ボビー・チャールズのベアズヴィル盤『ボビー・チャールズ』は、ウッドストック産の味わいに満ちたアルバム

『Bobby Charles』(‘72)/Bobby Charles

ウッドストックと言えば、ロックファンであれば1969年8月の『ウッドストック・フェス(Woodstock Music and Art Festival)』を真っ先に思い浮かべるだろう。しかし、少数派のロックファンにとってのウッドストックは、ウッドストック在住のミュージシャンで制作された、商業ベースには乗らないが良質のアルバム群を指す言葉である。今回紹介するルイジアナ出身のボビー・チャールズの初ソロアルバム『ボビー・チャールズ』もウッドストック産の好盤だ。ウッドストックで作られた多くのアルバムは“傑作”とか“意欲作”などの野心的な表現はそぐわない。ウッドストック産の音楽は当たり前の日常から生まれた人間味のある温かいサウンドが身上で、暮らしの中で人に寄り添ってくれるような存在だと言えるかもしれない。

ディランのウッドストックでの療養

フォークシンガーからロックシンガーへと転向したボブ・ディランは、66年にオートバイによる事故で長期間の療養生活が必要となった。マネージャーのアルバート・グロスマンの誘いもあって、その数年前からディランはウッドストックに住んでおり、この療養期にザ・バンドと一緒にリハーサルを繰り返しその記録は後に『地下室』としてまとめられる。

そもそも有名な『ウッドストック・フェス』は、ディランに憧れた若者たちがウッドストックでフェスを開催しようと企画するものの、ウッドストック側に拒否され、ギリギリになって約80キロほど離れたべセルのヤスガー農場での開催が決まったという経緯がある。フェスの名前を変えなかったのは、ポスターやパンフレットの印刷が間に合わなかったことなどが理由だが、皮肉にもフェスの場所とは離れたウッドストックの名前が世界に記憶されることとなった。ちなみに、94年、99年にも『ウッドストック・フェス』が開催されたが、この時もウッドストック側は企画段階で拒否している(人口6,000人の小さな町なのだから当然のことだけれど…)。

ウッドストック村

ニューヨーク近郊に位置するウッドストックは観光地としても知られるが、ボブ・ディランやザ・バンドといったミュージシャンが住み始めるもっと前の、20世紀初頭から画家や陶芸家などが住む芸術家村として知られる場所だった。60年代初頭にグリニッチ・ヴィレッジやボストン等で隆盛を極めたフォークリバイバルは、大手レコード会社が流入することで急速に商業化が進み、それを嫌ったミュージシャンらが田舎町のウッドストックへと流れていく。ウッドストックには野外の音楽堂やライヴハウスも点在していたので、少人数が楽しめるルーツ系の音楽が育まれていく。『サウス・バイ・サウスウエスト』で有名なテキサス州オースティンと成り立ちが似ているような気もするが、オースティンの場合は何千人も収容できる大きなホールもあり、スケールがまったく違う。しかし、こぢんまりとしたウッドストックだからこそ、日常生活に密着した音楽が育まれたとも言えるのだ。

ウッドストックのミュージシャン

ウッドストックに住んでいたミュージシャンで有名どころでは、ジミ・ヘンドリックス、ヴァン・モリソン、オーリアンズ、ジュールズ・シア、ピーター・ヤーロウ(PP&M;)、ティム・ハーディン、ジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフル)、トッド・ラングレン等がいる。他にもデイブ・ホランド、カーラ・ブレイ、スティーブ・スワロウといった先鋭的なジャズマンもいたし、ハッピー&アーティー・トラウム、エリック・カズ、ジョン・ヘラルド、ジェフ&マリア・マルダー、ポール・バタフィールド、ロリー・ブロック、シンディ・キャッシュダラー(アスリープ・アット・ザ・ホイール)といったルーツ系のミュージシャンたちも少なくなかった。

南部から東部へ

今回の主人公であるボビー・チャールズはルイジアナ州の出身で、60年代初頭からソングライターとして多くのR&B;シンガーにヒット曲を提供し、自らもシンガーとして50年代に「シー・ユー・レイター・アリゲーター」を皮切りにチェスやジュエル、ポーラといったR&B;の専門レーベルでレコーディングしている。当時、多くのDJが彼を黒人だと思っていたらしい。このあたりは、アラバマ州にあるフェイム・スタジオのダン・ペンと似た経歴である。

