長崎被災協元事務局長 山田拓民さん 死去 90歳 

山田 拓民氏

 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の事務局長を2016年まで33年間務め、被爆者運動の中心的な役割を果たした被爆者、山田拓民(やまだ・ひろたみ)氏が28日午前1時35分、肺炎のため、長崎市内の病院で死去した。90歳。長崎市出身。自宅は長崎市。葬儀・告別式は近親者で執り行う。喪主は妻美奈子(みなこ)さん。
 旧制県立長崎中2年生だった14歳の時、爆心地から3.3キロの同校で被爆。城山町1丁目(当時)にあった自宅(爆心地から約0.9キロ)にいた母親と姉、弟に大きなけがはなかったが、原爆投下から約半月以内に全員が被爆の影響で相次ぎ命を落とした。
 1954年に長崎大経済学部を卒業後、90年まで高校教諭を務めた。原爆で瀕死(ひんし)の重傷を負った父親が被爆から16年後にがんで死亡したことをきっかけに、反核・平和運動に参加。長崎被災協では、山口仙二氏(故人)が会長に就いた83年7月、事務局長に就任した。2016年3月に高齢を理由に辞任するまでスポークスマンとして被爆者の思いを発信し続け、核兵器廃絶や国家補償による被爆者援護法制定の実現、原爆症認定を求める運動に注力した。
 1988年の平和祈念式典では、被爆者代表として「平和への誓い」を述べた。2010年に、被爆をテーマとする自伝的要素の強い創作集「あの日鬼になった」を出版。被爆証言の記録を続けている市民団体「長崎の証言の会」では16年12月から19年12月まで代表委員を務めた。

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