浜田省吾は『J.BOY』で1980年代の豊かな日本に何を描き、何を問いかけたのか、改めて検証してみた

『J.BOY』('86)/浜田省吾

6月23日、浜田省吾のニューシングル「この新しい朝に」がリリースされた。今年3月には18thアルバム『Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター』以来約6年振りの新曲として配信された楽曲を新たにミックスした表題作の他、デビューアルバム『生まれたところを遠く離れて』に収録されている「青春の絆」と、デビューシングル「路地裏の少年」のB面である「壁にむかって」、それぞれの2021年バージョンが収録されているという、ファンにはたまらないCDと言える。今週はこの「この新しい朝に」のリリースされたとあって、浜田省吾の名盤を紹介するが、5年前の当コラムで7th『愛の世代の前に』を取り上げているので、今回は1986年発表の2枚組アルバム、10th『J.BOY』とした。

“J”の元祖と言えるアルバム

『J.BOY』は日本のロックの最重要作品のひとつであることは議論を待たないであろう。浜田省吾(以下、浜省)そのものへの好き嫌いや、作品内容に対する是非みたいなものはひとまず置いておいて、何よりも日本=Japanの略称として“J”を用いた功績はとてつもなく大きいのではないかと思う。これはほとんど発明と言っていい。JR、J-WAVE、Jリーグ、そしてJ-POP。今や“和製○○”といったものを指す言葉として、我々は何気なく“J”を付けることがあるけれども、その先駆は『J.BOY』である。厳密に言うと、日本専売公社のたばこ事業を引き継ぎ、日本たばこ産業株式会社(JT)が設立されたのが1985年4月1日で、『J.BOY』の発売が1986年9月なので、JTのほうが1年半早いが、アルバムの制作期間を考えると、そこまで差はないと見てよかろう。あと、JTはJAPAN TOBACCO INC.の頭文字を取ったもので、“J”を付けた…という感じでもない(ちなみにJRもJapan Railwayの略称)。

やはり“J”に“日本の○○”というニュアンスを与えたのは浜省が最初だったと考えられる。[浜田自身、『月刊カドカワ』1994年1月号のインタビューで、「『J.BOY』を発表して以来、その後世の中、JRやJ-WAVEだ、Jリーグだと、やたらJをつけたがるようになったね。ナショナリズムの匂いもするね」と述べてい]たという([]はWikipediaからの引用)。浜省が扇動したわけではないけれども、先導したと言っても過言ではないだろう。優れたアーティストは未来を予見すると言われる。浜省はまさしくそれを実践していたと言ってもいいのではないだろうか。

未来を予見したと言えば、収録曲の歌詞にはまるで現代を見せられているかのような内容が散見される。オープニングから強烈だ。

《地下から地下へ運ばれた爆発物/国家に養われたテロリスト/成層圏に軍事衛星(MILITARY SATELLITE)》《飽食の北を支えている/飢えた南の痩せた土地》《貧困は差別へと/怒りは暴力へと》《ひび割れた原子力(NUCLEAR POWER)/雨に溶け 風に乗って》《愛は時に あまりに脆く/自由はシステムに組み込まれ/正義はバランスで計られ》(M1「A NEW STYLE WAR」)。

アルバムの発売が1986年ということは、ここでの《ひび割れた原子力(NUCLEAR POWER)》とは、チェルノブイリ原子力発電所事故のことだろうし、《国家に養われたテロリスト》や《成層圏に軍事衛星》はいずれも1980年代の米ソ冷戦下でのものを描いていたのだろう。だが、2021年の現在、これを聴けば我々は3.11を思い出すはずだし、中東や米中新冷戦を彷彿とさせる歌詞でもある。

《どこへたどり着くのか/自分でわかってるのか?/ビッグ・サクセス 手にしても》《Hey! Mr.Winner. 気分はどうだい?/誰もが 皆 振り向いてくれるのは》(M2「BIG BOY BLUES」)。

《教室じゃ天使/キャンパスじゃ天使/でも街では She's a rich man's girl./“Money is money”/君の口ぐせ“愛などあてにならない”/She's a rich man's girl/You're a pretender 望みはすべて/Never surrender 手に入れても/Don't you remember 寂しいのは何故》(M8「A RICH MAN'S GIRL」)。