70年代初頭にザ・バンド、リトル・フィート、ロバート・パーマー、ジェス・ローデンらが取り入れたニューオーリンズ独特のリズムやサウンドに注目が集まり、ミュージシャンがこぞってニューオーリンズ詣をしていた頃、ボビー・チャールズは逆にニューオーリンズからウッドストックへと移って来た変わり種。当時のニューオーリンズ音楽の流行でニューオーリンズにミュージシャンがあふれ、チャールズはゆったりくつろげる場所を探し求めていたのかもしれない。

本作『ボビー・チャールズ』について

グロスマンはウッドストックの音楽の独創性を見出し、自ら70年に設立したベアズヴィルレコード(前身はアンペックスレコード)から、売れないけれど良いレコードをリリースしていく。シンガーソングライター系の作品に注目が集まった70年代初め、ハングリー・チャック、ジェシ・ウインチェスター、ベターデイズなど、ベアズヴィル・レコードからリリースされたアルバムは、人間的な温かみを感じさせるものが多く人気を呼んだ。

72年にリリースされた本作は、中でもサポートミュージシャンの豪華さで話題となったのだが、大したセールスとはならず、数年後には廃盤となり幻の名盤として扱われた。日本ではロック名盤復活シリーズと銘打たれ、ジョン・サイモンの初ソロ作やフィフス・アヴェニュー・バンドと並んで77年に初めて国内盤がリリースされている。

本作に参加したミュージシャンは、ザ・バンドからロビー・ロバートソンを除く4名(レヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソン)とジョン・サイモン、ジャニス・ジョプリンのフル・ティルト・ブギーからジョン・ティル、ポールバタフィールド・ブルースバンドにいたバグシー・モウとデビッド・サンボーン、ニューオーリンズのドクター・ジョン、マザーズのビリー・マンディ、ディランのローリング・サンダー・レビューで音楽監督も務めたボブ・ニューワース、ハングリー・チャックからはジェフ・ガッチョンを除く4人(ギターの名手エイモス・ギャレット、ジム・コルグローブ、N・D・スマート、ニール・ヤングのストレイ・ゲイターズにも在籍した著名なペダルスティール奏者のベン・キース)、ジェフ・マルダーなどなど、“歌”のサポートに長けたメンバーたちばかり。

収録曲は全部で10曲(CD化に際し数曲のボートラ付きバージョンもある)。ボビー・チャールズのシンプルかつ優しげなヴォーカルをはじめ、どの曲も味わい深く滋味に富んだ演奏が聴ける。とりわけ「スモール・タウン・トーク」(リック・ダンコと共作)「テネシー・ブルース」「アイ・マスト・ビー・イン・ア・グッド・プレイス・ナウ」の3曲は絶品で、奇跡に近い名演だと思う。

本作を聴いていると、友人と楽しい時間を過ごしたような気持ちになるから不思議なものだ。青年期から老年期に至るまでじっくり付き合えるアメリカーナ的作品で、リスナーの日常に寄り添ってくれる稀有な作品である。

TEXT:河崎直人

アルバム『Bobby Charles』

1972年発表作品

<収録曲>
1. ストリート・ピープル/Street People
2. ロング・フェイス/Long Face / ロング・フェイス
3. アイ・マスト・ビーイン・ア・グッド・プレイス・ナウ/I Must Be In A Good Place Now 4. セイヴ・ミー・ジーザス/Save Me Jesus
5. オール・ザ・モンキー/All The Money
6. スモール・タウン・トーク/Small Town Talk
7. レット・ユアセルフ・ゴー/Let Yourself Go
8. グロウ・トゥー・オールド/Grow Too Old
9. アイム・ザット・ウェイ/I'm That Way
10. テネシー・ブルース/Tennessee Blues

『これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!』一覧ページ

『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』一覧ページ

『ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲』一覧ページ

© JAPAN MUSIC NETWORK, Inc.