S・コネリーさんを吹き替えた低音の魅力 「声の芸術家」若山弦蔵さん

若山弦蔵さん

 「至宝」とたたえられた声優、若山弦蔵さんが5月18日死去した。艶のある低音の声音は「ビロード」に例えられ、映画スターの故ショーン・コネリーさんを魅力的に吹き替えた。声による至高の演技を追求し続けた「声の芸術家」だった。(共同通信=小池真一)

 ▽ヒーローの声

 「吹き替えは、スクリーンの中の俳優と息を合わせるんです。ショーン・コネリーと一緒に息をしてせりふを言えば、ちゃんとした芝居になるんです」

 若山さんは、外国語映画の日本語吹き替えの極意をそう教えてくれた。他人の呼吸に合わせるだけでも難しいのに、英語と日本語の息継ぎをぴたりとそろえるという“神業”を試行錯誤の末に体得した。スパイ映画「007」シリーズのテレビ放送などで披露し、日本語の声で海外映画を楽しむ文化を定着させた。

 1932年、旧樺太生まれ。終戦後、札幌のNHK放送劇団に入り、ラジオで声の仕事を始めた。当時、ラジオドラマの二枚目役といえば、高い音域の声の持ち主と相場が決まっていた。低い音域の若山さんは「悪役か老け役、あるいは名前が付けられていない端役ばかりやらされた」。

 最初の転機となったのはラジオドラマの名演出家、近江浩一さんとの出会いだった。台本読みの厳しい稽古の最中、「君はまだ声で褒められているの?」と問いただされた。声楽を習うなどして低音の声に磨きをかけていた若山さんは、衝撃を受けた。

 「声で評価されているようでは、役者としては駄目。演技で褒められるようになりなさい、と言われたんだと気付きました。演技が身に付いていけば、聞いている人の共感を呼ぶことができるんだと気付かされました」

 ▽開眼だった

 57年、活動の拠点を東京に移した当時、世の中はテレビ時代が幕を開けていた。放送する番組が不足気味の各局は「スーパーマン」「ヒッチコック劇場」など米国ドラマをこぞって取り寄せ、日本語に吹き替えて流していた。若山さんが取り組んだのが「モーガン警部」「保安官ワイアット・アープ」の主役の声。「二枚目イコール高音の声」という固定観念を覆し、「低音の声のかっこいい主人公」という新しいヒーロー像を日本に浸透させた。

 さらに、若山さんが「開眼だった」と振り返った第2の転機が訪れた。米国の刑事ドラマ「シカゴ特捜隊M」の吹き替えだ。名優リー・マービンが主演を張っていた。

 「この人ときたら、どこで息が切れているか分からないくらい、せりふをのべつ幕なしにしゃべる。えらい苦労しました」

 日本語の台本に大量のせりふは記されているけれど、そのまま吹き替えたのではマービンの映像にぴったり合わせられない。何か方法がないか、と思案の末に悟ったのが「ビーン・マービンだって息をする」ということだった。

 「どこで息をしているのか、台本に克明に印を付けた上で、日本語の寸法を合わせたんです」

 若山さんが使った台本は今、早稲田大学演劇博物館(東京都新宿区)に保管されている。実際に確認してみると、日本語に訳された主人公フランク・バリンジャー警部補のせりふには、息継ぎとみられる「<」の記号が鉛筆で書き加えられ、字句の補正・修正も随所に施されている。

「シカゴ特捜隊M」の台本(早稲田大学演劇博物館で撮影)

 ▽声優大国の礎

 せりふの絶妙な書き換えも見つかった。犯人と疑われた恋人をかばう女性に、バリンジャーが話し掛ける場面。「君の話を聞いて、いろいろなことが分かった」と台本にあったのを、若山さんは「いやどうもありがとう。だいぶ分かってきた」に大きく変えた。

 ハードボイルドドラマのすご腕刑事の厳しさだけでない、優しさや包容力も言葉に含ませ、立体的な人間造形を成功させた。こんなかっこいい、しびれるせりふを口にされたら、視聴者も好きにならずにいられなかっただろう。

 吹き替え文化の草創期、若山さんをはじめ、携わった多くの俳優が声の演技を探求し、演技の水準を向上させた。「生きた声」の発声法を追求した大平透さん、「英語の笑いの心」を即興の日本語にした滝口順平さん、「心の通う美しい日本語」の在り方を示した池田昌子さん、声の演技のアンサンブルを主導した小原乃梨子さん、視聴者の感性と共振する声の演技を創造した野沢那智さん…。20年ほどの間に、今日の声優大国・ニッポンを支える、いわば「声演」の礎、土台が築かれた。

