手川記者は「人の気配はない」と書きたいがために日曜日を狙って取材に行ったのではないか? という疑惑が深まっている。 「モリカケ」問題などでも、朝日新聞のロジックによれば、疑惑は持たれた側が潔白を証明しなければならないそうだ。だとしたら、小手川記者はわざと日曜日に取材したわけではないことを丁寧に説明する責任があるだろう。それができないなら、小手川記者の記事は、背景の説明がないなかで、「絶対的に終わった土地」であるかのような印象を与える部分を恣意的に切り取った表現ということになる。

なお、事実を言うと、これまで避難指示が出された地域において、ピーク時には2万人規模が働いてきた経緯がある。それは主に除染事業によるものだが、それが落ち着いてきた現在も、家屋解体等の環境再生のための工事は続いているため、帰還困難区域だからといって人の気配がないということはない。

実際に私も昨年12月22日(火曜日)に現地を視察して回ったが、至る所で工事が行われていた。夕方5時ごろに早めの夕食をとるために居酒屋に立ち寄ったが、5時の開店前にはちょっとした行列ができるほど盛況で、その客のほとんどが作業服だった。おそらく復興関係の土木、建築関係の人だったと思われる。

避難指示解除を巡る大嘘

しかし、小手川記者の印象操作はこれに留まらない。これに続く次の部分で大事故を起こしてしまった。まずは問題部分を引用しておく。

〈わき道はアスファルトで舗装されているが、きれいなのは途中まで。病院に近づくと、路面は色あせ、ひびが入り、盛り上がった跡が残る。男性がつぶやいた。 「この先はあと10年は人が住めねえよ」 実際に避難指示解除の見通しはまったくたたない〉

この部分は明確に事実に反している。この記事の取材地(双葉病院が指定されている帰還困難区域)については、令和2年12月25日、原子力災害対策本部による「特定復興再生拠点区域外の土地活用に向けた避難指示解除について」に避難指示解除の前提が示されている。「見通しはまったくたたない」というのは、この事実を知らないのか、知っていてもあえて記述しないで読者を欺こうとするのかのいずれかである。

この点を追及するにあたり、エビデンスとなる上記、原子力災害対策本部による資料を確認しておこう。

〈この帰還困難区域について、地元からの要望や与党の提言を受けて、「帰還困難区域の取扱いに関する考え方」(平成28年8月31日原子力災害対策本部・復興推進会議)において、同区域の中に、線量の低下状況も踏まえて五年を目途に避難指示を解除し、居住を可能とすることを目指す特定復興再生拠点区域を整備するという基本方針を示し、特定復興再生拠点区域外の帰還困難区域(以下「拠点区域外」という。)についても、「たとえ長い年月を要するとしても、将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除し、復興・再生に責任を持って取り組むとの決意」を示した。

その後、拠点区域外については、〈「復興・創生期間」後における東日本大震災からの復興の基本方針」(令和元年12月20日閣議決定)において、「それぞれの地域の実情や、土地活用の意向や動向等の現状分析、地方公共団体の要望等を踏まえ、避難指示の解除に向け、今後の政策の方向性について検討を進める」との方針を示した。

こうした状況において、住民の拠点区域外への帰還・居住に向けた避難指示解除の方針を早急に示してほしいという従前からの強い要望がある中、一部の地元自治体から、拠点区域外の土地活用に向けて、避難指示を解除してほしいとの要望があった。これを受けて、令和2年5月、与党からも申入れがなされた〉(出典:特定復興再生拠点区域外の土地活用に向けた避難指示解除についてhttps://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/pdf/2020/honbun.pdf) ポイントは、「一部の地元自治体から、拠点区域外の土地活用に向けて、避難指示を解除してほしいとの要望があった」という点である。住民が切望する避難指示解除に向けて、国も前向きに取り組んでいる。これが事実だ。そして、これは小手川記者が切り取った「人が住めねえよ」という住民の存在とも矛盾しない。

