【大日本】デスマッチドラゴン伊東竜二が自伝本を出版!12/18横浜で先行販売!出版記念インタビュー

大日本プロレスのデスマッチ・ドラゴンこと伊東竜二選手の初の自伝『デスマッチ・ドラゴンは死なない』が12/21(土)に発売される。著書の出版を記念して本書に関するインタビューをプロレスTODAYで敢行した。

【会場限定カバー版】デスマッチ・ドラゴンは死なない

なお12/18(水)の大日本プロレス横浜文体大会で本書の先行販売が決定した。先行販売では会場限定カバーと2020年カレンダーが付いてくる。気になる人は是非、横浜文体で限定本を手に入れて欲しい。

――今回の本を興味深く読みました。伊東選手の20年とデスマッチの攻防が細かく描かれているところが印象的でした。

伊東「ハイ」

――試合の様子はどの様にして描かれたのでしょうか

伊東「週プロmobileで過去の対戦結果みながら思い起こしていきました。人に何年何月のどの試合と言われても思い出すのは難しくて…対戦結果をみながら思い起こしていくと結構でてくるんですよね」

――ポイントとなるところでの技の描写も素晴らしかったです

伊東「サムライTVさんの開局が丁度、自分のデビューの1年前に開局していて。そこそこの映像がある。自分のデビュー戦もありますし。細かい攻防やなんだは、特にタイトルマッチは映像があるので」

――なるほど。それを振り返りながらこその描写ですね。今回この本を出しての感慨は?

伊東「2年前に大介が本を出した※時に、『俺はないな』と思ったんですよ」

※劣等感 関本大介

――(笑)それはどうしてでしょう?

伊東「大介の本を読んで、事細かに書いてあるのをみて、自分でも小説とかよく読んでいるんですが、自伝本を読んで『これは大変だ』と。『こういう面倒くさい仕事は来なければいいな』と…」

――それが来てしまったと?

伊東「そうなんですよ。うちの社長に『2年前は大介が自伝本だしたから今年は伊東じゃないかなあ』って言われて、ウワーって」

――相談があってすぐに出版が決まった?

伊東「あーわかりましたーと曖昧に返事をしていたら、話が進んでいって…」

――でこうして形になったと

伊東「本当は両国までにという話もあったんですけど」

――11月に合えばという話もあったのが

伊東「(12月18日の)文体になって」

――内容に関して。高校時代にボクシングを始められますが、今でもボクシングはお好きなんですか?

伊東「中々やってないんですが、TVでやっていれば見るようにしています」

――辰吉さん以外でもお好きな選手はいらっしゃるんですか?

伊東「山中選手とか…」

――神の左の山中慎介選手!

伊東「タイトルマッチぐらいしか放送しないので」

――現在はボクシング的な動きは全く離れてしまっていますか?

伊東「そうですね。全くやってないですね」

――その後、大学時代に長い夏休みに入るわけですが…

伊東「ダメ人間時代ですね」

――大学時代は怠惰になりがちな時期だとは思うのですが、その後の人生にプロレスラーになるというある意味、人生をリセットする選択肢を提示していると思います。今だとそのまま引きこもりになってしまう人もいると思いますが、そういう人に一言いうとすれば

伊東「そうですね。なんとなしに大学に行ってなんとなしに授業に出てってなりますけど、大学は期限が決まっていると思うんです。(自分の場合は)大学から呼び出しがあって『どうすんだ?』っていうのがあったので。それまではダラダラしてましたよね」

――実際に、そのダラダラしていた期間は具体的にどんなスケジュールを過ごされていたんでしょう?

伊東「ほぼほぼ昼前に起きてダラダラTVをみながら…」

――どんな番組を見られてましたか?いいともとかですか?

伊東「そうですね。笑っていいとも!をみたりワイドショーを見たり、普通の社会人では過ごさないような時間の使い方ですよね。ゲームしたりしながら、本当に何もない毎日でしたね」

――ちなみにゲームはどういうタイトルをプレイしてましたか?

伊東「プレステですね。ロールプレイングとかファイナルファンタジーをやったりだとか…」

――ファイナルファンタジーⅦとかそのあたりですか?

伊東「丁度セブンの時期ですね」

――当時はクラウドと一緒に戦っていた時代が続いていたと。当時の自分に今、一言いうとしたらなにかありますか?

伊東「働け!と、ひっぱたきますね(笑)」

――今だからこそ言えることですよね。それからプロレスラーになってという話になりますがご両親とのやり取りも興味深く読みました

伊東「猛反対とまではいわないですけど、色々と話はありましたね」

――実際に20年にわたるその後の活躍もあってご両親の評価はどうなりました?

