2年ぶりの大相撲名古屋場所「ご当地力士」は輝くか?  家族、後援会長、恩師らの地元開催への思い

2019年7月21日、大相撲名古屋場所で6度目の優勝を果たし、日本相撲協会の八角理事長(右)から賜杯を受け取る横綱(当時)鶴竜=名古屋市のドルフィンズアリーナ

 新型コロナ禍で昨年3月以来の大相撲本場所の地方開催となる7月の名古屋場所。感染が終息していない中、「ご当地力士」3人の関係者に地方開催の意義や会場で応援することの意味を聞いた。(共同通信=伊藤綜一郎、吉野桃子、佐藤仁紀)

 ▽地元での姿は特別

 愛知県出身の十両力士、明瀬山。今年初場所では史上4番目のスロー記録となる、28場所ぶりの幕内復帰を果たした35歳遅咲きのベテランだ。母深尾明美さん(65)に地元で開催される本場所への思いを聞いた。

勝ち名乗りを受ける明瀬山=1月14日、両国国技館

 ―名古屋場所が7月4日に始まります。

 「千秋楽のチケットを取りました。東京も大阪も九州も応援に行きますけど、名古屋場所は親戚も一緒に行きます。地元での姿はやはり特別ですから。(今のように関取として)活躍していない頃は『一緒に行きましょう』と声を掛けづらかったけど」

 ―地元開催の醍醐味(だいごみ)は。

 「宿舎の周辺に住む皆さんが朝稽古を見学してくださいます。私たち家族も朝稽古に行きます」

 ―名古屋場所の思い出は。

 「7月18日が(明瀬山の)誕生日です。今年も名古屋場所の千秋楽に36歳の誕生日を迎えます」

明瀬山の母深尾明美さん=6月11日、愛知県春日井市

 ―最後に会場で応援したのは。

 「2019年9月場所です。その後は(新型コロナウイルス感染拡大に伴う)無観客開催などで行っていません」

 ―初場所は初日から6連勝でした。

 「コロナがなければ、行けたんですけどね。テレビで応援しました。後は、新聞に大きく載ったので、よく買いに走りました。たまたま横綱が休場されていたので、うちみたいなのも大きく取り上げてもらえました。いいときにいい結果が出せたかなと思います」

 ―どういうお子さんでしたか。

 「相撲を本格的に始めたのは小学校です。小さい頃から牛すじをみそで煮込んでご飯に乗せた『どて丼』が好物でした。高校から親元を離れ、埼玉県の埼玉栄高へ。寂しさもありましたが、『やるなら本格的にできる場所で』と送り出しました」

 ―顎をけがして夏場所は途中休場でした。

 「お相撲さんはみんなけがが付き物で、ヘルニアに苦しんだ時期もありました。でも、しっかり治せば治りますから。本人も『こんな形では終われない』という気持ちを持っているみたいなので、やっぱり頑張ってほしいですね」

 ▽ワクチンを打って応援

 三重県出身の志摩ノ海。昨年の11月場所では幕内の番付最下位だったが終盤まで優勝を争い、幕内では自己最多の11勝で2度目の敢闘賞となる活躍をみせた。後援会長山下弘さん(66)は、久しぶりの地元開催での活躍に期待を寄せる。

照ノ富士を突き落としで破った志摩ノ海=3月23日、両国国技館

 ―新型コロナウイルスの影響で東京開催が続きました。

 「もう2年近く直接会えていません。今回の名古屋場所は後援会の10人弱で会場に足を運ぶつもりです。みんな、ワクチン接種を終えたメンバーです。パーティーなどはできないので、会場入りの際に『志摩のみんなが応援しているよ』『けがしないで頑張って』と声を掛けたいです」

 ―テレビでの応援と会場に足を運ぶのとでは何が違いますか。

 「やはり会場での観戦は特別です。力士同士がぶつかる音は、会場が壊れるのではないかと思うほどの迫力です。幕下、十両、幕内と番付が上がるにつれ、音はどんどん大きくなります。相撲のスピードも違います。力士にも、会場にいる後援者やファンの熱気がじかに伝わるはずです」

 ―志摩ノ海はどんな子どもでしたか。

 「私は志摩ノ海のお父さんと同級生で、幼い頃の志摩ノ海もよく知っています。天真爛漫(てんしんらんまん)で人懐っこい、活発な子どもでした。小さい頃から体格が良く、よく私ら大人と腕相撲をしていました。彼が高校生になってからは勝てなくなりました」

 ―相撲の取り口は。

 「昔から押し相撲が得意でした。プロになって幕内に上がって、おっつけに磨きがかかったと思います。立ち合いも良くなりました」

志摩ノ海(左)の後援会長山下弘さん(本人提供)

 ―地元の皆さんの熱量は。

 「本場所中の2週間は、町全体が浮足立つというか、落ち着かない雰囲気になります。志摩ノ海が負けると、後援会長としてお叱りを受けます。『弱いやないかい』『後援会しっかりせい』と。志摩ノ海の取組の時間になると、スーパーのお客さんが少し減ります。みんな、彼から元気をもらっているのだと思います」

 ―志摩ノ海に期待することは。

 「名古屋場所中に32歳になります。いずれは三役に上がってほしいというのが、後援会全員の願いです。いつかチャンスが来ると思うので、そのチャンスを逃さずに、しっかり物にしてほしいですね」

 ▽電話で「何が何でも頑張る」

 静岡県出身の翠富士は、新入幕だった今年1月の初場所でいきなり9勝6敗の成績を残し技能賞を獲得した。だがその後は、けがの影響もあり十両に。恩師で飛龍高相撲部監督の栗原大介さん(44)は、地元開催での教え子の再起に期待する。

初場所で技能賞を受賞した翠富士=1月24日、両国国技館

 ―2年ぶりの名古屋場所です。

 「新型コロナウイルスがなければ、現地に見に行きたかったのですが、部員の大会も近いので、静岡から応援することにしました」

 ―翠富士は、夏場所は全休でした。

 「3月ごろから腰の状態が悪いと聞いていました。無理せず休んでくれて正直安心しました。既に稽古を再開したようなので、名古屋場所は大丈夫だと思います」

 ―幕内に復帰できそうですか。

 「けが次第だと思います。久しぶりの地方開催ということもあり、本人は『何が何でも頑張りたい』と電話で意気込んでいました」

翠富士の恩師栗原大介さん=6月17日、静岡県沼津市

 ―翠富士はどんな子どもでしたか。

 「わんぱく相撲で活躍するなど、小学生の頃から有名な子どもでした。中学時代は遊んでばかりだったようです。それでも『彼なら大成する』と考え、相撲部に誘いました。寮生活を勧めたのは、自立してほしいと思ったから。狙いは的中し、相撲と真面目に向き合うようになりました。お母さんが驚くほど生活態度が良くなりました。高校入学当時は55キロしかなかった体重も徐々に増えました」

 ―翠富士の魅力は。

 「大きな相手にも小細工なしで真っ向勝負を挑むところです。粘るから、それだけ取り組みの時間が長くなる。だから腰に負担もかかってしまうんですよね。だけど、小さい体で頑張る姿は、部員たちの憧れのようです。勝っても負けても見る人を楽しませる相撲で、地元ファンに恩返ししてほしいですね」

 ―直接会いたいですね。

 「はい。実は初十両だった昨年3月の大阪場所は、チケットを取ったんですが、無観客になってしまいました。コロナが終息したら、応援に行きたいですね。特にご当地の名古屋は」

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