大多数の住民が避難指示解除を求め、それが地元自治体の意思として国に伝えられる状況であっても、全員がその方針に賛成というわけではないからだ。

小手川記者の問題点は、大多数の声を切り捨てて、自分がたまたま出会った一住民の声を自治体全体の声であるかのような印象を与えている点だ。これはわざとやったことなのか? 朝日新聞には検証する責任があるだろう。

地元住民の「思い」は無視

さらに、もう一つ小手川記者にとって不都合な事実を指摘しておきたい。取材地である双葉病院の周辺は、なんとこの避難指示解除の対象になる線量の条件を十分に満たしているのだ。まず、線量の基準を確認しておこう。

〈土地活用地点の平均空間線量率が毎時3・8マイクロシーベルトを大きく超えないこと。土地活用の実施に当たっては、廃棄物等の発生抑制に努めること、生じた廃棄物等については事業実施者の責任において処理が可能であること〉(出典:帰還困難区域[特定復興再生拠点区域外]における避難指示解除を伴う土地活用の実施について)(https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/pdf/2020/guidelines.pdf

避難指示解除の対象となる条件として、「平均空間線量率が毎時3・8マイクロシーベルトを大きく超えない」という数値が示されている。では、双葉病院周辺の現在の線量はどのくらいか。原子力規制委員会が直近の数値を発表している(帰還困難区域《特定復興再生拠点区域外》における避難指示解除を伴う土地活用の実施について)(https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/pdf/2020/guidelines.pdf)。

令和3年3月5日午前9時35分現在、双葉病院に近い地点では、高いところでも「大熊町文化センター」の1・460μSv/h、低いところだと「熊二区地区集会所」の0・612μSv/hとなっている。いずれの地点も、国の基準である3・8μSv/hにはほど遠いレベルだ。

小手川記者は、ネットで検索可能なこの程度の事実確認も行わなかったのだろうか? さらに、地域の要望に基づいて避難指示解除を進め、復興に向かおうとしている地元住民の「思い」を無視し、実在するかどうかも不明な「住民」の「この先はあと10年は人が住めねえよ」などというコメントを恣意的に摘示しているのはなぜなのか? この点の疑惑については後述する。

悲劇の真相

最後に、この記事のヘッドラインにある「双葉病院で50人死亡」の件をファクトチェックしておこう。この件についての事実関係は森功氏の著作、『なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間』(講談社)に詳しく書かれている。

まず、事実を確認しておくと、実際に双葉病院で亡くなった方は4人だ。それ以外の方は、搬送先で22人、さらに16日以降に24人が亡くなった。たしかに合計では50人亡くなっている。

しかし、小手川記者の言うように「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず、約50人が衰弱して亡くなった」わけではない。多くが病院から救出されたが、その後に亡くなった。しかも、その死因は放射能によるものではない。亡くなった原因は、救助の初動の遅れとその後の過剰避難である。

そもそも、双葉病院は浜通り最大級の医療施設であり、介護施設も運営していた。被災した時点で双葉病院に338人、介護施設ドーヴィル双葉に98人の合計436人が入院、入所していたことが分かっている。

震災の翌日(3月12日)に、バス5台で双葉病院の入院患者209人と病院スタッフ64人が避難した。これが大問題だった。なぜなら、病院にはバスで避難することが困難な重症患者が129人も残されたからだ。双葉病院の重症患者129人とドーヴィル双葉に残った入所者98人を、次のバスが迎えに来るまで、残った鈴木院長と数名のスタッフが面倒を見ることになってしまったのだ。

最初の避難から2日経った3月14日、やっと次のバスが来た。このバスでドーヴィル双葉98人、双葉病院34人の合計132人が避難したが、それでもまだ95人が取り残される。そして悲劇が起こった。この混乱のなかで4名の患者が亡くなったのだ。

もちろん、その死因が放射能でないことは明らかだろう。129人の重症患者と98人の介護施設入所者を、数名のスタッフで約2日間もケアするのは不可能である。

その後、バスは毎日やってきて、15日に55人、16日に36人が搬送され避難は完了した。しかし前述のとおり、搬送先の病院で22人、16日以降に24人が死亡した。もちろん、この死因も放射能によるものではない。

