【連載】それでも、未来を信じて〈5〉「戦時下のワクチン集団接種」

戦禍のシリアで、国境なき医師団(MSF)の活動を指揮した村田慎二郎が、その体験をつづる連載。

村田はアレッポ市内の病院で、ある子どもの症状に気づきます。そこから始まった、地域ぐるみの一大プロジェクトとは──。

はしかの流行が起きたシリア。内戦ぼっ発前には見られなかった=2018年 © Roaa Hasan/MSF

はしかの流行が起きたシリア。内戦ぼっ発前には見られなかった=2018年 © Roaa Hasan/MSF

紅茶とお菓子が並んだテーブルの向こうに座るのは、アレッポで勢力を誇る反体制派グループのリーダー。威厳たっぷりの彼の後方には、武器を携えた部下たちもいます。対する私と通訳兼助手の2人は、もちろん丸腰。彼らの拠点に乗り込んだのは、集団予防接種を実施する間、スタッフの移動の自由とセキュリティを確保できるよう、要請するためでした。

きっかけは2013年の春、ある産婦人科医院で、はしかの子どもを見かけたことでした。医師に聞くと「最近こういう症状の子どもがたくさんいる」と言います。医療水準が高かったかつてのシリアでは、はしかの流行が起きませんでした。しかし内戦ぼっ発以降、アレッポのような反体制派の地域では、政府からの医療物資が供給されなくなり、2年もの間、子どもたちはワクチンもなく感染から無防備な状態に置かれていたのです。

はしかは、新型コロナよりも何倍も感染力の強い病気です。栄養失調が重なると合併症を起こし、危険な状態に陥ります。一刻も早く感染をくい止める必要がありました。

アレッポ県にあるMSFアルサラマ病院の前で遊ぶ子どもたち=2013年 © MSF

アレッポ県にあるMSFアルサラマ病院の前で遊ぶ子どもたち=2013年 © MSF

集団予防接種を行うには、まずこの地を統制する各勢力から理解を得ることが欠かせません。ただでさえ政府軍からの砲撃が続くなか、反体制派からも妨害されては、実施が難しくなるからです。アレッポには、30以上の反政府武装勢力がひしめいていました。そこで、特に大きなところから話をしに行ったのです。

武装グループに、「国境なき医師団はノーベル平和賞を受賞した団体で……」と持ちかけても、通じることはありません。現地のコミュニティーにとってのメリットを具体的に伝えなければ、耳を傾けてもらえないのです。私たちは市内にある25の医療施設にトン単位で医薬品を提供し、近郊の4万人が避難するキャンプでは生活必需品も配布していました。その積み上げた実績を説明したのです。

するとリーダーたちは「やれるだけやってほしい」と、それぞれの武装グループがコントロールする検問を通過できる共通の許可証を作ってくれました。これで足止めされずに通行できます。診療所や学校、町役場など、接種会場となる30カ所の安全も確約を得られました。

一方、地域の病院からは、100人近くの医療スタッフがワクチン接種に参加してくれました。こうして現地の人びとから大々的な協力を仰ぎ、4月から6月の間に予防接種を受けた子どもの数は1万5000人に上りました。私たちMSFだけでは、戦時下でこれほど大勢の子どもたちをはしかから守ることは、決してできなかったでしょう。

ワクチンは低温での管理と輸送が必要。温度計をチェックするスタッフ © MSF

ワクチンは低温での管理と輸送が必要。温度計をチェックするスタッフ © MSF

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村田慎二郎(むらた・しんじろう)

大学時代は政治家を夢見ていた。静岡大学卒業後、外資系IT企業に就職。営業マンとして仕事のスキルを身につけると、「世界で一番困難な状況にある人のために働きたい」と会社を辞め、MSFに応募。最初の派遣が決まるまでの1年半は、大の苦手だった英語の勉強をしつつ、日雇バイトで食いつなぐ。

南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。

シリアでは内戦がぼっ発した翌年の2012年から2015年まで、現地活動責任者として延べ2年にわたり派遣される。この時の経験が大きな転機となり、後に米国ハーバード大学への留学を決意。大学院修了後、日本社会での人道援助への理解を広める活動に力を入れるべく、2020年8月、日本人初のMSF日本事務局長に就任。

1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。

【シリア内戦の10年とは? 特集サイトはこちら】

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