<金口木舌>土を活かし海を活かす

 バケツやざるを手に石を運び、道路を造る人々。1960年代、与那城村(現在のうるま市)の平安座島の人々は離島苦の打開を目指し、藪地(やぶち)島に向けて道を造った。この道は開通しなかったが、原油貯蔵精製業のガルフ社進出に伴い、71年6月に平安座島―屋慶名間で海中道路が接続された

▼往来は活発化し、エメラルドグリーンの海に走る一本道は観光地になった。あやはし海中ロードレースにも多くの人が参加した

▼一方で平安座島の石油備蓄基地(CTS)建設には住民の反対運動も広がった。闘いは各地の反基地闘争に加え、自然環境保全を訴えるミクロネシアの人々とも連帯した

▼パラオの弁護士ローマン・ベーダーさんは「自己決定権こそが土地、海、人々を守れる」と本紙に答えている。パラオ独立運動を引っ張り、今も基地問題に振り回される沖縄に心を寄せる

▼反CTS闘争を「金武湾を守る会」で引っ張ったのは安里清信さんと崎原盛秀さんだ。2人の思いは辺野古新基地建設に反対する闘いにも引き継がれている

▼安里さんは著書「海はひとの母である」で、海中道路で機動隊と対面する住民が歌を歌って抵抗したことなど、闘いを振り返っている。地域の歴史に根ざした暮らしの大切さを訴え、こう書いている。「金ではなく人のために、どのように沖縄の土を活(い)かし海を活かしていくか」

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