伊東「父親はもう10年前に亡くなりましたけど、母親は健在で、この間1カ月前に盛岡で試合をした時も見に来てもらって…」

――今では凄く応援してくれている?

伊東「そうですね。始めの頃はプロレスはキャリアの浅い人がどうしもボコボコにやられるじゃないですか、それが『見ていられなかったけど、どんどんキャリアを重ねていくうちにやられる側よりやる側になったんで、それほど不安にならない』とは言っていました」

――お父様も亡くなられる前に応援して下さった?

伊東「うちの父親が材木店を営んでいまして、亡くなる前にリングの板を全部取り替えましたね(笑)」

――お父さんの材木店で?ある種、親孝行もしてという…

伊東「そうですね(笑)」

――素晴らしい。親子共々に歩んできたわけですね。ご親戚の方はどうです?

伊東「大分、高齢なので…でも何人かは見に来てくれていて」

――デビュー前に心配されたところから見事にひっくり返してこられてますね。

次ページ、アブドーラ小林のイビキについて

――入寮して小林さんのイビキのエピソードも描かれてました。どんなレベルのイビキなんでしょう?

伊東「多分、普通の人は寝れない。ホテルとかでどこで小林さんが寝ているかわかる。廊下を歩いていて『あーここ小林さんね』と部屋がわかる位ですね」

――今でもイビキは凄いんですか?

伊東「今は小林さん、お医者様に色々言われたみたいで、寝る時は呼吸器をつけて(笑)」

――それでおさまっているというか、制限されている?

伊東「そうですね」

――昔は耐えがたいイビキだったということですが、その中でどうやって周りの人は寝てたんでしょうか?

伊東「道場では基本みんな2階に住んでいるんですけど、その当時はプレハブ小屋が道場の中にありまして。小林さんはそっちで寝てたんですよ」

――隔離されてたんですか?

伊東「隔離されてましたね」

――それは長い間そうされてたんですか?

伊東「小林さんが結婚して道場を出るまでは…」

――1人で広いスペースを独占されていたと

伊東「葛西さんも同じ部屋でしたね」

――えーその環境に順応して?

伊東「そうですね」

――ある種、キ〇ガイじみた環境でデスマッチ魂が鍛え上げられていったわけですね

伊東「ハッハッハ(笑)」

――本間朋晃選手に基礎を教えられたという話もありました。ノドが潰れる前の声は?

伊東「普通の声ですよ」

――練習中は厳しかったですか?

伊東「ですね。年は自分と小林さんと本間さんが一緒なんですけど、まぁ厳しかったですね」

――今では愛されキャラという感じですが…

伊東「そうですね。当時も厳しいけどイジメとかそういう感じではなく」

――レスラーとして真っ当に指導していたと

伊東「ですね」

――今も昔も変わらず筋を貫かれているということですね

伊東「今は本当に何を言っているかわからないですけど(笑)」

――そうですよね(笑)大分聞き取りづらくなってしまって…

伊東「1回、何かの時に水道橋で会ったんですよ。後楽園ホールに記者会見に行く時にホールの方から(本間選手が)歩いてきたんですよ。で『(本間選手の真似をしながら)オーイ伊東ー、くぁwせdrftgyふじこ…』って言ってて全然何言ってるかわからないんですよ(笑)」

――モノマネうまいですね(笑)

伊東「『ハイ、そうです』って答えたら『ンァーンァーじゃあ』って返されて。何話してたんだろう?って(笑)」

――昔はコミュニケーションがとれていたわけですもんね

伊東「ハイ、そうです」

――他にもMEN’Sテイオー選手から独特の理論を教わったという話もありましたが、具体的にはどの様なことなのでしょう?

伊東「例えば簡単なところでいうと、ヘッドロックひとつとっても頬骨のところに腕をしっかりあてて、というところがあるからこういう技なんだよと」

――なるほど。1つ1つの技の意味とか動きの細かい部分を教わったと

伊東「ですね。この技はどういう技でどこを傷めるものなんだよと」

――その後、伊東さんが後輩に教える上でもその教えは役に立ちましたか?

