子供が好奇心を失う、親がしがちな“過ち”とは? ビリギャル著者・坪田信貴が明かす「才能の伸ばし方」

スポーツ界・アスリートのリアルな声を届けるラジオ番組「REAL SPORTS」。元プロ野球選手の五十嵐亮太とスポーツキャスターの秋山真凜がパーソナリティーを務め、ゲストのリアルな声を深堀りしていく。今回のゲストは学習塾「坪田塾」塾長であり、作家としても活躍する坪田信貴。著書『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話』でも有名となった心理学を用いて短期間に学力を大幅に向上させる指導法が注目され、個別指導でこれまで1300人以上の子どもたちを指導。子どもだけでなく、企業の新人研修などにも携わるなど、幅広い場面で活躍される。そんな人材育成のスペシャリストにスポーツの育成にも通ずる“人を育てる”極意について話を伺った。

(文=篠幸彦、写真提供=InterFM897)※写真は左から、五十嵐亮太、坪田信貴、秋山真凜

育成は最初に手間をかければ後々楽になる

まずは坪田自身の母親から受けた子どもとの接し方から子どもが自ら進んで学ぼうとする方法についての話。子どもから質問された時、ついつい子どもに答えを与えがちな場面でどのように接してきたのか。

坪田:子どもの頃に母から学んだことなんですけど、小学1年生くらいになるとひらがなや漢字を習うようになりますよね。例えば子どもと一緒にドライブをしていて“東京”と書いてある看板を見て「ひがし……、なんて読むの?」と聞いてきたらなんて答えます?

秋山:“とう”と“きょう”で“とうきょう”だよって答えますかね。

坪田:そうですよね。「とうきょうだよ」と言うじゃないですか。これは何かというと、答えを教えているということなんです。この時、うちの母親は近くの本屋に行くんです。そこで漢和辞典での漢字の調べ方を全部教えてくれるんですよ。これってめちゃくちゃ時間かかりますよね。

五十嵐:めちゃくちゃかかりますね。

坪田:労力もかかります。ところが、これを5、6回続けていくと子どもの僕の中で何が起こるかというと、「あれなんて読むんだろうな」と思った時に母親に聞いてもどうせ漢和辞典で調べさせられると気づくんです。そうするとうちに帰った時に自分で漢和辞典を引いて調べるようになるんですよね。

後々、母親に聞いたのですが、うちは母子家庭で、母親が女手一つで僕と妹を育ててくれたんですね。とにかく時間がなかったから、いちいち聞かれることを自分で調べられるようにしたかったんだと。

仮にそういった場面で“東京”の正しい読み方を教えてあげていたとしたら、別のタイミングでこっちが忙しいと「自分で調べなさい」となる時ってありませんか?

五十嵐:ありますね。

坪田:ずっと答えを教えていたのに、自分で調べなさいと言われてもどう調べていいかわからないし、子ども側からしたら拒絶感しかないんですよね。その結果、「お父さん、お母さんが忙しい時はもういいや」みたいな感じになって、好奇心が湧かなくなるんです。だから実は最初に手間をかければ後々楽になるんだと母親は話していました。

好奇心を持たなくなる子は、親から拒絶された子

何でも興味を持つ子どもがいる一方で、あまり好奇心のない子どももいるのではないかと指摘する五十嵐。それに対して坪田は「子どもが小さい頃は全員必ず興味を持っている」という。では好奇心がなくなっていく子どもは何が違うのだろうか。

五十嵐:そもそもあまり興味を持たない子というのもいると思うんですが、どうなんですか?

坪田:すごく良い質問ですね。本当に子どもが小さい頃は全員必ず興味を持っているんです。だけどある段階で好奇心を持たなくなる子が出てくる。それはまさにずっと親から答えを聞いていて、途中から拒絶されてきた子たちなんですね。

これは心理学だと自己肯定感、自己効力感という言い方をするんですけど、自分が何かをやったことがちゃんと成果になるということを自分で認識できていたら嫌でも好奇心って続いていくんです。

でも、ある段階で「興味を持っても何にもならないな」とか。「ただ怒られるだけだな」といった経験が積み重なると、無意識のうちに好奇心というものが発露しないようになっていく。それだけの話だと思います。

五十嵐:僕も父親なので過去を振り返った時に反省する点がいくつか出てきますね。

坪田:例えば子どもが1歳くらいの時にボールを投げて捕れなくて「なんでこんなのも捕れないんだ」って絶対に言わないじゃないですか。「惜しい、惜しい!」とか「頑張れ!」ってなりません?

