廃校に“明かり”再び 対馬「佐護笑楽校」 懇談スペースや食堂整備

4月末、対馬市立佐護小跡地にオープンした「ふるさとづくり『佐護笑楽校』」の外観=対馬市上県町

 今でも、この場所に立つと、子どもたちの歓声が聞こえる気がする。運動会は地域を挙げての一大イベントだった。「保護者も地域の人たちも大勢集まって、集落ごとにテントを張るほどやったとよ」
 対馬市上県町の農業、平山美登(よしのり)さん(64)は、8年前に廃校になった旧市立佐護小のグラウンドで、感傷的な表情を浮かべた。
 旧佐護小は1891年、尋常佐護小として開校。1960年代には1学年50人前後が通った。しかしやがて、少子化や過疎化の波に洗われ児童数は激減。2013年、同町の市立佐須奈小中学校に統廃合された。
 旧佐護小の鉄筋2階建て校舎はそのまま残された。「学校に電気がついていないのが寂しかった」と平山さんは振り返る。
 そんな古びた廃校舎が改修され、住民が集う交流サロンや簡易宿泊施設として生まれ変わった。今年4月末に完成した交流拠点施設「ふるさとづくり『佐護笑楽校(しょうがっこう)』」。地域に再び“明かり”がともった。

◎コーディネーターの高野さん「住民が主役」

 旧対馬市立佐護小の廃校舎は、交流拠点施設「ふるさとづくり『佐護笑楽校(しょうがっこう)』」に生まれ変わった。手掛けたのは非営利型株式会社「対馬地球大学」。佐護地区で地域づくり活動に取り組む団体だ。同社の高野清華社長(37)によると、民間主体で廃校を活用し、地域活性化につなげる事例は「全国的にも珍しい」という。
 高野社長は熊本県出身。学生時代、環境や人権分野の市民活動に関わった。その延長で持続可能な社会のモデルを地域でつくりたいと考え、大学卒業後、「地域コーディネーター」の仕事を始めた。
 これまで島根県・隠岐島での地域づくり活動や熊本県山都町での廃校活用などに従事。上県町に移住し昨年4月、同社を設立した。地域活性化への期待から、同年12月、市から旧佐護小の建物と土地を無償で借り受け改装を進めた。
 2階にあった音楽室には食堂を整備。地元主婦らが地場産品を使って調理した弁当やランチを販売できるようにした。1階には机やいすを置き、地域の人たちが気軽に集まって懇談できるスペースをつくった。年度内には、簡易宿泊施設や地元の職人らの作品を展示するギャラリー、貸し会議室もオープンさせる予定。地元の農家や漁師らを講師に招く体験プログラムも開始する計画という。

食堂に改装された音楽室。定期的に主婦らが地元食材を使った弁当を作り販売している


 「151」。何の数字か分かるだろうか。2002~17年度に廃校になった県内の市町立小中学校数だ。少子化や過疎化で全体的に増加傾向にあり、対馬市ではこの間、小中合わせて20校が歴史を閉じた。
 151校のうち、106校は主に体育施設や福祉施設などとして活用されている。同市でも体育施設への転用が多いが、廃校舎は耐震性に難があり、維持管理費も高額になるためなかなか利活用が進まないのが現状だ。
 地域の新たな拠点としてよみがえった「佐護笑楽校」について、市の担当者は「地域活性化や雇用創出につながるモデルになってほしい」と期待を寄せる。一方で「待っているだけでは廃校活用は進まない。(事業者を)公募するなどの方法も必要になってくるかもしれない」と話す。

 「佐護笑楽校」の名称は住民の意見を基に決められた。調理や教育プログラムなどでは住民が主役だ。高野社長は「学校は単に子どもたちが勉強をする場所ではなく、地域の個性を表す上で大事な場所」「地域の思いを土台に、さまざまな人が力を発揮できる場所にしたい」と話す。
 廃校に寂しさを感じていた平山美登さん(64)はこうした廃校活用の趣旨に賛同。地元住民らが「笑楽校」の在り方を考える運営会代表を務める。「単に企業誘致しただけでは地域のつながりはできない。廃校の利活用は(地域活性化において)一番いいやり方ではないか」と平山さん。
 高野社長は「笑楽校」を核にして交流人口の拡大を図り、I・Uターン者を増やす青写真を描く。「地域課題の本質に向き合い、何ができるかを考えたい」と高野社長は目標を語る。


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