伊東「そうですね。なんでこの動きをやるのかという意味をですね、なんとなしにやる人間が多いので。これはこうこうこういう理論の基にやることなんだよっていう」

――理論づけや意味づけになっている

伊東「具体的になんだっていうとわかんないですけどね(笑)その場その場で」

――入場云々等というよりもリング上での技術なんですね

伊東「そうですね。試合をするにあたって『試合のテーマを自分で見つけろ』と。『この試合はこういうものだ、こういうことをお客さんに訴えようじゃないかというのを自分の頭の中で作れよ』と(教わりました)」

――毎試合、毎試合必ずテーマ付けがされていてそれを体現している。そういわれてみると特にデスマッチデビューされてからの1試合1試合が、意味づけがされているなと思いますね。

次ページ、デスマッチデビューしてからの活躍について

――デスマッチデビューされてからの伊東選手の活躍ぶりや成長の具合が、まるで少年漫画みたいだなと感じました。グイグイ成長して強い選手と戦って必殺技も定着して…デスマッチデビューで金村キンタロー選手に勝利して初王者となるところやその後の4カ月で3度の防衛の期間は、伊東選手のデスマッチにおける青春時代ですね。試合の度に強くなっていって…

伊東「ノリにのってましたから」

――向かうところ敵なしというか、どんどん強くなって無敵状態に?

伊東「ですね」

――10周年イヤーにアブドーラ小林さん戴冠時に登坂さんが号泣されていたとか佐々木貴選手の頭に2つ剣山が刺さったことなど、ビジュアル的に印象的な描写も数多くありましたが、絵的に印象的な場面はありますか?

伊東「そうですね。自分は見えてないんですけど、背中に蛍光灯がぶすっと刺さったことがありまして…」

――それはどの様に?

伊東「ロープに蛍光灯を釣る下げているじゃないですか、そこに座ったところつっかえ棒の様になって縦にグサッと刺さって、ちくっとして『オッ』と思って手を回したら、スライムみたいな触り心地がして」

――スライム?なんですかそれは?血ですか?

伊東「あれだって言ってました。脂肪が…」

――脂肪ってアブラの?

伊東「垂れ下がっていたみたいで。自分は見えてないんですけど(笑)」

――それはエグイですね。その話を周りの人から聞いて…

伊東「そうですね。それを見た人が『内臓が出たかと思った』って。いや背中だから内臓でないよって(笑)」

――凄いですね。クライマックスの1つとして後楽園ホール11.20の葛西純戦がありますが、プロレス大賞でもベストバウトに選ばれたこの試合の描写はそこに対する思いも試合後のマイクも含めてのドラマにしびれました。その葛西選手と11月の両国でも戦い、12.25に組んでまた試合をしますが、葛西選手への思いはいかがでしょうか?

11.4 大日本@両国国技館で試合後に握手した葛西純&伊東竜二

伊東「欠場に入るといっても、特別何かをするというわけではないそうなんですね」

――一旦、身体を休める?

伊東「そうですね、手術をするとかではなく。一旦休養、身体を休めるというところなので、全く期間がわかってないところなんですよね。ただ辞めるつもりはないでしょうし、また戻ってくると思うので、そうなった時に慌てて戻ってきて欲しくないですね」

――焦らずゆっくりして

伊東「ハイ。ただあいつらが活躍してるから俺もっていうのはなく、逆にあいつらがやってるから俺もじっくり治してっていう気持ちで(いて欲しい)ですかね。自分が骨折した時に半年休んだんですけど、その時にケガする前は自分がケガしたらこの会社はどうなるんだろうか?って思っていたんですけど、実際ケガして欠場したらどうにかなったので」

――新たなるデスマッチスターがでてきたりして…

伊東「どうにかなるもんだから、万全な状態に戻してから帰って来てもらいたいですね」

――この本の中でも組むのは最後だったと記載されてましたが、今回久々に組むことになるわけですが

伊東「デスマッチでタッグを組んだのはこれまで2回だけで、次で3回目になるんです。それほど2人で何をするっていうのはないんですけど、お互い長いことやっている人間なので阿吽の呼吸で何とかなると思うので」

――経験値がありますから

伊東「ハイ」

――あと葛西選手との対決に関しては、伊東選手がデスマッチで戦おうと呼びかけて葛西選手がZERO-ONEを辞めて大日本に来て、お互いのチャンピオンになるタイミングとケガのタイミングで中々対決が実現しないというあたりが、ボクシング漫画のはじめの一歩の「一歩 vs 宮田」の様なドラマチックさを感じました。

伊東「そうですね。あれは完全に機を逃した感じがしますよね(笑)」

――そうならずにしっかりと対決が実現できたのは良かったなと思います。海外でもパッキャオ vs メイウェザーの試合ではパウンド・フォー・パウンドで世界一強いのはどっちなんだと、伸ばしに伸ばされて期待感が高まって、300億円以上のファイトマネーが支払われる凄い試合になりました。そういう機運が高まったからこそ、伊東vs葛西戦の後楽園ホールも超満員となり、ベストバウトにも選ばれてという思いが高まったのではないかと思います。

伊東「ハイ、そうですか」

――この試合が凄いと話には聞いていたのですが、その思いを改めてこの本を読むことで感じることができました。ありがとうございます。

伊東「それは良かったです(笑)」

――今後、葛西選手とのシングルという期待もあると思いますが

伊東「やるとなると変な期待値が上がってしまうので。それこそタイミングが合えばというところですね」

――最後にあとがきのところでグレート小鹿会長の年齢を超えるまで、再度デスマッチ王者への返り咲きを虎視眈々と狙いながら頑張っていくとのことでしたが、何か特別に工夫されてることや意識されていることなどありますか?

