【日曜論説】コロナ下の人間関係 生活文化部長兼論説委員・中川美香

目配りで希薄化防げ

 「おたがいさま」。以前、本紙に寄稿もしていた作家森まゆみさんの著書「おたがいさま」に、両親がよくこの言葉を使っていたと書いてあった。1954(昭和29)年、東京生まれの森さんは隣の家に上がり込んで宿題をしたり、逆に隣の家の子たちが森さんの家でカレーを食べたりと、近所付き合いが密な環境で育った。

 もう随分前からここ宮崎でもそんな日常は珍しいものになっているだろうが、新型コロナウイルスとの闘いが長期化する中で、身内や友人はもとより、住民同士が接する機会は格段に減った。そもそも人間関係が希薄化していたとはいえ、ここまで人と人の距離が離れた時代はあったのだろうか。

 心配なのは、困り事を抱えている人の姿が見えにくくなっていることだ。人と会うことが少なくなって、解決への入り口さえ見つからず、独りで苦しんでいる人がどれだけいるかと思うと胸が痛む。

 見えにくくなった人々の暮らしの実態に迫ろうとくらし面で掲載しているのが「新型コロナ くらしは今 県内支援の現場から」だ。高齢者、障害者、子育て中の人、困窮世帯などをサポートしている団体代表らに、今どんなことに人々が困り、どんな支援をしているか、行政や地域に何を求めたいかなどを語ってもらっている。

 ある障害者はデイサービスを受けられなくなり、猛暑の中2週間風呂に入れなかった。ある女性は、子どもが騒ぐと在宅勤務中の夫が怒鳴るので車の中に避難していた。ある妊婦は里帰り出産ができず、親や単身赴任中の夫が県をまたいで駆け付けることもできず、不安の中で出産した。また、ある高齢女性は自宅で亡くなっているのが発見された。コロナ禍の前に開かれていた地域のサロンでは元気な姿が確認されていた。

 暮らしの隅々ではこのようなことが起きている。それが支援者たちに「見える」のは、地域で粘り強く人間関係を築いてきたからだ。こういった非常時を乗り切るためにも、普段から共助の関係性を構築しておくことは重要だし、行政には持続可能な開発目標(SDGs)も掲げている「誰一人取り残さない」施策の展開を望む。

 担当記者からうれしい報告もあった。ひとり親家庭などに食品を配る「こども宅食」運営者の声を紹介した回で、1年足らずで利用家庭が10倍になった一方、寄付や食品寄贈が減った現状を報じると支援の申し出が相次いだという。

 森さんは「おたがいさま」は「功利的なギブ・アンド・テークではない。無限に広がっていく、『命のつなぎあい』」だと表現していた。「支援」までいかずとも、目配りや声掛けだけでも温かな関係の一歩は踏み出せるはずだ。

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