テレビの中心に居続ける美学 京都撮影所で語った田村正和さん 最後の出演は「眠狂四郎」

着流し姿で取材に応じた笑顔の田村正和さん=2017年、京都・太秦の東映京都撮影所

 長くテレビの中心で活躍していた俳優田村正和さんが亡くなって、はや数カ月。愁いを帯びたマスクに豊かな長髪。年齢を重ねても変わらぬダンディーな物腰。時代劇からコメディーまで多彩なジャンルの作品に出演しながら、その持ち味を曲げることなく演じることを許された、文字通りの“スター”だった。最後の出演作の撮影を間近で見て、肉声を聞けたのは幸運だった。(共同通信=辻将邦)

 ▽「阪妻」の三男

 なかなか取材のチャンスのない大物から直接話を聞けたのは、当たり役だった時代劇シリーズの完結作「眠狂四郎 The Final」の撮影中のことだった。2017年4月に東映京都撮影所で設定された取材会。合同インタビューの前に撮影現場を見学した時の不思議な感覚は、今でも鮮明に覚えている。

 4年前、文化部記者としてテレビ番組を取材していた私は、京都撮影所は何度も訪れ、そのたびに「時代劇の聖地」ならではの独特な空気感を楽しんでいた。

時代劇の歴史が詰まった東映京都撮影所=2006年、京都・太秦

 撮影全体の主導権を握るのは、時代劇の表も裏も知り尽くした撮影所スタッフたちだ。「これが時代劇だ!」という自信と誇りを胸に、東京からやってきた「お客さん」である監督や俳優陣に気持ちよく仕事をしてもらう―。どんな人気俳優がやって来ても、こびることなく対等に渡り合い、プロとして平常心で仕事をする。そんな“職人気質”にほれ込み、連載記事も書いた。

 ただ、田村さんの現場では、そんなスタッフたちの様子が少し違った。カメラが回っている時の緊張感はどんな作品でも同じだが、その現場はカットの声が掛かった後も、空気が張り詰めたままだった。

 やはり、この撮影所をつくった往年の大スター、「阪妻」こと阪東妻三郎の三男なのだ!と、脈々と続く歴史を実感した瞬間だった。

往年の阪東妻三郎さん=1946年

 撮影所のあるスタッフは「大物俳優は他にも来るが、やっぱり違う」と打ち明ける。田村さん本人はテレビで見たままの物静かな人だ。だが阪妻の「子息」が来所するとなると、所内の空気がピリピリしたものに一変するという。ラフな服装でやってくる俳優も多い中、いつも国産高級車のセンチュリーで撮影所入りし、きちんとしたいでたちだったのが印象に残っているそうだ。「普段から『俳優』だったんでしょうね」

 ▽テレビスター

 さて、その田村さん、撮影の合間に開かれた取材会には、着流し姿で現れた。取り巻きごと集団で移動してくる様子に「さすが」とつぶやいたのを思い出す。

 「おやじがこの撮影所をつくり、僕もこの近くで生まれました。やはり温かいものが感じられる」。ひと言も聞き漏らすまいと、必死で耳を傾けるのだが、田村さんの声はあまりに小さい。集まったカメラマンがバシャ、バシャと切るシャッター音に紛れて聞こえず、往生した。

 またとない機会に、何とかいろんなことを聞きだそうとする報道陣の質問から浮かび上がったのは、田村さんは間違いなく「テレビスター」だということだった。

若き日の田村正和さん=1964年

 「舞台はお客さんがいるから嫌。映画は時間がかかるし、舞台あいさつがあるから嫌だ。テレビはそれがない」。俳優としての本格デビューは木下恵介監督の映画「永遠の人」だったが、仕事のやり方が性に合っていたと、活躍の場をテレビへと移していく。やがて「眠狂四郎」や「鳴門秘帖」、「若さま侍捕物帳」などで、正統派の二枚目やニヒルなプレーボーイのイメージを確立した。

 その後、ドラマ「うちの子にかぎって…」で三枚目の演技を披露し、大きな転機となったのはご存じの通り。「パパはニュースキャスター」などで、さえない父親役も好演。「役を固めていた僕をコメディーの世界に連れ出してくれた」と当時のプロデューサーらの名前を挙げ、人と作品との出会いに恵まれた芸能人生だったと振り返った。

 中でも代名詞となった「古畑任三郎」の役は特別だったようだ。ニヒルさとコミカルさのバランスが絶妙な警部補役は、多くの芸能人にまねされるなど愛された。「自分にあんな芝居ができるなんてこれっぽっちも考えていなかったのを見つけ出し、新しい自分を引き出してくれた」と、脚本を担当した三谷幸喜さんに感謝していた。

 ▽あくまでも主役

 この時の田村さんは「もう十分やった」「キャリアを終えるきっかけを探していた」とも口にしていた。だが、私も含めて多くの記者は半ば冗談だと受け止めていたと思う。確かにお年を召したとは感じたものの、その色気は隠しようもなく、まだまだテレビで見たいと思わせる存在感が確かにあったからだ。

 「ゆかりのある場所で時代劇が、狂四郎ができるということで、とにかくやりたいと受けました」。原作者の柴田錬三郎が「田村にぜひやらせたい」と指名し、田村さん自身も大事にしてきた「眠狂四郎」シリーズ。今から思えば、18年ぶりに演じるという狂四郎には、並々ならぬ覚悟を持って臨んだに違いない。撮影前には柴田の墓を訪れたという。

最後の出演作『眠狂四郎 The Final』について語る田村正和さん=2017年

 狂四郎をやるのか、それとも年相応の別の役をやるのか迷ったが、「やっぱり狂四郎がやりたかった」と挑戦することにしたそうだ。姿勢に気を付け、顔のしわをメークで減らしてもらったと打ち明け、「若く見えるように」と笑っていた。

 実際のところ、この作品が最後となったのは、田村さん自身が出来栄えに満足できなかったからなのかもしれない。記憶では、視聴率も振るわなかったはずだ。ドラマを見た私の胸に浮かんだのは、「年を取った」と漏らした田村さんの顔だった。あくまでも主役として、作品の真ん中に居続けるのがスター田村正和の美学だったに違いない。

 合同インタビューが終わって撮影所を引き上げる時、ふと振り返ると、スタジオに向かって歩く田村さんの姿が目に入った。すらりとした着流しの後ろ姿は、父親が礎を築いた「聖地」のたたずまいによくなじんでいた。そして、どこまでも格好良かった。

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 田村正和さんは4月3日死去、77歳。

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