コロナ禍の就活で悩んでいる学生へ ~私が出会った面接官・じゅじゅさんのこと~(藤井だいすけ・富山県議ブログ)

富山県議の藤井だいすけ氏が自身のブログで、コロナ禍での就活を余儀なくされている就活生に向けて役に立てるようにと、自身の就活エピソードを語っています。

藤井氏がこの出会いがなければ「リクルートに入社することはなかっただろう」と振り返る、当時大阪のリクルートで人事採用担当をしていた通称「じゅじゅ」さんの少し変わった就活アプローチとは?

藤井氏のブログ全文は以下の通り。

コロナ禍の就活で悩んでいる学生へ ~私が出会った面接官・じゅじゅさんのこと~

2022年卒の学生のみなさんは、コロナ禍での就活を余儀なくされている。内定率はそこまで悪くないとされているが、苦しい想いをしたり自分が何をすべきか悩んだりしている就活生は、例年より多くなっているのではないだろうか。そんな就活生に向けて少しでもお役に立てればと、私の25年以上前の就職活動のエピソードをお伝えしたいと思う。

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私が就職活動を行った1994年は、就職氷河期の真っただ中で、新卒採用の門戸が急速にしぼられた時期とされている。私自身は、当時の採用環境の悪化について詳しく自覚できていない中で就職活動をしていたが、確かに大手有名企業ほど「上から目線のOB面接」が横行しており、嫌な気分になった記憶が残っている。たとえば、とある都市銀行(のちに合併し、その名は現在消えてしまっている)でのOB訪問で、「オレは2年目だけど、最近2億円の融資をしたんだ。すごいだろ?」との発言があったのだが、それに違和感を覚えた私は「金額の大きさで良い仕事かどうかが決まるのって変じゃないですかね」と言ってしまい、「お前ふざけんな!金融に就職する気ないなら出てけ!」と言われたりした。いまなら「若い年次でも大きな仕事を任せてもらえる会社」ということをアピールしたかったのかも、とも思えるが、そのときは「うわー、本音で語ると怒られるんだ。本音を隠して仕事するのが就職ってものなんだな」と委縮したことを覚えている。そもそも、私が金融業界を目指した理由は、単に大学の経済学部の友達の多くが、金融機関に内定をもらっていからで、金融機関ならそれなりに田舎の親が納得するだろうとの打算もあった。そのレベルでしか、考えてなかったのだから、私を罵倒したOBの人を悪く言うことはできない。私も十分失礼だったのである。

そんな中で出会ったのが、当時大阪のリクルートで人事採用担当をしていた通称「じゅじゅ」さんである。同じ大学の先輩から「まだ就職決めてないならリクルートのOBにも会ってみたら?」と声をかけられたのだが、私は「リクルートって事件を起こした会社だよなぁ」とのイメージが強く、就職先として全く検討する気がなかった。先輩の顔をつぶすわけにはいかないので、面談の日程調整はするものの、何度もリスケして、そのうち電話がかかってこなくなることを狙っていた。それでも「1回だけでいいから」と、梅田にあるリクルートのビルに呼び出されたのである。

面談部屋に通された私は、後ろ向きな気持ちで待っていたが、約束の時間を20分過ぎても誰もやってこない。30分過ぎたら帰ろう、と思ったところに、「ごめんごめん、藤井くんやったっけ?今日は何しに来たんや?」とじゅじゅさんが登場した。「××さんから紹介受けまして、今日お話し聞きに来たんですけど……」とこわごわ答える私。「あんまりウチの会社、興味なさそうやけど、せっかくやからゆっくり自分の話聞かせてよ」と笑うじゅじゅさん。何気なく、私から最近の就職活動について話をしはじめたのだが、とにかくじゅじゅさんが聞いてくれるのである。リクルートはこんな会社だ、とか、こんな人材を求めている、とか一切ない。就職相談という体でありながら、自分がどんな価値観を大事にしているのか、どんなときに自己肯定感が満たされるのか、社会の中でどんな自己を表現するときが幸福感を覚えるのか、といった自己開示を、無意識のうちにさせられたのである。しかも気持ちよく。気が付けば2時間以上経過していたが、じゅじゅさんは一切さえぎることなく、自己開示し続けた私を受け止めてくれた。そして最後にこう告げたのである――「お前、おもろいやっちゃなー。ウチの会社に向いてるんちゃう?」。そのときに、私は、私の中でこれまで社会的に抑圧されてきた価値観が許されていくような、解放されていくような実感を覚えたのである。

私は大学の4年間で、特に何か世の中に自慢できるような実績を残したことはない。なのだが、それまでの就職活動では「体育会のスキー部で××を学んだ」「他大学と仲間とバンドを組んだことで▲▲を知った」「バイトでリーダーを任され■■を理解した」など、嘘とまでは言わないが、自分の価値観の自己開示とは程遠いようなテンプレート的な自己アピールしかしてなかった。それが就職活動だと思っていたし、企業の面接官もそれ以上踏み込んでくることはなかった。そんな中で、じゅじゅさんのアプローチは私にとってはすごく新鮮だったし、何より“企業が学生を面接してやる”というマウンティングが一切なく、あくまで“企業と学生は対等である”という姿勢を貫いてくれていた。おかげで、私はリクルートがどんな仕事をしているのかはよくわからなかったけれど、じゅじゅさんのような「人」がいる会社ならば、自分も臆せず本音で仕事ができるのではないか、と俄然興味がわいてきたのである。

じゅじゅさんに出会わなければ、私はリクルートに入社することもなかったし、その後の自分のキャリアも大きく異なっていただろう。「ありのままの自分を認め、その視点で社会と関わって変革を促していけば、自分も世の中も幸せにすることができるんじゃないの?」――最初の面接で笑顔のじゅじゅさんが私に問いかけたことが、今でも私の背中を押し続けてくれているのだ。

いま、私の息子が大学4年生となり、まさにコロナ禍での就職活動を行っている。父さんがじゅじゅさんのような面接官に出会えたように、息子にもきっとそんな出会いがあるはずだ。焦らないでいい。息子が息子のままで、その無限の可能性を信じてくれる人に出会えるまで、私は応援し続けようと思う。就職とは、単に会社に入る手続きなのではなく、個人の人生を解放しその可能性を開花させる大切な機会なのだから。

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