伊東「なんでしょうね、特にないんですけど。1日3食ちゃんと食べること位ですかね(笑)」

――休養とかも意識してちゃんと取られて

伊東「その辺は特に。今、大日本が選手を1ヶ月間休ませてという、メディカルローテーションていうのをやっているんですけど、逆にあれをやられると凄い調子が悪いんですよね」

――自分のリズムに合ってないというか

伊東「ハイ。特にめちゃくちゃトレーニングをするわけでもないので、キャリア・年齢的にも。そうなると試合で自分のコンディションを保っている部分があるので…」

――定期的に試合がある方がコンディションを維持しやすい?

伊東「そうなんです」

――メディカルローテーションで長期に休みが入ると困ると(笑)

伊東「自分の場合はそうなんです」

――逆にそういう長期的な休暇にやる趣味みたいなものは?

伊東「これいといった趣味がないっちゃないんですよ。釣りが趣味だったんですけど、よく行ってた釣り場が台風でどえらいことになってて…」

――今年、凄かったですもんね台風が

伊東「再開の見込みがないという。なので釣りにも行けないという」

――新しい趣味がみつかるといいですね。今サウナも流行ってますし、身体と心を整えるのもいいですね。

伊東「あーハイハイ。そうですね。」

――最後にどんな人にこの本を読んで欲しいですか?

伊東「大日本プロレスが好きで伊東竜二が好きという人は勿論のこと、色んな人に読んでもらいたいですね。色んな項目がバーッと書いてあるので」

――そうですね。私は非常に素晴らしい本だと感動しました。是非、沢山の人に読んでもらって実写ドラマ化・映画化して欲しいと思いました!本日はありがとうございました。

天職、デスマッチ・ファイターの最初で最後の自伝!

『デスマッチ・ドラゴンは死なない』

プロレスラー/大日本プロレス 伊東竜二:著

大日本プロレスのエース、
伊東竜二のデビュー20 周年記念作品!

「この本は自分の自伝であると同時に、
デスマッチ側から見た大日本プロレスの歴史でもある」

両親に猛反対されたプロレスへの道、運命的だった葛西純とのデ
ビュー戦、苦楽を共にした関本大介の存在、ドラゴンスプラッシュ
の誕生秘話、相次ぐ選手の離脱と経営危機、ストロングBJの萌
芽、そしてエースとしての自覚と団体の飛躍……。
日本プロレス界の〝デスマッチ・キング〟が魂を込めて綴る、血ま
みれの赤裸々自伝。

「まだまだ必死になることも、不可能と思われることを
実現することもできる。自分の目の前には、やりたいこ
とが山のようにある。デスマッチ・ドラゴンは死なない」

仕様:四六判・並製 頁数:1C・328 頁
定価:1,700 円(税別) 発売日:12 月 21 日
発行:ワニブックス

伊東竜二(いとう りゅうじ)

1976 年 4 月 8 日生まれ。岩手県岩手郡滝沢村(現・滝沢市)出身。高校時代はボクシング部に所属。茨城大学工学部に進学するも、幼少期からの憧れであったプロレスラーを目指して大日本プロレスに入団。1999 年4月29日の葛西純戦でデビューを果たす。2003年5月に初デスマッチを闘い、3カ月後にはBJW認定デスマッチヘビーを初戴冠。アブドーラ・小林、沼澤邪鬼、佐々木貴らと激闘を重ねる。2009 年の葛西純とのデスマッチでは高い評価を得て、この年のプロレス大賞の年間最高試合を受賞。日本プロレス界の〝デスマッチ・キング〟へと飛躍を遂げた。その後もストロング路線を引っ張った関本大介とともに大日本の危機を幾度なく救い、活況を呈する近年へと歴史をつなげた。2019 年にデビュー20 周年を迎えたが、「目標はグレート小鹿会長の年齢まで、リングに上がり続けることです」と公言。団体を支えてきた〝魂〟を胸に、死闘を繰り広げている。

12 月 18 日(水) 横浜文化体育館大会にて先行発売決定!
会場限定カバー& 2020 年カレンダー付(税込 2000 円)

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