【幕末維新 山口れきし散歩】 No.17 「吉岡新太郎と山村まさの墓」

▲あの日に戻れるなら(山口市秋穂東)

 吉敷郡本郷秋穂浦(現・山口市秋穂東)の宿屋の2階において、鋭武隊司令士・吉岡新太郎と大坂橋通り六丁目山村某の娘まさが、ともに命を絶った。1868(慶応4)年6月9日の昼下がりであった。

 鋭武隊は、この年の1月から閏4月末頃まで大坂に駐屯していた。ふたりはこの間に知り合ったようだ。

 誠実な人柄であった新太郎は、まさを国元へ連れ帰るが、これが隊中規則を乱すことになってしまう。

 「はるばると たづね秋穂の浦浪に ともに散るとは あはれなりけり」

 秋穂浦の豪商・有富源兵衛は、若き男女の死を哀れみ歌を詠んだ。新太郎26歳、まさ21歳。実らぬ恋の結末であった。

防長史談会山口支部長 松前 了嗣

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