《砂浜で戯れてる/焼けた肌の女の子達/おれは修理車を工場へ運んで渋滞の中/TVじゃ この国 豊かだと悩んでる/だけど おれの暮しは何も変らない》《今日も Hard rain is fallin'./心に Hard rain is fallin'./意味もなく年老いてゆく/報われず 裏切られ/何ひとつ誇りを持てないまま》(M14「八月の歌」)。

《果てしなく続く生存競争 走り疲れ/家庭も仕事も投げ出し 逝った友人/そして おれは心の空白 埋めようと/山のような仕事 抱えこんで凌いでる》《J.Boy 頼りなく豊かなこの国に/J.Boy 何を賭け何を夢見よう/J.Boy…I'm a J.Boy.》(M17「J.BOY」)。

拝金主義を揶揄し、会社至上主義とも言える状況にも警鐘を鳴らしている。これもまた、格差、貧困、過労など、現在日本が抱える社会問題を歌っているようにも聴こえるが、無論、1986年の作品に収録されているものである。1986年とは[一般的にこの年からバブル景気とされる]年で、しかも歴史的に“バブル景気”と言われるのはその年の12月からだというから、その先見の明は極めて鋭かったことになる([]はWikipediaからの引用)。ちなみに、栄養ドリンクのCMにおいて、“5時から男”とか“24時間戦えますか”といった、今考えると正気とは思えないキャッチフレーズが踊っていたのが、前者が1987年で後者が1989年だから、世の中が浮かれまくっていた時期に、浜省の思考は極めて冷静だったと言える。

逡巡し、彷徨う人たちの姿

『J.BOY』にはここまで掲出した歌詞ーープロテストソングにも近いナンバーが多いかというと、そうでもない。M2やM8は政治的抗議の意味合いはあんまり感じられないので、3曲程度。18分の3と、はっきり言えばその割合は少ない。ただ、そのメッセージ性がはっきりとしている上、その傾向は本作に限ったことではなく、本作前後のアルバムにもこうした歌詞が収められているので、一部リスナーにはそういう認識があったかもしれないが、浜省の本質はプロテストソングではないだろう。少なくともそれだけではないのは間違いないと思う。それよりも、今回、『J.BOY』を聴いて改めて感じたのは、そうしたはっきりとした物言いよりも、その真逆と言っていい、逡巡や彷徨を描いたものが多いということだ。恋愛の描写に関してはほとんどそうだと言っていいような気がする。

《ショーウィンドゥに映った 黒い目をした J.BOY/帰る故郷を見失って…》《We were lookin'for AMERICA/映画の中の アメリカン・ドリーム/今も AMERICA/あの娘の 輝いていた瞳 想い出す》(M3「AMERICA」)。

《おれには どこか心に欠けたところがあるのか/触れるすべてを壊しちまう/強さなのか 脆さなのか わからない/でも気付けば/大切なもの いつもおきざりにして》(M5「悲しみの岸辺」)。

《これは愛なの?/と おれに尋ねるのは やめてくれ/身体と心 重ね合う理由は ただ…》《愛という仕草 愛という約束事/何度も互いに 裏切ってきたはずさ/Lonely/ホテルの窓に 映ってる 二人は…/Lonely もう 若くない/このままでいい 夜を背にして》(M9「LONELY -愛という約束事-」)。

《君を想う時 喜びと悲しみ/ふたつの想いに 揺れ動いている/君を裁こうとするその心が/時におれを傷つけてしまう》(M10「もうひとつの土曜日」)。

《口づさめば 悲しい歌ばかり/届かぬ想いに 胸を痛めて/ああ 今日もまた呼ぶ声に応えては/ああ 訳もなく砕かれて 手のひらから落ちて/今はおれ22 初めて知る/行き止まりの 路地裏で》(M13「路地裏の少年」)。

《お前が大切にしてきた幻想が脆く/流されてく波打ち際 砂の城のように》《愛だけが最後の答とわかるまでは/おれもひとり彷徨ってる悪い夢の中を》(M16「SWEET LITTLE DARLIN'」)。

