巨人から誘いも「1位指名は確約できない」 広島初の逆指名選手が語る“特殊制度”

1995年に新人王に輝くなど広島で活躍した山内泰幸氏【写真:本人提供】

1995年に新人王を獲得した山内泰幸氏、地元の広島が早々に指名公表

1995年に球団5人目の新人王に輝いた山内泰幸氏は、広島で初めて「逆指名」で入団した選手だった。ドラフト会議で上位候補選手が希望球団に入団できる逆指名制度は、1993年に導入。高校出身選手は対象外で、1球団につき2人の選手が希望チームを宣言できた。その後は「自由獲得枠」「希望入団枠」と名を変え、2006年まで採用された。広島で利用した選手は8人と12球団で最も少ないが、山内氏の場合は異例とも言うべきものだった。【大久保泰伸】

広島・尾道商卒業時も下位指名でプロからの誘いがあったというが、高校入学時に実家から離れた同校を選択する条件として、大学進学を両親と約束していた。日体大では3年時の明治神宮大会で、和田一浩(元西武など)ら多くのドラフト候補を擁して当時、大学最強と言われた東北福祉大を相手に打者27人での完封勝利(被安打1)をマーク。一躍、ドラフトの目玉候補になった。そんな山内氏が大学最終年を迎える直前の3月、カープがマスコミに対して、山内氏の1位指名を公表した。

「ちょうど自分の中でもプロが現実的になった頃、4年春のリーグ戦前に宮崎でキャンプをやって、オープン戦として社会人野球の松下電器(現パナソニック)と練習試合をした時、唐突にその話を聞きました。宿泊していた松下の寮で食事を終えて、ちょっとコンビニでも行こうと思って外に出た時に、新聞記者の人が来て『カープがあなたを1位指名することを表明しました』と言われて、その時は何がなんだかわかりませんでした」

地元出身の目玉選手を獲得したい広島が先手を打った形で、山内氏にとっては予想もしなかった球団側からの“指名”だった。

「ちょうどその時は大学の監督も外出していて、誰にも事情を聞くことができなくて、実家に電話しました。母親に聞いてみると『あんた、こっちは大変なんよ』と言われて。当時スカウト部長だった備前喜夫さんが尾道の先輩で、『備前さんが家に来て、今発表したと言われたんよ』と母親も戸惑っている様子でした。自分も突然すぎて驚いたと同時に、子供の頃から好きだったカープだったので、嬉しい気持ちもありました」

「条件はどこにも負けない」「カープより必ずいい条件で…」複数球団から誘い

山内氏は4年時のシーズンに48回2/3の連続イニング無失点を記録。2011年に菅野智之に破られるまで、首都大学のリーグ記録だった。さらに日米大学野球ではMVPを獲得するなど、超目玉選手となった右腕には、当然の如く広島以外のチームからも誘いがあった。

「カープが1位指名を表明した後も、数球団から声がかかりました。当時は契約金の上限も決まっていましたが、条件はどこにも負けないとか、カープより必ずいい条件で、というところもありました。人づてなど、いろいろなルートで話を聞きましたが、当時のプロ野球の裏の部分も、その時にかなり知りましたよ」

日米大学野球や、社会人も含めた代表チームで中南米に遠征したこともあったという山内氏は、世界で戦う素晴らしさも実感していた。2年後にはアトランタ五輪が控えており、当時はアマチュアしか出場できなかったため、社会人野球という選択肢もあったが、最終的に選んだのはカープだった。

「春のリーグ戦が終わった時点で、アマチュア側には断りを入れました。プロに行くなら広島か関東がいいなと考えていて、巨人からも誘いがあったのですが、1位指名は確約できないということでした。最後までけっこう悩みましたが、最終的にカープに決めたのは、やっぱり自分はカープを見て育ってきたから。昔の広島市民球場で見た山本浩二さんや衣笠祥雄さん、高橋慶彦さんに憧れて、その気持ちが強かった。両親にも広島に帰った方がいいと言われましたが、実は父親がマツダの社員だったということもあるんです。球団と直接関係があるわけではないですけど、父親が『(カープ以外だったら)会社におられんようになるな』みたいなことを言っていた記憶もありますね(笑)」

逆指名(希望枠)制度は、裏金問題の発覚もあり、2007年に廃止された。ドラフト制度の在り方については、現在でも議論されているが、20世紀の終わりから15年足らずの間、採用されていた言わば“特殊な”制度を当事者であった山内氏はどう考えるのか――。

「僕自身について言えば、自分で選んだ球団に入って、故郷の広島に戻ることができて幸せでした。自分の意思で選択したのだから、何も文句はないし、たとえ失敗していたとしても、言い訳も文句も言えない。そういう意味ではよかったと思います。ただ、プロ野球全体のことを考えると、戦力均衡という意味で逆指名はない方がいいでしょうね。カープもその制度が廃止された頃からのドラフト戦略が成功して、2016年からの3連覇につながった。だからドラフトは現状のままでいいので、選手の権利のためにFA権取得までの期間を短くするなど、改善していけばいいと思います」(大久保泰伸 / Yasunobu Okubo)

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