故ダイアナ妃、〝あの日〟直前に地雷撲滅運動への「騒ぎ」を避けるため帰国を遅らせていた

ダイアナ妃は、自身の地雷撲滅運動に対する反応を避けるためフランスからイギリスへの帰国を遅らせていたそうだ。1997年8月31日にパリでの自動車事故で命を落としたダイアナ妃の元運転手兼ボディーガードだったコリン・テバット氏によると、同妃は同年8月27日に帰国予定だったものの、直前に滞在を3日間延長することにしたという。

テバット氏はデイリー・メール紙にこう語る。「妃は予定通り木曜日には帰ってこられませんでした。保守党は地雷のことで妃を攻撃していましたから。この撲滅運動を使って自らのイメージを向上しようとしていると非難していたのです。酷いもので、妃は動揺していました」「ですから、イギリスで待ち構えているメディア騒ぎに直面したくないと私達は連絡を受けたのです。その代わりに週末に帰ると」「しかし、木曜日に帰ってこられていれば、今も皆生きていたかもしれません」

同年1月にアンゴラを訪問した際地雷撲滅を呼び掛けた妃を、当時の防衛大臣ホウ伯爵は、「危険人物」「対人地雷問題に関する間違った知識を持っている」と非難していた。

恋人ドディ・アルファイドと休暇でパリを訪れていた妃は8月、フランスの新聞にイギリスの地雷政策について言及、政権交代前の保守党は「どうしようもなかった」、また当時のトニー・ブレア首相による労働党は「素晴らしい仕事をするだろう」とコメントし、さらなる批判を受けていた。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

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