ペンギンに喜怒哀楽込め 賀集由美子さん逝く

バティックセミナーで講師を務める賀集由美子さん(2019年7月)

賀集さんの描いたイラスト(「南極星ペン子ちゃん手帳2015〜2016」より)

西ジャワ州チレボンでバティック工房「スタジオ・パチェ」を主宰していた賀集由美子(かしゅう・ゆみこ)さん=横浜市生まれ=が6月29日午後1時、チレボン市内の自宅で亡くなった。60歳。

18日に夫のボントット・コマールさんがインフルエンザの症状で入院し、20日に退院。その時に過労などで体調を崩し、持病の糖尿病が悪化していた。27日にチレボン市内の病院へ行ったが、新型コロナウイルス抗原検査で陽性となり、入院できなかった。自宅へ戻って療養中に、新型コロナウイルスと血糖値悪化のために亡くなった。

29日午後5時ごろ、チレボンで荼毘に付された。30日、ジャカルタに住むコマールさんの娘のラニーさん宅へ運ばれ、しばらく安置される(追記:チレボン市内の教会に安置されることになった)。賀集さんはラニーさんに「もし私が亡くなったら、両親の遺骨と一緒にして葬ってほしい」と話していたと言う。ラニーさんは「コロナ禍が収まったら、私が賀集さんを日本へ連れて帰ります」と話している。富士山を一望にする眺めの良い墓地に葬られる予定だ(追記:日本の遺族との話し合いにより、2023年にジャワ海に散骨された)。

賀集さんは東京造形大学卒業後、染織への興味からインドネシアを訪れるようになった。バンドン工科大学に留学し、その間もチレボンへ通ってバティックを学んだ。1994年からチレボン在住。2001年に自宅でバティック工房「スタジオ・パチェ」を開いた。

バティックを選んだ理由を「織りと違って(経糸横糸といった制約がなく)自由」、「職人との合同作業が面白い」などと話した。さまざまな作品を手がけた中でも、賀集さんオリジナルの「ペン子ちゃん」と名付けられたペンギン・モチーフのバティックが人気を集めた。賀集さんの描くペンギンたちは「ジャワの庶民」の象徴で、その喜怒哀楽をペンギンに込めた。

バティックを愛し、「布は使ってこそ」が信条。布作りが主流だったバティック業界の中で、日常使いのしやすいバティック小物への展開を早くから始めた。インドラマユのバティック職人アアットさんとの「ペン子ちゃん」と「アマビエ」モチーフのコラボや、チャップ(判押し)やシルクスクリーンと手描きとのコンビネーション、草木染めなど、バティックの伝統の中で、次々に新しい挑戦を続けていた。最近では、インドネシアの地図バティックを制作して評判になったほか、チャップ・バティックの可能性に夢中になり、オリジナル・チャップを使った複雑な染めの「マジョリカ・タイル」柄のバティックなどを制作していた。

飾らない、気さくな人柄が多くの人に愛された。サッカー・ファン、ツイッター好き。

サッカーの結果に一喜一憂するペン子ちゃん(「南極星ペン子ちゃん手帳2015〜2016」より)

チレボンを代表するモチーフの「メガムンドゥン」(雨雲)に乗るペン子ちゃん(スタジオ・パチェ作)> ミッシング・リンクだよ、賀集さん

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