 当時、若山さんだけでなく第一線の声優たちを喜ばせた逸話がある。テレビの海外ドラマを見た女性が「最近の外国人は日本語を上手に話すね」などと評したというものだ。吹き替えと気付かれないくらい完璧な声演術のたまものだ。名人たちのおかげで、敗戦後の日本人は米国文化を頭で理解するより、心に落ちるように実にすんなりと取り入れることができたといえる。

 ▽盟友

 若山さんは生涯、多くの海外ドラマ、映画を吹き替えたが、中でもコネリーさんの作品は特別であり続けた。007シリーズで最初に吹き替えたのは、「ドクター・ノオ」だった。英国の秘密情報部の敏腕スパイで、美しい女性の誘惑にはめっぽう弱いというジェームズ・ボンドの役柄を演じ切れていないと感じた。

 「声にあまり特徴がなく、これは主役の声じゃないぞという感じでした。吹き替えがやりにくかった」

 でも、007シリーズの次の作品「ロシアより愛をこめて」で一変する。「ボンドという役を見事に完成させました。演技に余裕が出て、人間に幅が出てきた。ショーン・コネリーと一緒にぼくも進化していけると思いました」

1966年9月、スパイ映画「007は二度死ぬ」の撮影で、東京・蔵前国技館の桟敷席に座るショーン・コネリーさん(中央右)

 スクリーンを介しての“盟友”であったコネリーさんは数々の映画で名演を見せ、若山さんは声の演技を洗練させた。コネリーさんが昨年死去した際、「007の役にとどまらず、汚れ役をやったり自分でプロデュースをしたり、やりたいものをやり遂げたと思う。作品を通して幅広い役を見せてもらい、自分もそうありたいと感じる存在でした」と別れを惜しんだ。

 外国語作品の吹き替えで、陥りがちなわながある。日本語で過剰な演出を加えたり、原作と関係ないせりふに変えたりして、まるで別の作品にしてしまう例がある。元の作品の内容や世界観に沿わない日本語版が量産されていないか、と若山さんは疑問を投げ掛けた。

 「外国で作ったいい作品を、日本語に吹き替えて台無しにするんじゃもったいない。元の映画やドラマに忠実に、日本語版もできなければいけない」。原作をそのまま声にして聞き手に届けるのが信条だった。

 ▽声の芸術

 「本職はラジオ」という若山さんは終生、ラジオドラマの仕事を大切にした。小説の朗読にも力を注いだ。日本点字図書館(東京都新宿区)では朗読のボランティア活動に携わり、ベストセラー小説「64(ロクヨン)」(横山秀夫著)など25作品を名人芸で収録した。その音声入りの電子図書は、視覚障害の利用者に愛聴されている。「若山さんは文意を理解し、物語をそのまま声にしている。“耳が肥えた”視覚障害者に人気です」と同館の担当者は話した。感動した読者から点字の手紙が同館に届いているという。

スパイ小説の朗読を収録する若山弦蔵さん=東京都新宿区の日本点字図書館(2014年10月30日撮影)

 2015年に高知県立文学館で、長年の念願だった芥川龍之介の小説「羅生門」を朗読した。その音声が残されている。

 「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた~」

 朗読が始まったとたん、平安末期のすさんだ都の情景が頭の中に浮かび上がる。あてどもなく雨を見つめる男の虚無感が漂う。鬼がすむと恐れられた楼門を舞台にこれから何が起こるのか。若山さんは円熟の深い声音でじっくりと読み起こしていく。

 一つ一つの言葉が明快で、大げさな抑揚などもなく簡潔だ。若山さんが息をのめば、聞き手も息をのむ。そうして、同時にため息までするくらい、気持ちが同期していく。活字の世界が、徐々にみんなで一緒に生きる時間になる。

 声の演技を芸術の域に押し上げた若山さんは晩年、「吹き替えやラジオのレギュラーの仕事が五十数年間、途切れたことがないんです。すごく珍しいことでしょ」と笑った。そして、「ぼくの姿勢を見てくださる方が必ず、その時代その時代にいた、という証拠なのかもしれません」とも。

 半世紀以上にわたり老若男女に支持され、愛されたことが若山さんにとって何よりの勲章だった。

 【関連動画】

若山弦蔵さんが「羅生門」朗読 https://youtu.be/nwDXqzKJtuc

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