秋山:そうなりますよね。

坪田:それで捕れたときは「うぁー!」って喜んで褒めていたと思うんです。そういう時の子どもは「もっともっと」ってなっていたはずなんです。

秋山:なっていたと思います。

坪田:これは子育ての中でありがちなことなんですけど、小さい頃は一日の中であったことを何でも話してくれていたと思うんです。親はそれを特に何も批判をせずに聞いていたんだけど、ある段階から例えば小学生くらいになると「そんなことよりあんた宿題やったの?」とか、「遊んでばかりいないで宿題やりなさいよ」とか、せっかく報告してくれているのに批判するようになっていくんです。

そうすると何が起こるかというと「これは言わないほうがいい」となっていきます。何を批判されるかわからないから情報提供しないほうがいいとなりますよね。中学生くらいになると「今日学校でどうだった?」と聞いても「……別に」となるわけですね。

秋山:わかりますねぇ。

坪田:親って基本的に責任があるので「ちゃんとこの子を育てなきゃ」という思いが強いからこそ、いろいろなジャッジをしちゃうんですよね。だけど僕からいわせればそのジャッジは世間がしてくれるので、親はむしろなんでも受け入れるくらいでいれば子どもが本当につらい時もちゃんと報告をしてくれるようになると思います。

大人の経験で子どもの未来はジャッジできない

野手と投手の二刀流でメジャーリーグを席巻している大谷翔平のように、過去に例のないチャレンジに対して周りはつい否定してしまいがちだ。そうしたことに対して坪田は「僕らの経験では先の未来はジャッジできないはず」と話す。

五十嵐:世の中に良いジャッジをしてもらうために、親は自分で正しいと思ったことをやってしまうと思うんですけど、難しいところですね。

坪田:僕はジャッジをしないんですよね。その理由は、僕らは結局何十年も前の世界で生きていて、これから10年後、20年後にどうなっているかなんてわかっていないんですよ。なのに過去の経験で「あなたはこうするべきです」「これをやりなさい」と言ってしまう。

例えば20年前はプログラミング言語って1つ、2つしかなかったんですよ。でも今は250あるんです。僕が仮にプログラマーだったとして、いわゆるC言語というのを学んできたとします。じゃあここから5年後、10年後にプログラミング言語が250のままかといわれたらたぶんそうじゃない。トレンドも変わっていると思います。そこで「これやっといたほうがいいよ」ということは本当に意味があるのかなと思うわけです。

つまり僕らの経験では先の未来ってジャッジできないはずなんですよ。それこそ大谷翔平選手は今とんでもない活躍をされていますけど、普通に考えたら小学生くらいの時に「打者か投手かどちらかにしたほうがいいよ」と言われていてもおかしくないですよね。

だからその価値観とか自分の経験値をその人に当てはめてジャッジをする資格が自分にあるのかなということは常に考えています。

五十嵐:それはすごくわかりますね。今はコーチングもだいぶ変わってきていますが、自分の世界観だけで指導してしまうと、うまくいかないことが多いですよね。当たり前だと思っているその範囲はその人のものでしかないから難しいなと感じます。

坪田:人間の認知って、本当に小さい頃から周りの大人や親御さんによって植え付けられているんですよ。まず僕らはその認識をしなければいけないんです。「僕たちの視点というのが、この子たちの認知をつくっているんだな。じゃあどんな認知を授けるべきなのかな」と。

例えば数学がとにかく苦手だという子どもがいます。親は「本当にこの子は数学がダメで」と話し、本人も「本当にダメなんです。無理なんです」と。それでテストを受けてもらうと、じつは数学が苦手という人の99%は“計算”が苦手なんですよ。計算が遅いとか、計算が不正確。それで数学全体がよくないという認識を持っているんです。

計算は勉強をすれば誰でもできるようになりますよ。これは数学が苦手なんじゃないんです。そういうことをちゃんと伝えることが大事なんですよね。

自分の知識や経験でその人の才能を判断しない

自分が思っていることは相手もわかっているだろうという“以心伝心”は日本独特の文化だという坪田。人を育てる中でそうした自分の中の価値観や経験で相手の才能や能力を判断しないことが大切だと話す。では才能を伸ばすためにはどうしたらいいのか。

坪田:僕は海外での生活がそれなりにあるんですけど、日本と海外で圧倒的に違うなと思ったのが日本は“以心伝心”の文化じゃないですか。面白いのが、以心伝心を英語でなんていうのか調べたんですよ。そうしたら“テレパシー”って書いてあったんです。