M13「路地裏の少年」に至っては、逡巡、彷徨どころか、文字通りの行き止まり状態である。もちろん、上記は歌詞の一部抜粋なので、それが即ち楽曲全体のテーマかと言うと必ずしもそうではないのだろうが、決心が付かない感じであったり、当てもない状態であったりを丁寧に描いていることは間違いない。歌詞の背景はバラバラだから、いつ何時どんな状況でもそれが起こり得ることを指摘しているようでもあるし、ここまで多いとその状態こそがデフォルトであると言っているようでもある。はっきりとしない状態ーー誤解を恐れずに言えば、“答えが出ない状態”こそが人間の本質であると言っているようにも捉えることが出来る。個人的には、こうした状態、スタンスをM1、M14、M17と重ねることで、『J.BOY』というアルバムをより立体的に楽しめるようにも思うし、“J”の意味も理解できるような気もする。

メロディー、サウンドの特徴

今回は相当、歌詞の話に偏ってしまったのであるが、本作収録曲のメロディーやサウンドは、いい意味であまり説明を必要としない楽曲が多いのではないかと思っている。基本的にメロディアス。アップチューンならキャッチーなものばかりと言い切っていいだろう。歌はもちろんのこと、イントロや間奏でギターやサックス、鍵盤が奏でるパートもそうである。ヴォーカルパートで言えば、少し英語が混ざっている歌詞があるので、全部がそうだとは言わないけれど、言葉が音符にしっかり乗っているので、余計にメロディーが掴みやすいと言ったらいいだろうか。日本語ネイティブの我々にとっては耳馴染みがいいと思う。

また、曲の展開としても、A、B、サビという展開がほとんどで、いわゆる“J”ポップ的だ。ご丁寧に(?)Cメロがあることも多く、歌詞的にはそこにアクセントが置かれているようなところもあって、ドラマチックに盛り上がっていく作りとなっている。それはデビュー曲であるM13「路地裏の少年」からしてそうなのだから(しかも、同曲は浜省が23歳の時に書いたものだというから)、浜省はもともとメロディー指向の人なのであろう。本作のメロディアも過度に意識することなく出てきたのかもしれない。

一方、サウンド面は、いかにも1980年代らしいスケール感の大きさがあるR&R;。どっしりとしたビートが根底を支えつつ、キラキラとしたシンセが入ったり、はつらつとしたブラスが入ったりしながら、さっきも言った通り、ギターやサックス、鍵盤のパートがメロディアスで、ストレートにポップだ。ブルースやゴスペルなど、俗に言うルーツミュージックの影響は確実にあるものの、それらをマニアックに取り込んでないというか、あくまでも日本人が聴くことを前提にしているようにも思える。聴く人によって好き嫌いはあるかもしれないけれど、少なくとも分かりにくい代物ではない。こちらもまた耳にすんなり入って来る印象だ。かと言って、全てにおいて耳馴染みがいいかと言ったらそうではなく、ポイントポイントでエモーショナルな仕掛けをしているところが心憎い。間奏で感情が爆発したかのような音色を響かせる古村敏比古のサックスがそうだし、ポップさ、開放感の中に少しばかりの不穏な感じを演出しているかのような町支寛二のギターがそれに当たる。聴き手を高揚させたり、落ち着かせたりするだけでなく、心の奥をわずかに波立たせるというか、独特の余韻を残すような仕掛けであるとも言える。この辺はM1、M14、M17の歌詞と同様に、決して頻繫に登場するものではないけれども、作品に奥行きを感じさせる要素であり、そこにも浜省ならではのロック観が表れていると見ることもできると思う。

TEXT:帆苅智之

アルバム『J.BOY』

1986年発表作品

<収録曲>
1.A NEW STYLE WAR
2.BIG BOY BLUES
3.AMERICA
4.想い出のファイヤー・ストーム
5.悲しみの岸辺
6.勝利への道
7.晩夏の鐘
8.A RICH MAN'S GIRL
9.LONELY-愛という約束事
10.もうひとつの土曜日
11.19のままさ
12.遠くへ - 1973年・春・20才
13.路地裏の少年
14.八月の歌
15.こんな夜はI MISS YOU
16.SWEET LITTLE DARLIN'
17.J.BOY
18.滑走路 - 夕景

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