事実関係が逆さま

しかも、この問題は小手川記者個人の問題に留まらない。朝日は双葉病院に関するミスリード記事を未だに読める状態で掲載し続けている。

〈福島第一原発の半径20キロ圏内にあり、避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)から運ばれた患者が相次いで死亡した問題で、病院関係者が搬送時に付き添っていなかったことがわかった。福島県が17日に発表した。 県によると、同病院には338人が入院し、うち146人は寝たきりや病状が重い患者だった。14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した。 陸自が14日に救出した時は、病院には病院長のほか職員が数人いた。しかし避難所までは付き添わず、15日の午前と午後に計55人を搬送した際も病院関係者の付き添いはなかったという。県によると、移動時に患者の病状が確認できない状態で、搬送中や搬送後に計21人が亡くなったという。 県が15日深夜に病院長と連絡を取ったところ、「第一原発が爆発したので、川内村で自衛隊を待っていた」などと説明したという。県の担当者は「付き添うべきだった」と話している〉(患者避難、医師ら付き添わず 21人死亡の双葉病院)(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103170566.html

事実関係が逆さまだ。病院関係者が避難先まで付き添ったために、残された患者と入所者約200人を数名のスタッフでケアせざるを得なくなって悲劇が起きた。後年、何度も検証され明らかになっている事実関係に基づき、なぜこの記事を訂正しないのか。これは悪意の問題というより、むしろ大手メディアとしての驕りではないだろうか。朝日新聞にとって、こんな小さな話はどうでもいいという感覚なのかもしれない。

さらに、この記事には興味深い点がある。 「14日午前11時すぎに同原発3号機が爆発したのに伴い、陸上自衛隊などは1415の両日に患者を3回に分けて救出した」としっかり書かれているが、この部分は冒頭紹介した小手川記者の「自衛隊や警察が放射性物質に阻まれて救出活動ができず」というツイートを完全否定している。

小手川記者は、最低限自社の記事すら調べずに記事を書いたのだろうか? そうでもない限り、こんな変なストーリーありきのツイートと記事は書けないのではないか。ますます疑惑が深まった。

朝日新聞の構造的な問題

小手川記者はこの件について、別のツイートで以下のように述べている。 〈2年前に亡くなった院長の口癖は「原発の100キロ以内に病院を作ってはいけない」でした。再稼働の議論が進む中、同じ事故が起きた時に果たして命を守れるのか、疑問です〉(https://twitter.com/tarokote/status/1362012 759622213637)

本当に、双葉病院の院長がこのようなことを言ったのだろうか? 仮に言ったとしても、実際の3・11を受けての原子力規制、原子力防災の議論など何も踏まえていない話をそのまま新聞記者が垂れ流すのはいかがなものか? 100キロという距離は、仙台から米沢・那須・日立あたりまで入ってくる同心円になる。そんな広範囲にわたって無医市町村を作ることのリスクについて、真面目に検討したとは思えない。仮にそんなことをすれば、被曝とは比べものにならない巨大なリスクを抱え込むことになるだろう。

一連の記事やツイートから、小手川記者が偏ったイデオロギーに基づく印象操作を行っているという疑惑がますます深まった。

朝日新聞のデスクはこの記事原稿が上がってきたとき、最低限の裏取りもしなかったのであろうか? 朝日新聞は、吉田調書事件および慰安婦強制連行の捏造記事でトップが辞任に追い込まれたことについて、全く反省していないのではないのか? 再発防止策も極めて不十分だからこそこんな記事が掲載されたのではないか? 創業以来の大赤字で現場の士気が下がっているとは聞くが、ここまで事実に反する恣意的な切り取りが罷り通るならば、「質の低下」は構造的な問題なのかもしれない。

小手川氏には、一連のツイートと記事で深まった疑惑について、丁寧な説明を期待したい。(初出:月刊『Hanada』2021年5月号)

上念司

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