五十嵐:ないですよね。僕もないだろうなと思いました。

坪田:確かにテレパシーだなと。顕著な表現として「ちゃんとしなさい」ってあるじゃないですか。でも「ちゃんとってなに?」と思うわけですよ。

例えば「大きな声であいさつをしましょう」というのもそうなんですけど、「大きな声ってなに?」という話なんです。ちなみに私はこれを「3m離れたところで60dB(デシベル)以上」と定義しています。

秋山:それを定義する人初めて見ました(笑)

五十嵐:実際にそれがどれくらいの大きさなのか知りたいですね(笑)

坪田:実際にデシベル計を置いてみるんです。それで実際にあいさつをしてみて、42 dBとかになるわけです。そうしたらもう少し大きくしなければいけないんだなというのがわかるじゃないですか。

つまりどういうことかというと、同じ“海”という文字でもそこから浮かぶ頭の中の映像は一人一人違うわけです。これが社会においてどんな影響を及ぼすかというと、例えば上司が部下に対して「これコピー取ってきて」とお願いするとします。

そうすると部下はコピーを取ってきますよね。そこで上司が「お前カラーじゃなくてモノクロだろ。経費かかるんだよ」とか、「3人いるんだから3部に決まってるだろ」とか、「左上をホチキスで止めろよ。こんなこと常識だろ」と部下を叱るわけです。コピーというひと言にどれだけの指示が内包しているのかと。そんなことが飛び交う中で、それに対して相手のことを非難するということがあるわけです。

これはコピーという言葉に対しての映像がそれぞれ違うので、そこを明示してあげることによってできるようになっていくということなんですね。以心伝心は「自分が思っていることがそのまま相手にも伝わるだろう」と思い込むから「何回言ったらわかるの?」ということになるんですね。

五十嵐:それは家庭内でもよくありますよ。

坪田:僕が大切にしているのは、自分の知識や経験でその人の才能を判断しないということなんですね。

五十嵐:そこでどうしたら才能を伸ばすことができるんでしょうか。

坪田:この人素敵だなと思うところを伝えてみて、本人がそれをどう認識するかということを大事にしています。例えば「良い声をしていますね」って、それは僕が感想として思ったことですよね。それをうれしいと思う人もいれば、「私は別に声じゃなくて、しゃべりの技術のほうが得意なんだけどな」と思う人もいるわけです。

例えば生徒がテストの結果を持ってきた時に95点だったとします。お子さんがそうだったとき、なんと声をかけますか?

五十嵐:それが前の段階で苦手なテストだったら「これ前より伸びてるじゃん」とか、「ちょっと良くなってない?」とか、そうなりますね。

坪田:(五十嵐さんの声かけが)本当に素晴らしいのが、ちゃんと過程を見た上で判断されているということですね。そういう方がコーチだと最高なんですよね。ちなみに僕だったらそこまでの能力も時間もなかったりするので、「これどう思うの?」って聞くんです。

そうしたらその生徒は前回80点だったから95点に伸びていることを喜んでいるかもしれないし、先生から褒められたことを喜んでいるかもしれないし、友達に勝ったことを喜んでいるかもしれない。あるいは本人的には100点を取るつもりだったのに5点をミスしてしまったことが悔しいのかもしれない。それはわからないので「自分はどう思っているの?」と聞くんです。

そこで生徒が「今回一日10時間くらい勉強するのを一週間やって絶対に100点だと思ったんだよね。でも5点ミスしてショックなんだよね」と言ったら、「そっか、ショックなんだ。それだけ頑張ったんだったら僕もショックだわ。じゃあどうしたらいいと思う?」って聞くんですよ。

そうすると共感し合えるし、一緒にどうしたらいいか考えようとなるじゃないですか。だけどこっちの価値観だけで伝えてしまうと、本人が本当に伸ばしたいところとか、大切にしたい感情をないがしろにしかねないんですよね。だからそこをすごく大事にしていますね。

<了>

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__パーソナリティー:五十嵐亮太、秋山真凜

2019年にスタートしたWebメディア「REAL SPORTS」がInterFMとタッグを組み、4月3日よりラジオ番組をスタート。
Webメディアと同様にスポーツ界やアスリートのリアルを発信することをコンセプトとし、ラジオならではのより生身の温度を感じられる“声”によってさらなるリアルをリスナーへ届ける。
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