シロガネーゼもビックリ!?超高級住宅地・高輪に伝わる「ヤマトーノフの埋蔵金伝説」

日本各地には埋蔵金伝説が多くあります。現在、NHKの大河ドラマ「青天を衝(つ)け」にも登場している江戸幕府の勘定奉行・小栗上野介が赤城山に埋めたとされる、360万両におよぶ徳川の埋蔵金などは代表格でしょう。そんな埋蔵金伝説が、都内有数の超高級住宅地にもあるのをご存じでしょうか。「ヤマトーノフの財宝」と呼ばれる埋蔵金が、港区・高輪にある「源昌寺」のどこかに埋まっているという話です。「源昌寺」は戦国武将・片桐且元の子で大和国竜田藩主の片桐孝利が中興した寺院です。

セレブなマダム、いわゆるシロガネーゼが住む白金に隣接する高輪は、2021年の公示地価で坪単価853万もする「超」がつく高級住宅地です。でも、土地そのものが宝というわけではありません。「源昌寺」に眠っているヤマトーノフという人物が残したロシア財宝のことです。

ヤマトーノフはウラジミール・イオシフォヴィッチ・ヤマトーノフという人物です。これはロシア名、実は増田甲斎という名前で、「港区ゆかりの人物データベース」にも記載されている、れっきとした日本人です。増田は元々、橘耕斎という名前の遠州掛川藩士でした。その後、脱藩して僧侶になったとも伝わっていますが、彼の運命を変えたのは当時、伊豆・戸田に滞在していたロシア海軍の通訳、ヨシフ・ゴシケーヴィッチとの出合いでした。

ゴシケーヴィッチは後に函館ロシア領事になる人物です。増田はゴシケーヴィッチとの交際を深め、日本語の辞書を違法にも貸したりしていましたが、それが露見し、捕縛されるハメになりました。ところが、脱出してロシア人宿舎に逃げ込み、そのまま停泊していたロシア船に乗り込んでロシアへ密航したのです。

ロシアでは通訳官となり、ゴシケーヴィッチの助手として「日魯通言比考(わろつうげんひこう)」という日露辞書を作成しています。ロシア生活は18年にもおよびましたが1873(明治6)年、モスクワを訪れていた岩倉具視から「新政府は脱国の罪を問う意思はない」と伝えられ、帰国を決意しました。ロシア政府がそれまでの功績を認め、帰国の旅費と年金を支給することになったそうです。

帰国の際に増田がそれまで蓄財していた物を持ち帰ったという話があるんです。増田はその後、芝西久保(現虎ノ門3丁目)や芝増上寺境内の南隅などに住み、政治家やロシア語を学ぶ学生などに私塾のような形で、生きたロシア情報を伝え、1885(明治18)年、65歳で波瀾(はらん)万丈の生涯を閉じました。

増田は死期を悟った直前、墓と定めた「源昌寺」の境内のどかに、ロシアから持ち帰った物を埋めたといわれています。それが「ヤマトーノフの埋蔵金」です。

みだりに発掘はできないため、真偽のほどは分かりません。でも、超高級住宅地・高輪に眠る「埋蔵金」-。ちょっとしたロマンですね。

(デイリースポーツ・今野 良彦)

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